「ビブリア古書堂の事件手帖2 ~謎めく日常~」感想~ビブリア古書堂の事件手帖6からの再読~
![]() | ビブリア古書堂の事件手帖 2 栞子さんと謎めく日常 (メディアワークス文庫) (2011/10/25) 三上 延 商品詳細を見る |
そう、ここは古本屋だ。北鎌倉で何十年も前から営業している老舗。俺は夏からここで働いている――。
(中略)
色々あって一言では説明しにくい。そのことをまともに語ると、一冊の本になってしまいそうだ。(本文6ページより引用)
プロローグからこんな記述があったりして、思わずにんまりしてしまいます。
メタ視点を装いつつ、「本は人と物語とで繋がっている」というテーマそのものも語らせているわけで、これまた三上さんのドヤ顔が浮かんできそうですw
というわけで、「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズ再読、第2回目です。
2巻からは栞子さんもお店のほうに戻り、そこで相談事を依頼され、推理していくことになります。その分、話の幅も広がって行きます。
※なるべくネタばれは避けるようにしていますが、6巻まで通読してからの再読なので、うっかりしている部分もあるかもしれません。ご了承を。
●プロローグ 坂口三千代『クラクラ日記』(文藝春秋)・I
まずはプロローグですが、ここでは非常に重要なモチーフがふたつ登場します。
ひとつはもちろんタイトル通り『クラクラ日記』ですが、もうひとつは、本ではありません。一枚の“絵”です。
積み重なった本の奥に無造作に置かれた、「無造作に積み上がった本の山を背景にした白い小鳥」が隅のほうに描かれている絵。なぜ、壁にかけられるでもなく、仕舞われるでもなく、まるで隠すかのように置かれているのか。
その答えは、この巻の最後まで読めば一応、判明はします。ただ、ここでは何か「いわくつき」の絵なんだろうな、くらいの印象しか読者には与えない訳です。
『クラクラ日記』のほうもそうですね。何かありそうだということしか、プロローグの段階ではわかりません。
ポイントは栞子さんのこの本に対する言葉ですね。
「……この本、好きになれなくて。いい随筆だと、思うんですけど」(本文16ページより引用)
五浦くんは、単純に「どんな読書家にも好き嫌いはあるはずだ」と納得してしまいますが、この物語を読んでいる側としては、そんなはずないだろうということはこの時点でもわかりますよね。
1巻での最後の真相にて、彼女の「本好き」のレベルが尋常じゃないこと、それはまさに「罪の子」というべき“業”が深いことだったことを併せ持てば、単純に好き嫌いがあるという話ではないということは、読者側にはっきり提示されているわけです。
そもそも、同じ本を五冊も持っていたんですからね。よっぽどのマゾでもない限り、嫌いな本を五冊も手元に置かないでしょうw
●第一話 アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』(ハヤカワNV文庫)
小学生がこの感想文を書いたからといって、それがどうしたと言うのか。感想はただの感想だ。現実にどんな行動を取るべきか、大抵の人間は自分で判断することができる。(本文93ページより引用)
初読のときはそれほど感じていませんでしたが、
今読むと、かなり重要なエピソードですね。
単に知識豊富な探偵としてではなく、栞子さんの人間性がテーマになっています。
ここでは栞子さんが、いかに幼い頃から子供らしくない、変わった子であったかが語られます。
