なりそこないの昔話10~1980年代と“おたく”のこと(ドラマ「アオイホノオ」総括にかえて)~
私のような1980年代に青春時代を送った人間にとって、テレ東系ドラマ「アオイホノオ」は夢のような番組でした。
もちろん、若い人たちにとっても十分に面白かったと思いますが、やっぱり、あの時代の空気を知っていると感慨深さもひとしおですよね。
きっと、60年代ドラマや70年代ドラマでもそうなんでしょう。そして、例えば2010年代をテーマにしたドラマなんかは、今の10代にしかわからない何かがあるに違いありません。
その時代を共に生きた者にしか伝わらないものというのも確実にあるのです。
というわけで、今回の昔話はドラマ「アオイホノオ」完結を記念して、「1980年代」について思い返してみたいと思います。
●「カルチャー史」ではない「昔話」としての1980年代
とはいえ、「1980年代」と一言でいっても、総括はなかなか難しいです。
だってたとえば、アオイホノオの舞台である1980年頃と1989年頃って全然時代が違いますよ?
10年ひと昔とは言いますが、時代を10年単位で語るというのも正直どうなのかなと思うわけです。
今、NHK教育テレビでも「ニッポン戦後サブカルチャー史」という年代ごとにサブカルチャーを振り返るシリーズをやっています。むちゃくちゃ面白いんですが、やっぱり結論が大雑把という印象は否めません。まあ時間の都合もあるとは思いますが。
知識人、文化人から見た分析というか、アカデミックすぎるんですよ。
つまりは後世の人間によるまず結論ありきの文化史なんです。
(宮沢章夫氏の分析そのものは非常に勉強にはなります)
まあ時代を分析するというのはそういうことなんでしょうね。
例えば90年代だってゲームやエヴァをまったく知らないまま青春時代を過ごした人もいるはずなんですが、今の時代から俯瞰してみるとやっぱり「セカイの変容~岡崎京子・エヴァンゲリオン・ゲーム~」となるんでしょう。
「1980年代」について語るといっても、わたしには「カルチャー史」を語ることはできません。ただ、自分にとっての「昔話」をするだけです。
世間で語られる文化論とはまた違った80年代の姿をお伝えできればと思います。
●未分化な時代
1980年代初頭、まだ“おたく”という言葉はありませんでした。
当時、私は小学生から中学生にあがるくらいだったので、「いい大人がマンガやアニメを見ること」に対する風当たりを感じたことはありませんでしたが、
そもそも「大学生が電車の中でマンガ雑誌を読んでいる」と世間で騒がれたのは70年代のことで、遠い過去のように感じていた気もします。
その頃、真面目なグループや不良っぽいグループ、または文化系と体育会系といった“くくり”はありましたが、
いまのような「オタク系」「リア充系」といったはっきりとした区分けはありませんでした。
というか、あの頃はマンガの好き嫌い関係なく、誰もが普通に少年ジャンプとか持ち込んでみんなで回し読みしていましたね。
それで、次の日には同じやつが「ビックリハウス」を持ってきたり、次は「ふぁんろ~ど」だったりと、今思うとかなりカオスというか未分化だった時代でした。サブカルもおたくもいっしょくただったんです。
そして、少なくとも「マンガを読んでいること」に対する後ろめたさのようなものは、まったくなかったですね。ある意味、無邪気な時代だったんだと思います。
●60年代・70年代へのコンプレックス
コンプレックス的なものはむしろ、60年代や70年代そのものに対して感じていましたね。
あの頃すでに、手塚治虫は大御所になりすぎていましたし、「あしたのジョー」や「デビルマン」のような時代を象徴したような作品も昔のものとなっていました。
音楽にしても、私がビートルズを知ったときにはすでにジョンレノンは暗殺されていましたし、ストーンズは古くさい保守的なバンドとしてパンクから「体制側」扱いされていました。
ツェッペリンもクイーンも全盛期は終わっていて、ロックはロックであることの意味を失い、数ある音楽ジャンルのひとつでしかなくなっていきます。
たぶん、今の時代からみる2000年代よりもはるかに遠く感じていたんですよ、70年代というものを。
ほんの5、6年前のことがもう歴史上の出来事で自分とは縁遠いように思えたんです。
だからよけいに憧憬の思いを募らせる。
