「なにかのご縁2 ゆかりくん、碧い瞳と縁を追う」感想~縁は切れるもの~
![]() | なにかのご縁 (2) ゆかりくん、碧い瞳と縁を追う (メディアワークス文庫) (2014/09/25) 野崎まど 商品詳細を見る |
1巻目の感想はこちら。
野崎まどらしからぬ(?)“ほっこり”エンタメ、「なにかのご縁」シリーズ。
1年半ぶりの続刊でも変わることなく、「人と人との“こころのつながり”を描いた、ハートウォーミング・ストーリー」を貫き通しています。
やはり“野崎まど”なので、どうしても最後に「ちゃぶ台返し」があるのではないかと身構えてしまうのですが、この作品に限っては心配無用かと思いますね。
それで、えー2巻のあらすじですか。
まあ今回に限っては一言でいいでしょう。
ゆかりくんとうさぎさんに「ライバル」出現!
これで十分ですね。
しかも、そのライバルというのが、
碧い瞳のフランス貴族出身の留学生とそのお目付役の茶色いうさぎだというのですから、
まあある意味、メタフィクションならぬ「ベタ」フィクションといってもいいくらいの展開です。
というわけで今回は、彼らのおかげで、1巻以上によりコメディ色が強い作風になっています。
前回同様、全4話の連作短編となっていますので、まずは各1話ずつ見ていきましょう。
●第一話
『入学おめでとう! 春のにわかカップル特集』
祝っているのか妬んでいるのかよくわからない番組だ。
(中略)
「新入生の絡んだカップルのそばには必ずお前がいた」
「それは奇遇ですね」
「インタビューした何人かはお前のことを覚えていた。ストーカーだと言っていた」
(本文28ページから31ページより引用)
冬が過ぎ、季節は春。出会いの季節でもある春は縁の“兆し”が増えるとのことで、ゆかりくんとうさぎさんも大忙し。
当然、毎日のように、縁を結ぶ相手を捜したり、兆しのある人をその兆しが熟すまで付け回したりするわけですが、そのせいで、ゆかりくんは、ある人間から「縁結びの力」があると疑われる様になります。
その怪しげな行動で周りから「疑惑」を持たれる。
こういう主人公が秘密裏にミッションを遂行していく物語には定番の展開ですよね。
そして、これまたお決まりのパターンでその力を貸せとばかりに、「縁結び」を半ば強要されるわけです。
で、ゆかりくんは縁結びのことがバレたら政府の実験台になるのではと、焦るわけですが、
うさぎさんには、そもそも“縁の紐”が見えるのは自分らだけで、他の人たちには見えないのだから知らぬ存ぜぬで通せば大丈夫だと、諭されます。
確かにそれはその通りで、縁の紐があることを証明することは不可能なのですから、
なにをおとぎ話みたいなことを、としらを通せばいいわけです。
ところが、そこは我らがゆかりくん、人のことをほっとける性格ではありません。
もう帰ってもらうのは楽勝だった。だから僕はこの不躾で失礼なカメラさんに、最後に一言言ってやったのだった。
「あの……事情があるなら話くらいは聞きますけど」
(本文38ページから引用)
いやあ、最高ですね。これでこそ、主人公というもんでしょう!そうしなければ話は始まりませんからね。
ただ、ここで語られる“映画泥棒”ことカメラさんと美人女子アナ小玉さんの縁はさほど重要ではありません。
この第一話のポイントはうさぎさんの以下の台詞にあります。
「いいか。縁が見えるのはわしとお前だけじゃ。見えんものをいくら有るといっても誰も証明できん。というかわしらにもできん」(本文34ページから35ページより引用)
そう、今まで縁が見えるのはうさぎさんとゆかりくんだけだったのです。これが「ライバル登場」の伏線となるわけですね。
さて話としては、今回カメラさんと小玉さんの縁を結べば、いよいよゆかりくんの縁も結んでもらう、となるわけですが……。
その暁にはついに僕の縁の物語が始まるのである。長かった戦いも最終章に到達したということだろう。三〇〇ページの文庫本で言えばきっと二四〇ページくらいであろうと思う。クライマックスは近い。(本文90ページより引用)
