「女騎士さん、ジャスコ行こうよ」感想~「ジャスコ」をめぐる壮大な物語~
![]() | 女騎士さん、ジャスコ行こうよ (MF文庫J) (2014/09/24) 伊藤 ヒロ 商品詳細を見る |
これはひどい(褒め言葉)。
このネットスラングはこの作品のためにあるのではないかと思ったぐらいに、まあ“ひどい”作品でしたね。
いやもちろん、「ひどすぎてかえって笑える」的なアレではなく、「(褒め言葉)」がポイントですよ?
歳を取ると流行に疎くなるもので、この作品がネット界隈で話題になっていたことを知ったのはけっこう後になってからだったのですが、
ネタとしては面白いけどまあ所詮話題先行だな、とスルーしていたんですね。
ところが、いつのまにやら品切れ続出で店頭にならんでいなかったり、
「関連RT数1万越えの問題作、発売直後に緊急大重版!」だったりと、
さすがにちょっと気になる存在になってきたんですよ。
で、書店をのぞいたら、たまたま重版が平積みになっていたんで、試しに購入してみたんです。

そしたらこれがまた実に意外なことに、80年代に青春を送った“おたく崩れ”にも楽しめるスラプスティックコメディだったんだから驚きですよ。
やっぱり何事も変な色眼鏡で見てはいけませんね。
というわけでまずは、あらすじを。
舞台は岐阜と長野と愛知の三つの県の県境近くにある平家町。そのど田舎に住む普通の高校生、瀬田燐一郎は雨の夜に田んぼの見回り中、鎧と西洋剣を装備している「まるで女騎士のような女の人」とフリルだらけのドレスと宝石がはめ込められている王冠を身につけている「絵に描いたようなお姫様」を拾う。
女騎士・クラウゼラとお姫様・ポーリリファはなんと、異世界“魔法地平”の人間で、故郷の国家をオークに攻められ、命からがら逃れてきたのだという。
とまあ、ここまでは最近よくある“日常系ファンタジーコメディ”といった具合でしょうか。
「はたらく魔王さま!」とか「勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。」とか、現代日本には魔王や勇者がたくさんいますが、これもその系列といっていいでしょう。
ただ、世界構造というか、舞台である「平家町」には少しひねりを入れてあります。
そのひねりこそがこの作品の肝になるわけです。
といっても、それほど特筆するべきストーリーはありません。
あまり真面目に考えずに、単純にドタバタを楽しむべき作品です。
ところで、私は恥ずかしながら作者の“伊藤ヒロ”さんを知らなかったのですが、
調べてみると、もともとはエロゲーシナリオライター出身の方で、ライトノベルでは「魔王が家賃を払ってくれない」などを書かれていたんですね。なるほど、それでこういう作風なんですね。納得です。
あと念のため、ことわっておきますが、
この作品、いわゆるニッチなオタクネタというか、はっきり言うと「エロゲー」ネタが満載ですので、そういったものに嫌悪感を抱く方にはおすすめできません。あらかじめご了承を。
※以下、一応ネタバレ注意。
●舞台の平家町は“友引町”
“日常系ファンタジーコメディ”というのは、魔王とか勇者とかファンタジー系の存在を「所帯染みた」日常に組み込む事によって、そのギャップをコメディとして昇華するスタイルのことですが、これって実は昔からあるパターンなんですよね。