今だったら80年代の大きさというのもわかるんですけどね。
マンガでは大友克洋や士郎正宗がブレイクしますし、アニメではガンダムや宮崎アニメ、押井守などが注目を浴びるのもこの頃です。
音楽もテクノやメタル、パンクなど次々と新たなムーブメントが起こっていたわけで、決して停滞していた時代ではなかったんです。
ただ、まだ子供だった私にはその波を感じることができなかったんですね。
●初めて“おたく”に出会ったころ
“おたく”という言葉を初めて知ったのはいつのことでしたか。
語源は諸説あるようですが、すくなくとも私は1983年の「漫画ブリッコ」における中森明夫氏のコラムは知りませんでしたね。「漫画ブリッコ」という雑誌自体は知っていたと思いますが。
たぶん、最初はリアルに会話として聞いた気がします。
当時の私にとって「マンガやアニメに詳しい人」というのは憧れの存在でした。尊敬していたと言ってもいいかもしれません。
自分は途中で挫折したので、よけいに大きく見えたのでしょう。
ただ、憧れと同時にどこか近寄りがたいというか畏怖にも近い存在でもありました。
なので、マンガをもっと知りたいと思ってもひとりで悶々とする少年だったんです。
友達とはメジャーどころの週刊少年誌ぐらいしか話題にできませんし。
で、ネットも携帯もない時代、ディープなおたく知識は雑誌ぐらいからしか得られません。
そんな中、アニメ雑誌かなにかで「漫画やアニメを多く扱っている本屋」というものを知ったんですね。
それで近所の本屋だけじゃなく、いわゆる「マンガ専門店」にも通いだします。
「マンガ専門店」がまだ珍しかった時代ですよ。虎の穴もアニメイトもまだあるかないかのときですね。
新宿の「まんがの森」か神保町の「高岡書店」、渋谷にあった「まんが書店」などが主な潜伏場所でした。
そこで初めて憧れていた「マンガやアニメに詳しい人」たちを見たわけです。
確かに彼らは“おたく”という単語を使っていました。
「おたくはこれなんかどう?」とかそういった感じでした。
でも、そのときは何とも感じなかったというか、ちょっと変わった呼びかけをする人だなぐらいしか感じませんでしたね。
世間にはまだ“おたく”というレッテルは存在しませんでしたし、そういった二人称があることは知っていましたから。
当時はむしろ、「変な人たち」を揶揄するレッテルとしては「根暗」とか単に「暗いやつ」でしたね。
いつだったか、ある教師が授業中に「暗いことを悪いかのような今の風潮はおかしい!」と力説していたのを思い出します。
●世間はまだ気づいていなかった
そんな感じでしたので、少なくとも80年代前半までは、いわゆる「オタクバッシング」のような雰囲気はありませんでした。
いや、違いますね。世間はまだ“おたく”の存在自体を知らなかったのですから。
バッシングしようがなかったんです。
中森明夫氏のコラムもそういう界隈だけの話題でしたし、ニュースやワイドショーで取り上げられるなんてあり得ないことでしたね。
私がコミックマーケットに初めて行ったのは「東京流通センター」時代でしたが、
当時、初めて「二日間」開催するということが、かなり話題になっていました。
実際あの狭い会場では、延々と公道にすごい長蛇の列で、入場する前にぐったりしてしまった記憶があります。(あの頃はいまのように列整備もそれほど徹底されていなく、始発で行っても12時過ぎに入場だったりでした)
それでも、世間は気づいていませんでした。
そう、1989年、宮崎勤事件まで。
●1989年の戸惑い
1989年、私は大学生でした。あのときの一連の報道はたしかにある意味狂信的でしたね。
新聞テレビはもちろんのこと、なにより騒いでいたのは雑誌や出版でした。
毎日のように「おたく問題」を問うムックは店頭に並び、電車の吊り広告はそれ一色。
私も当時、親に「あんたは大丈夫なの」と軽い調子ではありますが問いつめられた覚えがあります。
ただ今言われるほど、私は「おたく叩き」がひどかったという記憶はありません。
まあ自分の周りの環境がたまたまよかったのかもしれませんが、
少なくともマンガが好きなだけで「犯罪者」扱いとか、差別やいじめを受けるということはなかったです。要するにマスコミによる「バッシング」が激しかっただけで、日常生活にはほとんど支障は出ませんでしたね。
もっともそれでも、私にとってもあの事件は衝撃でした。