ここはちょっと吹き出してしまいましたね。いやあ、実に“まど”ぽいじゃありませんか。
実際この文庫は本文315ページで、この時点で90ページ目ですからね。フラグなんてものじゃありません。
で、結末としてはもちろん、ゆかりくんは縁を結ぶことができず、かわりに「別の誰か」が、縁を結んでしまうことになるわけです。
●第二話
「この世には“流れ”がある。人が流れのままに生きるのが最良とは言わん。しかし流れに逆らうことが良でもない。肝要なのは唯一つ。」
うさぎさんが、最後のたまごサンドを手に取る。
「受け入れることじゃ」
「受け入れる……」
「望まぬことも、何かの縁だと思うてな」
個人的に一番好きな話です。
テーマは「縁」の“綻び”。要するに“兆し”とは逆の「縁が切れる前兆」のことですね。
あるカップルの縁が切れそうになるのですが、
それを例の「ライバル」たちが「縁結び勝負」と位置づけ、先に修復したものをより優れた縁結びとしようとけしかけてくるわけです。
で、「ライバル」の縁結びコンビ、フランス留学生のローランくんと茶色い長毛モッフモフうさぎ、ユリシーズですが、これが実に愛すべきキャラなんです。
“縁”を見る者を輩出する家系だという彼らは縁結びの試練として、自分たち以外の縁結びを探していたらしいんですが、普通こういった「お坊ちゃま」キャラって、鼻持ちならないキザなタイプが定番ですよね。
もしくは、人の好いゆかりくんに対して、ドライでクールに私情を挟まず縁を結んだり切ったりできるようなパターンか。
ローランくんはそうではありません。そもそも彼はゆかりくんより「縁の紐」が見えていません(!)。
なので、確かに貴族であることを鼻にかけるようなことは言いますが、どこか抜けているというか棘がないんですね。
で、ゆかりくん同様、人情家でもあります。いや、ゆかりくんとはちょっと違いますね。どちらかというと「熱血漢」なんですよ。
それは、縁の紐がよく見えないからこそできることなのかもしれません。
ゆえに彼は“兆し”だの“綻び”だのを気にせずに、純粋にただ思ったことを言い、感じたように動くんです。
縁が見えてしまうがゆえに苦労しているゆかりくんに対して、実に絶妙な配置のライバルなんですよね。
そんなローランくんの活躍もあり、カップルの縁は見事修復されます。
ローランとの勝ち負けなんかそっちのけで、ただ二人の縁が固く修復されたことにもらい泣きするゆかりくんは、本当に人が良すぎるくらいです。
ところが、話はそこで終わりません。
「数ある縁の中でも、見るのが難しい類のものだ。わしですら見るには力を使う。人の身のお前に見えんのはしょうがない。(後略)」(本文185ページより引用)
実はこの話は恋人の縁の“綻び”が主題ではなかったんですね。
それはローランくんどころか、ゆかりくんにも決して見ることができない「縁」だったのです。
ゆかりくんシリーズの中でももっとも切なく、そして優しい話でした。
●第三話
「縁を結ぶぞ」
「何の?」
「学生と、古代オリエントの縁だ」
僕はふへへと笑った。(本文197ページより引用)
ローランくんの魅力爆発回ですね。
うさぎさんには“世界史の教科書に載るレベルの阿呆”とまで言われ、
「じい」ことユリシーズにさえ、
「じい。フランス王妃の縁すら結んだお前にも古代オリエントの縁は見えないと言うのだな」
「わたくしめが老眼でさえなければ……ごほごほ」(本文198ページより引用)
といなされてしまう始末ですが、彼はそんなことで傷心しません。
うさぎにさえ見えないような縁を自分が見つけたなら、自分は世界最高の縁結びだとばかりに意気揚々と奮闘するローランくんは本当にかっこいいです。
もはやイヤミなおフランス留学生というライバルキャラのイメージは微塵もなくなってきていますが、こっちの方がゆかりくんのライバルとして相応しい気がします。
「あの時、縁を結んだような光を見た気がしたんですけど」
