「高橋留美子主義者」の独白〜境界のRINNEアニメ化の感想に変えて〜
少年サンデーに連載中の「境界のRINNE」がアニメ化だそうです。
これまで何度も「高橋留美子主義者」を自称してきた“なりそこない”ですが、
実は「境界のRINNE」についてはあまり真面目な愛読者とは言えません。
一応、義務感からコミックスこそ買ってはいますが、サンデーも購読しなくなって20年以上経ちますし、正直、“高橋留美子ファン”と胸を張って言えない後ろめたさがあります。
要するに私は「高橋留美子」ファン以上に、「うる星・めぞん」ファンなんですよ。
「らんま1/2」以前の80年代留美子ファンと言ってもいいかもしれません。
個人的な思いとして、1987年に「うる星やつら」「めぞん一刻」と立て続けに終了してから、どこか“ひと区切り”というか、ふんぎりがついた感があるんですね。
だからかもしれませんが、「らんま1/2」も「犬夜叉」もハマれませんでした。
まあ、世代的なこともあるのでしょうが(※)、やっぱり「うる星やつら」「めぞん一刻」こそが、「高橋留美子」のすべて、という感覚があった気がするんです。
(※ちなみに「らんま」や「犬夜叉」はそれまでのファン層ではなく、女子中学生ぐらいに読んでもらうことを意識していたらしいです。)
もちろん、高橋留美子ファンを卒業した、という意味ではなくって、その後も「人魚シリーズ」や「高橋留美子劇場」はずっと追いかけていましたし、これらの作品は名作だと思っています。
が、やはり、連載ものの「少年マンガ」こそが王道と考えている私にとって、週刊連載の作品にいまいちノれないことは罪深いことなんです。
で、今回の「境界のRINNE」。
素直な感想として、つまらなくは、ないです。それなりに楽しめることは間違いないです。
でもストレートに「面白い!」とは言いづらい。そんな感じなんですね。
その理由もいろいろ考えられるのですが、やはり、大きいのはヒロインでしょうか。
真宮桜はるーみっくヒロインの中でもちょっと異色すぎます。
ラムにせよ、音無響子にせよ、天道あかねにせよ、もしくは日暮かごめにせよ、“激情型”の女性です。
るーみっくわーるどの根幹として、ヒロインの嫉妬や理不尽な言動に振り回される主人公、という構図がずっとあったわけです。
それに比べ、桜のテンションの低さというか、あの醒めた感じはどうしてもオールドファンには戸惑いが先にきてしまうんです。
最初は、ずっと似たようなタイプのヒロインばかりを描いてきたので、ちょっと変化をつけようかという軽いノリでこういうキャラクターにしたのかな、と思っていたんですよ。
でも、この間のスペリオールの短編を読んでみて、この空気感はもしかしたら「今の高橋留美子の自然な形」なのかもしれないなと思い始めたんですね。
つまり、以前のようなヒロイン像をもはや描けなくなっているのかもしれない、ということなんです。
まあ「枯れた」とまでは言いたくありませんが、やはり、年齢とともにセンスも変わってくるものですしね。
ただ、桜の無反応さというか、傍観者的なポジションは少なくとも作品の面白さに与していないのは間違いないかと思います。
連載当初こそ、今までにないヒロインとして新鮮さも感じなくもなかったですが、ラムや響子さんの魅力を知っているだけにどうしても、ね。
こういう醒めたキャラにする意味がよくわからないんですよ。
まあ、普通に考えれば主人公のりんねとの対比でということなんでしょうが、いまいち成功していないというか、読んでいて別にはらはらしませんからね、2人の仲に。
そのうち、桜がこういう性格になったきっかけみたいなエピソードが出てくれば、それなりに感情移入できるヒロインになるかもしれませんが、今のところは無理ですね。
それでも、ドタバタのノリは確かに「うる星」や初期の「らんま」に近い気はします。
「らんま」や「犬夜叉」は比較的低年齢層に向けて描いたと言われますが、
「RINNE」はむしろ、かつてのオールドおたく向けに描いているのではないかと思うくらいノリが80年代の匂いがしますね。
