不戦無敵の影殺師3 感想
![]() | 不戦無敵の影殺師 3 (ガガガ文庫) (2014/09/18) 森田 季節 商品詳細を見る |
1巻の感想
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2巻の感想
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-34.html
なるほど、こうくるか、といった感じの3巻目でした。
2巻から想像していた展開とはまったく違っていて、ちょっと戸惑いましたね。
ただ、メタ構造でごまかさずに、
「何のために戦うのか」というテーマにきちんと向かい合う方向性が見えたので、その点はよかったです。
2巻で裏の“組織”「御大」の刺客を倒した朱雀たち。第二回KC(ナイトチャンピオンシップ)に備え特訓中の2人に、「御大」の一員が再び現れる。
彼らは仇を討ちにきたわけでも組織の命を受けてきたわけでもなく、単に本当に朱雀たちが「最強」なのか確かめにきたという。
「御大」の“急進派”とでも言うべき彼らは、裏社会に生きる者として表側にはない「規格外」の強さを持っていた。そんな彼らを前にして朱雀はあっけなく負けてしまう。
さらに、最強ではもはやないんだから、KCを辞退しろと要求される。さもなくば表の全事務所を壊滅させると脅された朱雀は……。
とまあ、こんな感じなのですが、ここからさぞ熱い展開が待っていると思いきや、「御大」との対決自体は割とあっさりと決着(?)がついてしまうんですよ。
でラストも、「ひょっとしてこれで完結?」と思ってしまうくらい、きれいな終わり方なんです。実際、打ち切りか?と思ってしまいましたからね。
まあ、あとがきで作者が
「三巻の終わり方がやけにスムーズなので、三巻で完結のように見えるかもしれませんが、このシリーズはまだ続く予定です。」
と記しているくらいですから、意図的だとは思いますが。
ひょっとすると、ここまでで、「第一部完」的なアレなのかもしれません。
※以下ネタバレあり。
それにしても、期待していた2巻の敵キャラ「蟠龍院川匂」も登場しませんし、「御大」はすでに壊滅状態。ますます、今後の展開が読めなくなってきましたね。「天上」という存在をどう定義するかによっても、かなり左右されそうです。
●もう一組の「煌霊使いと煌霊」
今回のテーマは「煌霊使いと煌霊の関係」です。
いままでも「朱雀と小手毬」の関係性はさんざんテーマとして語られてきましたが、
2人の“絆”の問題をさらに押し進め、仕事上のパートナーとしてのあり方にスポットがあてられます。
「御大」の“急進派”として分倍河原と殺々姫というキャラクターが出てきますが、彼らはほとんど物語上、意味がない存在です。単なる「裏最強」という記号にしか過ぎません。
重要なのは、斎村蕣(あさがお)と燧(のろし)というもう一組の「煌霊使いと煌霊」。
煌霊はモノであり使い捨て。煌霊を使うのに感情なんていらない。
斎村の煌霊使いとしての考え方は不快ですらありますが、
「最強」であることを求めるならば確かに正しい“道具”の使い方でもあるんですよね。
マスターの命令に逆らって攻撃を続ける煌霊とか、危険を省みず煌霊をかばう煌霊使いなんていうのはどう考えても甘っちょろいと言われても仕方がない。
そこで朱雀たちが求める「最強」とは何なのか、という問題にぶち当たるわけです。
まだ、この巻ではっきりと答えが出たわけではありません。
ただ、この難しいテーマにメタとしてではなく、ちゃんと「物語」のメッセージとして描いていきたいという森田氏の強い決意はしっかりと伝わりましたね。
●気高い生き方
プロローグで語られる様に、朱雀に出会う前の小手毬は「ただ生かされているだけの存在」でした。そして彼女は煌霊として第二の人生を生きる上でこう訪ねます。
「あなたの煌霊としての生き方は、気高いものですか?」
朱雀はここで“恐怖”を感じます。
「煌霊使い」という職業に対して。小手毬の生きようとする意志に対して。
そして彼はこう告げるのです。
「これから俺のために、生きればいい」と。
思えば今回は、このプロローグがずっと物語の根底に流れているんですね。
例えば、
おまえのためにKCを辞退すると言った朱雀に対して別れを告げた小手毬は、
連れ戻そうとする彼に対して「生かされたくない」と叫びます。
「病室で生かされているだけの昔の私と、今の私は何が違うんですか?」と。
また、
「御大」のトップに乗り込もうとする朱雀たちを止めようとするみぞれに「どうして、大切な人と危険なところに行こうとするの?」と問いつめられたとき、
小手毬は自分が煌霊になる時、「第二の生が気高いものになるかどうか」を質問したのだと答えます。