具体的にいうと、1980年代における「うる星やつら」や「県立地球防衛軍」などの日常系SFギャグの文脈がルーツかなと思うんです。
例えばアニメ「うる星やつら劇場版 オンリー・ユー」でも宇宙に牛丼屋があったりするのですが、
ああいう非日常と日常をいっしょに組み込むことによるアンバランスな笑いというのは昨今のライトノベル界隈だけではなくって、昔からある笑いのひとつなんですよ。
それと、SFやファンタジー的な世界に“ぬか漬け臭さ”を持ち込むことによって、その嘘くささをあてこする意味合いもありますね。
もっとさかのぼれば「ウルトラセブン」で、メトロン星人とセブンのちゃぶ台挟んでの話し合いなんかもありますよね。あのシュールさも80年代頃になって注目を浴びたような気がします。
というわけで、この作品の舞台、平家町は要するに「うる星やつら」における“友引町”なんですよ。
まず、クラウゼラもポーリリファも亡命してきたという悲壮感がありません。
それもそのはず、彼女等の祖国「イース」と日本は昔から国交があったのですね。
もう始めから、魔法世界も岐阜の田舎町もいっしょくたなんですよ。
そして、それだけではなく、ここ平家町はその名の通り、平家の落ち武者が逃げ込んできて作った町で、昔から余所から落ち延びてきた者たちを積極的に受け入れてきたんですね。
なので現在では、宇宙人や海底人、地底人から吸血鬼まで亡命政府が実に七つもある町なんです。(イース国を含めると八つ)
つまり、あらゆる世界空間がこの人口873人の田舎町を媒体にして繋がっている。
もうこのなんでもありの混沌さは、まさに現代の“友引町”そのものですね。
町そのものが宇宙人やら幽霊やら妖精やらあらゆる非日常的な存在を呼び寄せる“亜空間”というか、そういう磁場が働いているとしか思えない場所なんです。
●キャラクターのひどさw
でてくるキャラクターもまあ、むちゃくちゃです。
弱冠8歳のポーリリファ姫は重度なエロゲオタで、なにかあるごとに「きゅ~~~っ」と気絶しちゃうし、
ヒロイン(?)の女騎士クラウゼラは、一騎当千の最強の剣士でポー姫に絶対服従。なにかにつけて「くっ、殺せ」ばかり言っているし、
燐一郎のばあちゃんは口八丁でクラウゼラをこき使い、嫁いびりがしたいがためにクラウゼラを主人公とくっつけたがるし、
燐一郎たちのクラスメイトで、アトランティス亡命政府の守護女神である水神さんは「キシャー、シュルルル」しか言わない“触手モンスター”だし、
そして燐一郎はなぜかそんな水神を美人で真面目なマドンナ的存在と認識していて、主人公に惚れているツンデレ幼なじみの宮藤みやにはまったく好意を抱いてもいない一方、なぜか水神さんには性的魅力を感じてしまっている……
とまあ、もうほんと「ひどい」(褒め言葉)ですw
ベタなお約束であるようで、どこかおちょくっている感じがすばらしいですね。
どのキャラクターも定型的であるようで、ほんの少しそこからはみ出た一面をちらっと見せることで、ちょっとしたフックになっているんですよ。
特にヒロインのクラウゼラはすごく魅力的だと思います。
戦うことのみにしか生きる意味を知らなかった女騎士が、なんにもない平和なくそ田舎で生活する、というコンセプト自体だけでもうキャラ立ちしてしまう感じが好きですね。
あと水神さん!