そういった面では少なくとも「犬夜叉」よりは楽しんで読んでいます。
でもねー。なんか郷愁感がハンパないんです。
笑えるとか面白いとかよりも“なつかしい”がどうしても先にきてしまうんですよ。
だから素直に楽しめない。
まあこれは作品そのものの責任というよりも、受け取り側の問題も多々あるかと思いますけどね。
正直、何をやりたいのか、よくわからないんですよ。
ギャグをやりたいのかラブコメなのか伝奇ものをやりたいのか、方向性がずーと見えてこないまま、5年以上過ぎてしまった、というね。
まあ何を考えているのかわからないという点では、ヒロインの桜はこの作品を象徴していますね。
そういった意味では彼女はやはりこの作品のヒロインではあるのでしょう。
個人的にも、あれば読むけど別に読めなくてもかまわない、といった程度の熱ですから、もともとそういった醒めた楽しみ方が合っている作品なのかもしれません。
けっきょくは「キャラクター」に行き着きますね。
ドタバタがいくら楽しかろうとも、キャラクターに魅力を感じられなければ、所詮は“懐メロ”ですから。
というわけで、私にとって「境界のRINNE」は伝説のバンドの一夜限りの再結成に近いです。
懐かしいですしその場ではまあ楽しかったりもしますが、何も残らないというか。
まあ、それでもアニメは楽しみです。
マンネリだろうと惰性だろうとやっぱりそれなりに楽しめるのも事実ですし。
それに、40代の“なりそこない”にはただ懐かしいだけでも、今の若い人にはまた違った感想があるかもしれませんですしね。
ところで、「Eテレ」にて放映というのはアニメ的にどういう意味があるんでしょう?
自分はアニメに詳しくないんで、よくわからないんですが、最近は教養系じゃなくてもいいんでしょうか?
どうしてもNHKアニメというと「未来少年コナン」とかのイメージなんで、じじい的にはちょっと違和感がありますw
まあ、ある意味「エロ」のない大人しい「らんま」的なイメージはありますし、桜の“うるさくない”ヒロイン像はNHK向きなのかもしれませんね。
これまで何度も「高橋留美子主義者」を自称してきた“なりそこない”ですが、
実は「境界のRINNE」についてはあまり真面目な愛読者とは言えません。
一応、義務感からコミックスこそ買ってはいますが、サンデーも購読しなくなって20年以上経ちますし、正直、“高橋留美子ファン”と胸を張って言えない後ろめたさがあります。
要するに私は「高橋留美子」ファン以上に、「うる星・めぞん」ファンなんですよ。
「らんま1/2」以前の80年代留美子ファンと言ってもいいかもしれません。
個人的な思いとして、1987年に「うる星やつら」「めぞん一刻」と立て続けに終了してから、どこか“ひと区切り”というか、ふんぎりがついた感があるんですね。
だからかもしれませんが、「らんま1/2」も「犬夜叉」もハマれませんでした。
まあ、世代的なこともあるのでしょうが(※)、やっぱり「うる星やつら」「めぞん一刻」こそが、「高橋留美子」のすべて、という感覚があった気がするんです。
(※ちなみに「らんま」や「犬夜叉」はそれまでのファン層ではなく、女子中学生ぐらいに読んでもらうことを意識していたらしいです。)
もちろん、高橋留美子ファンを卒業した、という意味ではなくって、その後も「人魚シリーズ」や「高橋留美子劇場」はずっと追いかけていましたし、これらの作品は名作だと思っています。
が、やはり、連載ものの「少年マンガ」こそが王道と考えている私にとって、週刊連載の作品にいまいちノれないことは罪深いことなんです。
で、今回の「境界のRINNE」。
素直な感想として、つまらなくは、ないです。それなりに楽しめることは間違いないです。
でもストレートに「面白い!」とは言いづらい。そんな感じなんですね。
その理由もいろいろ考えられるのですが、やはり、大きいのはヒロインでしょうか。
真宮桜はるーみっくヒロインの中でもちょっと異色すぎます。
ラムにせよ、音無響子にせよ、天道あかねにせよ、もしくは日暮かごめにせよ、“激情型”の女性です。