僕は半信半疑で言う。
「……もしかして、本当に古代オリエントの縁?」
「さあな。光っとったから結んだだけじゃ。何の縁かは知らん。古代オリエントの縁なんて無いと思うがの」(本文227ページより引用)
最後にうさぎさんはローランはゆかりくんより縁結びの才能があるかもしれない、と言います。
この話を読んで、私もできればそうであってほしいと思ってしまいました。
だって、縁の紐が見えることだけが縁結びの才能なんて寂しいじゃないですか。
できれば、縁になんかしら影響を与えられる才能があってほしいですよ。
それに、縁が見えるよりも見えないほうに才能がある、ていうのが、この作品らしいというか、“まど”ぽいと思うんですよね。
ひねくれているようで、実はそのほうが人間賛歌になっている感じが。
●第四話
「縁を切ることによる変化、痛み、悲しみ、無念。それら全てを正面から受け入れ、そして乗り越えること。それが坊ちゃまの縁結び最終試験にございます」(本文240ページより引用)
1巻同様、最後の話は「縁切り」がテーマ。
ユリシーズから“最後の修行”と称して、「縁切り」を命じられたローランくんは、ゆかりくんに縁をみるコツを教えてくれと頼みます。
本質的に人がいいゆかりくんはぶつぶつ言いながらも宿敵でもあるローランくんに一所懸命付き合いますが、なかなか上達しません。
どんなに練習が辛くても決して諦めないローランくんが理解できないゆかりくんは、どうしてそんなに縁が見えるようになりたいのかと尋ねます。
彼の話は、僕に小さなショックを与えていた。
ローランには強い意志があった。彼は縁に人生を救われて、縁の素晴しさを感じて、自分から縁結びになろうと決意し、今この瞬間も努力を払っている。
(中略)
どうしても縁が見たい人に縁は見えなくて。
見たくないと思っている僕に縁が見えていて。
僕はため息を吐いた。なんで世の中というのはこう上手くいかないようにできているのだろう。
(本文254ページより引用)
ローランくんに縁の紐が見えない設定にしたのは、なにもドタバタをやりたいがためではなく、
こういった「世の理」に基づいているからなのですね。
「縁」は人の与り知らぬ世の理。
このシリーズに一貫して流れているテーマです。
そして後半、なぜユリシーズが“最後の修行”をローランに急がせるのかその理由が明らかになります。
それはあまりに重く、恐ろしいものでした。
「お前には見えぬ縁が未だ多くある。これはその中でも、最も見るのが難しい類いの縁である。そしてなにより、人の世で生きるものならば、見えてはいけない縁なのじゃ」(本文271ページより引用)
見えてはいけない縁。それは“この世”の縁。
その縁をローランくんは切らなければ縁結びの道を諦めて国に帰らなければなりません。
「この世の縁は命の理。他の縁の事ならば、多少なりとも兆しや綻びに挑むこともできよう。だがこれだけはどんな力を持ってしても絶対に変えられん。受け入れるしかないのだ。命は縁持って生まれ、縁切れて消える。この世の縁はいつの日か必ず切れる。切れないものはそもそも命ではないのだから」(本文273ページから274ページより引用)
縁は切れるもの。それがこの世の理。
それは誰もが知っていることなのに、なかなか素直に受け入れることができないやっかいな縁です。
ローランくんとゆかりくんたちが、この縁切りに対してどう向かっていくのかは、本編を読んでのお楽しみですが、きっと、この「最終試験」は人間だれもがいつかは受けなければいけない試験なんでしょうね。
●縁の物語は続いていく
あとがきで野崎まどはこう記しています。
一巻と二巻、前の本と新しい本の間にも、一本の新たな縁が生まれている。
点が増えればそれを繋ぐ線も増え、本が増えればそれを繋ぐ縁が増える。
願わくば、この縁の物語がこれからも続いていきますように。
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