冒頭にでてきた『蔦葛木曽桟(つたかずらそのかけはし)』(国枝史郎)も、彼女の幼少時代を象徴するひとつのアイテムとして大きな意味を持っていますね。
(余談ですが、実は次の第二話への伏線にもなっています)
いきなり遊女の話から始まるような“大人向け”の内容で、難しい漢字も多いその本を、
彼女は小学生のころに、自転車で本屋巡りをして買い求めていた。
つまり、「子供らしくない子供」だったことがわかってくるわけです。
さて、この話では、小菅奈緒の妹・結衣が書いた『時計じかけのオレンジ』の感想文が大人たちに問題視されます。
志田さんも「中学生でこれじゃ、先々どんな大人になるか」と、教師や親が不安に思うのも当然だと言います。
まあ、こういう問題はいつの時代もあって、今でもある種のマンガやアニメ・ゲームを問題視する大人は大勢いますよね。
でも、ここで注目したいのは、
『時計じかけのオレンジ』には二種類の結末がある。
という点です。
「アレックスの暴力行為は、あくまで一過性のものだとバージェスは考えていたようです。彼は大人になって、善悪も自分の意志で選択できるようになる……これは若者の成長を描いた物語だったんです」(本文56ページより引用)
ハッピーエンドである「完全版」こそが正式な結末であるというわけではないんです。ポイントは“選択できる”という点だと思うんですね。
バージェス本人も当初の「アメリカ版」をなかったことにしなかったのは、そういうことなのではないでしょうか。
つまり、『わたしたちは書いたものを削除することはできる。しかし、書かなかったことにすることはできない』は最終章が削除された「アメリカ版」にもかかっているんだと思うんです。だから、否定することもしなかった。
この話では、「暴力と犯罪の世界」に共感する感想もなかったことにはできない、というより、するべきではないということを、とてもわかりやすい題材で訴えかけています。
そう、感想文を書かなかったことにする必要はないんです。
だって、本も読んでいないのに口笛を吹く栞子さんを見ていればわかるじゃないですか。
きっと、五浦くんも言うように、結末が変わったのなら感想も変わったはずなのですから。
※ちなみに、五浦くんもタイトルが読めなかった『蔦葛木曽桟(つたかずらそのかけはし)』ですが、1巻の感想で紹介した『栞子さんの本棚 ビブリア古書堂セレクトブック』の作者解説によると、三上さん自身も、古書店にアルバイトをしていた頃に書名が読めずに大恥をかいたことがあるそうです。
●第二話 福田定一『名言随筆 サラリーマン』(六月社)
「……色々ある人だけどな、ああ見えても」
「そういう女の子に好かれるよ、大輔くんは。昔からそうだった」(本文168ページより引用)
この回は、やっぱり「高坂晶穂」でしょうね。
五浦大輔の元カノである彼女はもちろん、篠川栞子とは性格はまったく違います。
でもどこか、似ているんですよね。
自分のことや家庭環境についてあまり語らない。写真が好きで、プロのカメラマンを目指していることも彼氏になかなか言い出せなかった。
ようするに、自分の思いをうまく口にできずに誤解されやすい人なんです。
そして、この言いたいことを大切な人にうまく伝えられない、ということ自体が、
実はミステリの真相に深く関わってくるわけなんです。この辺が本当に見事ですね。
さらには、今の「五浦大輔」と「篠川栞子」はどうなんだろうか、という話にもつながるわけなんですよ。
ミステリと恋愛物語を、本当にうまくリンクさせているなあと思いますね。
で! この話から栞子さんは「大輔さん」と呼ぶようになるわけですが、その理由がもう……ね!