るーみっくわーるどの根幹として、ヒロインの嫉妬や理不尽な言動に振り回される主人公、という構図がずっとあったわけです。
それに比べ、桜のテンションの低さというか、あの醒めた感じはどうしてもオールドファンには戸惑いが先にきてしまうんです。
最初は、ずっと似たようなタイプのヒロインばかりを描いてきたので、ちょっと変化をつけようかという軽いノリでこういうキャラクターにしたのかな、と思っていたんですよ。
でも、この間のスペリオールの短編を読んでみて、この空気感はもしかしたら「今の高橋留美子の自然な形」なのかもしれないなと思い始めたんですね。
つまり、以前のようなヒロイン像をもはや描けなくなっているのかもしれない、ということなんです。
まあ「枯れた」とまでは言いたくありませんが、やはり、年齢とともにセンスも変わってくるものですしね。
ただ、桜の無反応さというか、傍観者的なポジションは少なくとも作品の面白さに与していないのは間違いないかと思います。
連載当初こそ、今までにないヒロインとして新鮮さも感じなくもなかったですが、ラムや響子さんの魅力を知っているだけにどうしても、ね。
こういう醒めたキャラにする意味がよくわからないんですよ。
まあ、普通に考えれば主人公のりんねとの対比でということなんでしょうが、いまいち成功していないというか、読んでいて別にはらはらしませんからね、2人の仲に。
そのうち、桜がこういう性格になったきっかけみたいなエピソードが出てくれば、それなりに感情移入できるヒロインになるかもしれませんが、今のところは無理ですね。
それでも、ドタバタのノリは確かに「うる星」や初期の「らんま」に近い気はします。
「らんま」や「犬夜叉」は比較的低年齢層に向けて描いたと言われますが、
「RINNE」はむしろ、かつてのオールドおたく向けに描いているのではないかと思うくらいノリが80年代の匂いがしますね。
そういった面では少なくとも「犬夜叉」よりは楽しんで読んでいます。
でもねー。なんか郷愁感がハンパないんです。
笑えるとか面白いとかよりも“なつかしい”がどうしても先にきてしまうんですよ。
だから素直に楽しめない。
まあこれは作品そのものの責任というよりも、受け取り側の問題も多々あるかと思いますけどね。
正直、何をやりたいのか、よくわからないんですよ。
ギャグをやりたいのかラブコメなのか伝奇ものをやりたいのか、方向性がずーと見えてこないまま、5年以上過ぎてしまった、というね。
まあ何を考えているのかわからないという点では、ヒロインの桜はこの作品を象徴していますね。
そういった意味では彼女はやはりこの作品のヒロインではあるのでしょう。
個人的にも、あれば読むけど別に読めなくてもかまわない、といった程度の熱ですから、もともとそういった醒めた楽しみ方が合っている作品なのかもしれません。
けっきょくは「キャラクター」に行き着きますね。
ドタバタがいくら楽しかろうとも、キャラクターに魅力を感じられなければ、所詮は“懐メロ”ですから。
というわけで、私にとって「境界のRINNE」は伝説のバンドの一夜限りの再結成に近いです。
懐かしいですしその場ではまあ楽しかったりもしますが、何も残らないというか。
まあ、それでもアニメは楽しみです。
マンネリだろうと惰性だろうとやっぱりそれなりに楽しめるのも事実ですし。
それに、40代の“なりそこない”にはただ懐かしいだけでも、今の若い人にはまた違った感想があるかもしれませんですしね。
ところで、「Eテレ」にて放映というのはアニメ的にどういう意味があるんでしょう?
自分はアニメに詳しくないんで、よくわからないんですが、最近は教養系じゃなくてもいいんでしょうか?
どうしてもNHKアニメというと「未来少年コナン」とかのイメージなんで、じじい的にはちょっと違和感がありますw
まあ、ある意味「エロ」のない大人しい「らんま」的なイメージはありますし、桜の“うるさくない”ヒロイン像はNHK向きなのかもしれませんね。
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