トラウマと言ってもいいかもしれません。
よく宮崎のあの部屋の写真や映像が取り上げられますが、
私が衝撃だったのはあのビデオだらけの光景でも「若奥様の生下着」でもなく、「奇面組」でした。
そう、あの部屋には「奇面組」のコミックスがあったんです。ほかにも「ドカベン」とか普通のマンガもあって、それをもマスコミは写真にとって記事にしていました。
今でこそ、彼の部屋にはロリコン系マンガはそれほどなく、むしろ特撮系のビデオがほとんどで
「若奥様の生下着」もある記者が目立つように配置したということがわかってきていますが、
当時、そんなことは誰も知りません。
普通のマンガもビデオも同人誌もアニメもすべていっしょくたに問題視されました。
「え、奇面組を読んでいると殺人鬼になるの?」
率直にそう思いましたね。
怒りとかじゃなく、単純に戸惑いでした。
●「なりそこない」誕生
矢面に立たされたおたく側の反応は様々でした。
コミケでは、「能面のような男」というタイトルの宮崎についての新聞記事を拡大コピーしてポップにしているサークルもありました。
どこか茶化してごまかしたい気持ちがあったのかもしれません。
また私が当時入っていたパソコン通信では宮崎勤えん罪説を唱える人たちが多く見受けられました。
「無罪を訴え続けろ勤くん」「不当な弾圧に負けるな」
そんな陰謀論を画面上で読みつつも、私の心はすっと醒めていきます。
だれも犠牲になった女の子や遺族のことには触れていなかったからです。
マンガを読むのをやめたことは一度もありません。
ただ、それを機会にコミケには行かなくなり、パソコン通信も脱退します。
マンガ文化は素晴しい。読むことをやめることはありえない。
でも、「マンガやアニメに詳しい人」たちに対する憧れはなくなっていました。
“おたく”にはなれない。でも一般人もいやだ。
1989年、そして私は「なりそこない」となったのです。
●タイミングの奇跡
なんだか、ドラマ「アオイホノオ」の総括と銘打っていながら、話が妙な方向に転んでしまいましたが、それだけ複雑な時代だったんですよ。
理想に燃え、未来を信じていた60年代。
夢破れ、よりパーソナルな方向に軸を移しつつあった70年代。
バブルがはじけ、世界の化けの皮が剥がれ、テロも表現規制も目に見えるようになった90年代。
そんな狭間で80年代はどうもイメージがはっきりしないように思えます。
他の年代以上に前半中半後半と色合いが違いますしね。
それでも私は、10代のときを1980年代と共に過ごしました。つまり青春時代そのものだったんです。
なにより、「うる星やつら」と同時代を生きられたあのときの輝きは一生褪せることはありません。
「アオイホノオ」は本当にいい時代を描いてくれました。
これが10年、いや5年遅かったらあれほど眩い青春はなかったでしょう。
80年代というのはまさに絶妙なタイミングで花開いた奇跡だったのです。
※以下はいままでの「アオイホノオ」にちなんでの“昔話”リストです。
プロだからこそあえて寝る!~アオイホノオ最終話感想~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-62.html
なりそこないの昔話9~島本和彦のこと(アオイホノオ第10話より)~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-61.html
なりそこないの昔話8~ギャグマンガのこと(アオイホノオ第9話より)~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-59.html
なりそこないの昔話7~岡田斗司夫、イデオン、原秀則、車田正美(アオイホノオ第8話より)~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
アオイホノオ第7話感想
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-53.html
なりそこないの昔話6~エヴァンゲリオンのこと(アオイホノオ第6話より)~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-49.html