そして、「私たちが一番輝けるのは、戦っている時」なのだと。
正直いって、息苦しいくらいです。彼女の考え方は。生き方は。
朱雀が契約する際に“恐怖”を感じたのもよくわかります。
でも、「最強」であるためにモノ扱いされる煌霊より、はるかに小手毬は幸せなのでしょう。
●ナイフではなくただの暴力を選んだ
あと、最後のKCにおける斎村と朱雀の戦いもすさまじかったです。
ナイフを頬につけて「降参しろ」「本当に刺すぞ」と投了を求める朱雀に対して、
「刺せない。あなたは表側の人間だから!」と叫ぶ斎村。
ここのシーンはぐっときましたね。
ここで斎村を殺さずにひたすら女の顔を殴る“ただの暴力”を選択する朱雀はかっこよかったです。
これが俺たちの戦いだ。異能力者の戦いだ。視聴者たちはとくと見とけよ。
本当の戦いっていうのはな、胸のすかっとするようなものじゃないんだ。見ているほうが気持ち悪くて、吐きそうになるもんなんだ。
俺たちはフィクションの世界のヒーローじゃない。血がかよっているし、悪事も働く、異様に生々しい存在だ。
(本文257ページより引用)
前巻で一線を越えた朱雀ですが、ここで殺さなかったというのはけっこう面白かったですね。なるほど、KCという舞台で「最強」という地位を失ってでも守りたい何かがあったということなんでしょう。
蜘蛛島に襲われた時、名前もわからない連中を殺した。たしかに、殺した。俺はすでに人殺しだ。どんな理由だろうがそうだ。
でも、今は違う。
(本文254ページより引用)
この煌霊使いとしてかっこ良く殺すことではなく、ただの暴力だけの凄惨な戦いを選択したということが次巻以降の伏線になるような気がします。
●新しい時代へ
そう考えると、「御大」との戦いというのはあまり重要ではなかったのかもしれません。
だからこそ、あっさりとトップと戦うまでもなく壊滅させたのではないでしょうか。
裏の連中を倒せば、今の表の世界が維持できると信じていた。そんなことはない。敵がいなくなれば、裏がなくなれば、表だって変質する。
(本文243ページより引用)
万里のこの台詞はなかなか興味深いです。特に、“敵がいなくなれば”という部分は面白いですね。
「真の敵」とか「黒幕」とかとの戦いではなく、あっけなく敵がいなくなる状態を描きたかったようにも思えますね。
最後の章が“新しい時代へ”とありますが、「第二部」は「表」も「裏」もなくなった世界で異能力者たちはどう生きていくのか、といった方向になる気がします。
●やっぱりキャラクターが……
しかし、相変わらずサブキャラクターたちが薄いです。
分身能力がある仔犬丸も単なる便利な装置扱いですよね。スパイだとか、おとりだとか……。
今回の敵キャラである斎村はいい味を出していたと思いますが、これも前巻の川匂同様、使い捨てキャラになりそうですしね。
ただ、舞花は相変わらずでしたがみぞれにはちょっとおっ、と思わせられました。
「もしね、みずれがすっごく強かったら、強引に止めてたんだけどな。そんな力、みぞれにはないんだよね。やっぱり、この世界は、力のある人の言葉が通っちゃうんだよね」
(本文208ページより引用)
この辺の焦燥をうまく昇華できたなら小手毬のライバル(?)として面白いかもしれませんね。今回で朱雀の「裏」の面もちゃんとわかったでしょうし、その業の深さを受け止めた上で朱雀たちの関係をかき回してもらいたいものです。
滝ヶ峰万里はちょっと隙がなさすぎてねぇ……。
やっぱり異能力者といえど、ある種の“弱さ”がみえないとキャラクターとして魅力を感じないんですよね。
例えば、強すぎるゆえの孤独に悩む、とかでもいいんですよ。「強すぎる」というのも“弱さ”になり得ますからね。
まあ、「天上」との話し合いのあと、泣いてしまった万里はよかったですけどね。
彼女にも感情というものがあったんだとw
●かっこいいシーンはない
これからも朱雀とその周囲の人間の苦悩と決意と苦悩と苦悩を書いていければと思います。
(あとがきより引用)
あとがきによると、
この「不戦無敵の影殺師(ヴァージン・ナイフ)」という作品は、ライトノベルより単行本の仕事に近いやり方で執筆しているそうです。
例えば、かっこいいシーンよりも登場人物の考えや行動をまず前提にしているとか。
たぶん、それが斎村との戦いでひたすら女の顔を殴るシーンに繋がったのでしょう。
本当の戦いにかっこいいシーンなんてない。もっと醜く血なまぐさいものなんだ。
最初こそ戸惑いましたが、読み終えてみると
そんなリアルなメッセージが伝わってくるような味わい深い巻だったと思います。
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