読んでいるうちに本当に可愛くみえてきてしまうのが、怖いですw
こういう“モンスター”をヒロイン扱いする感じも80年代ぽいんだよなあ…
●意外にしっかりとしたストーリー展開
といっても、何も考えずにただむちゃくちゃやっている作品ではありません。
それぞれのキャラクターのカオスな設定が、最後に意味を持ってくる「ロングパス超展開」は、逆に感動的なぐらいです。
ポーリリファ姫が低価格エロゲーをやたらクラウゼラにやらせていたのも、
ばあちゃんがクラウゼラを嫁いびりよろしく、こきつかっていたのも、
燐一郎がやたらオタクネタへのツッコミに的確なのも、
全部最後のバトル展開への伏線だったとは……。
いや、本当によく考えて抜いた“おふざけ”ですね。
要するに、「こんな他愛無い“ネタ”設定が実は大きな伏線だったりして」という壮大な“ネタ”なわけですよ。
“おふざけ”だからといってノリで適当に書き散らすのではなく、
“おふざけ”だからこそ手を抜かずに、精一杯ふざける。
こういった姿勢はすごく好感が持てます。
●テーマは「ジャスコ」
「おお、ジャスコ――そこに行けばどんな夢でも叶うという、どこか遠くにあるユートピア……。偉大な海賊王が、この世の全てを置いてきたという……」(本文12ページより引用)
この作品のテーマは「ジャスコ」です。
インパクトのあるタイトルのせいで、どうしても“出オチ”と思われがちですが、
物語はまさに「ジャスコ」をめぐっての話なんです。
ここでいう“いわゆるジャスコ”はまさに田舎の象徴。
要するに「ジャスコ」じゃないんです。別の会社の『ジャスコ的な大規模お買い物施設』をこの町の住民は“ジャスコ”と呼んでいるんですね。
つまり、「ゲーム機」をすべて“ファミコン”と呼んだり、「ヘッドホンステレオ」はなんでも“ウォークマン”だったりするあの感覚での“ジャスコ”なわけです。
このなんとも昭和臭い感覚こそがこの作品のテーマといってもいいでしょう。
平家町は田舎です。でも全然魅力的じゃないんですよ。
これといった名産も文化施設もなく、かといって美しい自然に包まれている訳でもない。
山にはゴルフ場、植樹された杉ばかり。川沿いには工場が建っていて煙突から煙を吐き出している。臭くてきたない、「リアルな田舎」なんです。
そして、大型ショッピングモール「ジャスコ」はこのどうしようもない田舎の象徴でもあるわけなんですね。
で、この「ジャスコ」という存在に、キャラクターたちが振り回されて行く様を描いたのがこの「女騎士さん、ジャスコ行こうよ」になんです。
なにしろ「ジャスコ」のせいで、最終的には町が分断されて戦争が始まりますからねw
ある意味、壮大な物語ですよ。
●メッセージはいらない
《魔法地平(シーズベッド)》は戦乱の世界だ。そこから逃げてきた彼女は、この町が好きだと言っていた。
この町の景色が。人々が。
戦いのない、この町の暮らしが好きだと。(本文225ページより引用)
「戦うために品種改良されてきた人間」クラウゼラが田舎の日常の中で、自分の頭で考えることを知り、初めて戦うことを拒否した姿はちょっと感動的でした。
そして「間違った命令に従うのは『騎士』のあるべき姿じゃない!」と訴える燐一郎はかっこいいと言えなくもなかったです。
でも、これらは別にメッセージ性があるものではないんですね。
というか、こういう作品は変にメッセージ性を含めたらとたんに、“ださく”なると思います。(駄作とださいをかけていています)
あくまでクラウゼラという“女騎士”をキャラ立ちさせるために、社会派ぽく演出したに過ぎません。
「この町の人たちは、都会の匂いなんかよりもっと大事なものを持っておる……。」(本文253ページより引用)
いいこと言っているようなポーリリファ姫のこの懺悔もこの作品の“本音”ではなかったでしょう。
そう、ラストでポーリリファ姫が、「ジャ~~スコ~~っ」とだだをこねる姿こそがこの作品のもっとも書きたいことなのですから。
ところで、作品自体はきれいに終わっていますが、エピローグやあとがきを読むとどうやらシリーズ化するようです。
こういったネタは長く続ければ続けるほど「陳腐化」するのが常なので、正直、かなり不安ではありますが、
変に色気を出さずに「真面目にふざける」ことを貫いてくれることを願って止みません。
最後に。
瀬田燐一郎。
クラウゼラ・ルー・コトヴィック。
ポーリリファ・ルーカ・アデルベン・ジャッセン。
これらの登場人物の名前の元ネタを知りたければ、ヤフーで「ヤプー」と検索してみると、幸せになれるかもしれません。
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