なりそこないの昔話5~奇面組のこと(アオイホノオ第5話より)~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-47.html
なりそこないの昔話4~あだち充のこと(アオイホノオ第4話より)~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-46.html
なりそこないの昔話3~アニメについて~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-43.html
なりそこないの昔話2~細野不二彦のこと~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-42.html
なりそこないの昔話~アオイホノオで考えたこと~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-39.html
もちろん、若い人たちにとっても十分に面白かったと思いますが、やっぱり、あの時代の空気を知っていると感慨深さもひとしおですよね。
きっと、60年代ドラマや70年代ドラマでもそうなんでしょう。そして、例えば2010年代をテーマにしたドラマなんかは、今の10代にしかわからない何かがあるに違いありません。
その時代を共に生きた者にしか伝わらないものというのも確実にあるのです。
というわけで、今回の昔話はドラマ「アオイホノオ」完結を記念して、「1980年代」について思い返してみたいと思います。
●「カルチャー史」ではない「昔話」としての1980年代
とはいえ、「1980年代」と一言でいっても、総括はなかなか難しいです。
だってたとえば、アオイホノオの舞台である1980年頃と1989年頃って全然時代が違いますよ?
10年ひと昔とは言いますが、時代を10年単位で語るというのも正直どうなのかなと思うわけです。
今、NHK教育テレビでも「ニッポン戦後サブカルチャー史」という年代ごとにサブカルチャーを振り返るシリーズをやっています。むちゃくちゃ面白いんですが、やっぱり結論が大雑把という印象は否めません。まあ時間の都合もあるとは思いますが。
知識人、文化人から見た分析というか、アカデミックすぎるんですよ。
つまりは後世の人間によるまず結論ありきの文化史なんです。
(宮沢章夫氏の分析そのものは非常に勉強にはなります)
まあ時代を分析するというのはそういうことなんでしょうね。
例えば90年代だってゲームやエヴァをまったく知らないまま青春時代を過ごした人もいるはずなんですが、今の時代から俯瞰してみるとやっぱり「セカイの変容~岡崎京子・エヴァンゲリオン・ゲーム~」となるんでしょう。
「1980年代」について語るといっても、わたしには「カルチャー史」を語ることはできません。ただ、自分にとっての「昔話」をするだけです。
世間で語られる文化論とはまた違った80年代の姿をお伝えできればと思います。
●未分化な時代
1980年代初頭、まだ“おたく”という言葉はありませんでした。
当時、私は小学生から中学生にあがるくらいだったので、「いい大人がマンガやアニメを見ること」に対する風当たりを感じたことはありませんでしたが、
そもそも「大学生が電車の中でマンガ雑誌を読んでいる」と世間で騒がれたのは70年代のことで、遠い過去のように感じていた気もします。
その頃、真面目なグループや不良っぽいグループ、または文化系と体育会系といった“くくり”はありましたが、
いまのような「オタク系」「リア充系」といったはっきりとした区分けはありませんでした。
というか、あの頃はマンガの好き嫌い関係なく、誰もが普通に少年ジャンプとか持ち込んでみんなで回し読みしていましたね。
それで、次の日には同じやつが「ビックリハウス」を持ってきたり、次は「ふぁんろ~ど」だったりと、今思うとかなりカオスというか未分化だった時代でした。サブカルもおたくもいっしょくただったんです。
そして、少なくとも「マンガを読んでいること」に対する後ろめたさのようなものは、まったくなかったですね。ある意味、無邪気な時代だったんだと思います。
●60年代・70年代へのコンプレックス
コンプレックス的なものはむしろ、60年代や70年代そのものに対して感じていましたね。