ネタばれになるので、くわしくは触れませんが、改めてよくできた構成だなあと感服してしまいますね。
さて、この章の最後には、ふたたびあの“絵”と『クラクラ日記』が登場します。
そう「短編ミステリ」といっても、それぞれが独立したエピソードなわけではなく、
話そのものはプロローグからずっと繋がっているんです。
ここで登場する『名言随筆 サラリーマン』エピソードの真相も、
実は、“好きになれない”『クラクラ日記』を栞子さんがなぜ持っているのか、ということにつながっていたわけですね。
この辺も踏まえつつ、改めて読んでみると面白いですよ。
●第三話 足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』(鶴書房)
話を聞けば聞くほど、母親は彼女とよく似ている気がする。引っ込み思案ではなさそうだが、娘と同じく仕事熱心な本の虫で、本に関しては鋭い洞察力を持っている。(本文224ページより引用)
さて、栞子の母、篠川智恵子です。
この章でようやく、その謎のベールの一部が見え始めます。
序盤で、母親の智恵子と栞子はよく似ていることが語られます。なにしろ、あの「かすれて上手じゃない」口笛さえも智恵子の癖だったというのですから、もうほとんど同一人物あつかいです。
でもだからこそ、栞子さんの苦悩は深いのですね。
そんな、母のことは思い出したくない、という栞子さんに対して「話したくなったら、いつでも聞きます」という五浦くんですが、ここで、前章の元カノの話がいきるんですよね。
彼は一度、相手がなにを考えているか、よく分からないまま、つき合って失敗しています。
だからこそ、「あなたのことを、よく知りたい」というセリフが嘘くさく感じないわけです。
で、栞子さんが語る母親の人物像は想像を超えるものでした。
その母親と似ていれば似ているほど、彼女は絶望し、人を愛することさえも拒絶してしまうわけです。
彼女が人付き合いをうまくできないのは、そんな母親のことも頭にあるからなのかもしれませんね。
それにしても、
「……わたし、一生結婚しないつもりです」
(中略)
「どなたかと結婚して、どんな幸せな家庭を築いても、いつか母みたいに、家族を捨ててしまうかもしれない……そうしないという、自信がないんです」(本文246ページより引用)
この時点では、栞子さん、こんなことを言っていたんですね。
5巻のラストまで読んだ身からすると、なんだか別の意味でも感慨深いですね。
(なぜか遠回しに拒絶された気がする、という五浦くんがかわいいw)
この章の最後で、栞子さんから『最後の世界大戦』の結末が語られます。
その内容に五浦くんは、素直に「……いい結末だ」と感想をもらします。
今回、再読してみて、ここが特に印象的でしたね。
栞子さんがため息まじりで、「そうかも、しれませんね」と応えたことも含めて、
今後の展開にもつながってくるのかなとも感じました。
篠川母子の物語がどういう結末になるか、まだわかりません。
ただ、私も最後には、「……いい結末だ」という感想を言えればいいなと思います。
●エピローグ 坂口三千代『クラクラ日記』(文藝春秋)・II
誰かのことを深く知ろうと思ったら、詮索めいたこともせざるを得ないんじゃないか。なにもせずにただ見守っていたら、今ある関係もなくなってしまうかもしれない。(本文252ページより引用)
七里ヶ浜の海岸の母親について話した以降、ふたりは少しずつ近づいていきます。
仕事上がりに飲み物を一緒に飲んだり、夕食のお誘いを受けたり。
この辺は、何かもう中学生みたいですね。20代の恋愛とは思えない。
そして、五浦くんは、栞子さんのある“秘密”について、推理をします。
最後に五浦くんが探偵役になる展開は1巻同様ですが、ここでの意味はまったく違いますよね。
そう、なにもせずにただ見守るのではなく、「深く知ろう」とした結果での“探偵役”なわけです。
そして、それは、司馬遼太郎の「他人の秘事をなぜあれほどの執拗さであばきたてねばならないのか」という探偵小説への批判に対する、ひとつの答えでもあったわけです。
それにしても、ここでの栞子さんは、いつもの内気で人見知りな栞子さんとはちょっと違いますよね。
「……当てるだけですか?」とか「はい。では、それで」とか、どこか、五浦くんを誘導していたようなフシがあります。
もしかすると、ここでの「クラクラ日記」の件は、最初から、「栞子の作戦」だったのかもしれません。そう、高坂晶穂が高二の夏に「わたしの作戦」を実行したのと同じように。
ところで、この2巻のあとがきで三上さんは、「物語はようやく本編」と述べています。
つまり、智恵子さんの話からが“本番”ということです。
『ビブリア古書堂の事件手帖』という作品は、
古書にまつわる謎解きミステリである前に、そして、篠川栞子と五浦大輔の恋愛物語である前に、なによりも親子の物語であるのでしょう。
わたしは、親を失った子供の、放浪の物語でもあると思うんです……(本文232ページより引用)
『最後の世界大戦』について語った、この栞子さんのセリフは、実は『ビブリア古書堂の事件手帖』という作品にもあてはまるような気もします。
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