あの頃すでに、手塚治虫は大御所になりすぎていましたし、「あしたのジョー」や「デビルマン」のような時代を象徴したような作品も昔のものとなっていました。
音楽にしても、私がビートルズを知ったときにはすでにジョンレノンは暗殺されていましたし、ストーンズは古くさい保守的なバンドとしてパンクから「体制側」扱いされていました。
ツェッペリンもクイーンも全盛期は終わっていて、ロックはロックであることの意味を失い、数ある音楽ジャンルのひとつでしかなくなっていきます。
たぶん、今の時代からみる2000年代よりもはるかに遠く感じていたんですよ、70年代というものを。
ほんの5、6年前のことがもう歴史上の出来事で自分とは縁遠いように思えたんです。
だからよけいに憧憬の思いを募らせる。
今だったら80年代の大きさというのもわかるんですけどね。
マンガでは大友克洋や士郎正宗がブレイクしますし、アニメではガンダムや宮崎アニメ、押井守などが注目を浴びるのもこの頃です。
音楽もテクノやメタル、パンクなど次々と新たなムーブメントが起こっていたわけで、決して停滞していた時代ではなかったんです。
ただ、まだ子供だった私にはその波を感じることができなかったんですね。
●初めて“おたく”に出会ったころ
“おたく”という言葉を初めて知ったのはいつのことでしたか。
語源は諸説あるようですが、すくなくとも私は1983年の「漫画ブリッコ」における中森明夫氏のコラムは知りませんでしたね。「漫画ブリッコ」という雑誌自体は知っていたと思いますが。
たぶん、最初はリアルに会話として聞いた気がします。
当時の私にとって「マンガやアニメに詳しい人」というのは憧れの存在でした。尊敬していたと言ってもいいかもしれません。
自分は途中で挫折したので、よけいに大きく見えたのでしょう。
ただ、憧れと同時にどこか近寄りがたいというか畏怖にも近い存在でもありました。
なので、マンガをもっと知りたいと思ってもひとりで悶々とする少年だったんです。
友達とはメジャーどころの週刊少年誌ぐらいしか話題にできませんし。
で、ネットも携帯もない時代、ディープなおたく知識は雑誌ぐらいからしか得られません。
そんな中、アニメ雑誌かなにかで「漫画やアニメを多く扱っている本屋」というものを知ったんですね。
それで近所の本屋だけじゃなく、いわゆる「マンガ専門店」にも通いだします。
「マンガ専門店」がまだ珍しかった時代ですよ。虎の穴もアニメイトもまだあるかないかのときですね。
新宿の「まんがの森」か神保町の「高岡書店」、渋谷にあった「まんが書店」などが主な潜伏場所でした。
そこで初めて憧れていた「マンガやアニメに詳しい人」たちを見たわけです。
確かに彼らは“おたく”という単語を使っていました。
「おたくはこれなんかどう?」とかそういった感じでした。
でも、そのときは何とも感じなかったというか、ちょっと変わった呼びかけをする人だなぐらいしか感じませんでしたね。
世間にはまだ“おたく”というレッテルは存在しませんでしたし、そういった二人称があることは知っていましたから。
当時はむしろ、「変な人たち」を揶揄するレッテルとしては「根暗」とか単に「暗いやつ」でしたね。
いつだったか、ある教師が授業中に「暗いことを悪いかのような今の風潮はおかしい!」と力説していたのを思い出します。
●世間はまだ気づいていなかった
そんな感じでしたので、少なくとも80年代前半までは、いわゆる「オタクバッシング」のような雰囲気はありませんでした。
いや、違いますね。世間はまだ“おたく”の存在自体を知らなかったのですから。
バッシングしようがなかったんです。
中森明夫氏のコラムもそういう界隈だけの話題でしたし、ニュースやワイドショーで取り上げられるなんてあり得ないことでしたね。
私がコミックマーケットに初めて行ったのは「東京流通センター」時代でしたが、
当時、初めて「二日間」開催するということが、かなり話題になっていました。
実際あの狭い会場では、延々と公道にすごい長蛇の列で、入場する前にぐったりしてしまった記憶があります。(あの頃はいまのように列整備もそれほど徹底されていなく、始発で行っても12時過ぎに入場だったりでした)
それでも、世間は気づいていませんでした。
そう、1989年、宮崎勤事件まで。
●1989年の戸惑い
1989年、私は大学生でした。あのときの一連の報道はたしかにある意味狂信的でしたね。
新聞テレビはもちろんのこと、なにより騒いでいたのは雑誌や出版でした。
毎日のように「おたく問題」を問うムックは店頭に並び、電車の吊り広告はそれ一色。
私も当時、親に「あんたは大丈夫なの」と軽い調子ではありますが問いつめられた覚えがあります。
ただ今言われるほど、私は「おたく叩き」がひどかったという記憶はありません。
まあ自分の周りの環境がたまたまよかったのかもしれませんが、
少なくともマンガが好きなだけで「犯罪者」扱いとか、差別やいじめを受けるということはなかったです。要するにマスコミによる「バッシング」が激しかっただけで、日常生活にはほとんど支障は出ませんでしたね。
もっともそれでも、私にとってもあの事件は衝撃でした。
トラウマと言ってもいいかもしれません。
よく宮崎のあの部屋の写真や映像が取り上げられますが、
私が衝撃だったのはあのビデオだらけの光景でも「若奥様の生下着」でもなく、「奇面組」でした。
そう、あの部屋には「奇面組」のコミックスがあったんです。ほかにも「ドカベン」とか普通のマンガもあって、それをもマスコミは写真にとって記事にしていました。
今でこそ、彼の部屋にはロリコン系マンガはそれほどなく、むしろ特撮系のビデオがほとんどで
「若奥様の生下着」もある記者が目立つように配置したということがわかってきていますが、
当時、そんなことは誰も知りません。
普通のマンガもビデオも同人誌もアニメもすべていっしょくたに問題視されました。
「え、奇面組を読んでいると殺人鬼になるの?」
率直にそう思いましたね。
怒りとかじゃなく、単純に戸惑いでした。
●「なりそこない」誕生
矢面に立たされたおたく側の反応は様々でした。
コミケでは、「能面のような男」というタイトルの宮崎についての新聞記事を拡大コピーしてポップにしているサークルもありました。
どこか茶化してごまかしたい気持ちがあったのかもしれません。
また私が当時入っていたパソコン通信では宮崎勤えん罪説を唱える人たちが多く見受けられました。
「無罪を訴え続けろ勤くん」「不当な弾圧に負けるな」
そんな陰謀論を画面上で読みつつも、私の心はすっと醒めていきます。
だれも犠牲になった女の子や遺族のことには触れていなかったからです。
マンガを読むのをやめたことは一度もありません。
ただ、それを機会にコミケには行かなくなり、パソコン通信も脱退します。
マンガ文化は素晴しい。読むことをやめることはありえない。
でも、「マンガやアニメに詳しい人」たちに対する憧れはなくなっていました。
“おたく”にはなれない。でも一般人もいやだ。
1989年、そして私は「なりそこない」となったのです。
●タイミングの奇跡
なんだか、ドラマ「アオイホノオ」の総括と銘打っていながら、話が妙な方向に転んでしまいましたが、それだけ複雑な時代だったんですよ。
理想に燃え、未来を信じていた60年代。
夢破れ、よりパーソナルな方向に軸を移しつつあった70年代。
バブルがはじけ、世界の化けの皮が剥がれ、テロも表現規制も目に見えるようになった90年代。
そんな狭間で80年代はどうもイメージがはっきりしないように思えます。
他の年代以上に前半中半後半と色合いが違いますしね。
それでも私は、10代のときを1980年代と共に過ごしました。つまり青春時代そのものだったんです。
なにより、「うる星やつら」と同時代を生きられたあのときの輝きは一生褪せることはありません。
「アオイホノオ」は本当にいい時代を描いてくれました。
これが10年、いや5年遅かったらあれほど眩い青春はなかったでしょう。
80年代というのはまさに絶妙なタイミングで花開いた奇跡だったのです。
※以下はいままでの「アオイホノオ」にちなんでの“昔話”リストです。
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アオイホノオ第7話感想
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なりそこないの昔話2~細野不二彦のこと~
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なりそこないの昔話~アオイホノオで考えたこと~
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