なりそこないの昔話8~ギャグマンガのこと(アオイホノオ第9話より)~
テレ東系ドラマ「アオイホノオ」第9話は前回の反動か岡田パートはおとなしめ、前半はMADホーリィに持ち上げられてからのまっさかさま、後半はファーピク鑑賞会。
これからいよいよクライマックスですから、嵐の前の静けさといったところでしょうか。
EDでは初めてワンダーマスミのオリジナルを見ました。本当に美人さんだったんですねえ。
さて、今回モユルは「ギャグマンガ」ではなく「ストーリーマンガ」を求められた訳ですが、
それにちなんで、今回の昔話は「ギャグマンガ」についてです。
「アオイホノオ」第7話の感想のときにも触れましたが、私の「マンガとの出会い」は「ドラえもん」です。
ドラえもんというと、枕詞のように「夢がある」だの「健全な」だのと語られがちですが、なによりも「ギャグマンガ」として非常に優れた作品でした。
(余談ですが、江川達也氏によるドラえもん批判は根本的におかしいと思っています。だってそもそも“教育マンガ”ではなく“ギャグマンガ”なんですから。極端な話、「がきデカ」を子供に悪影響だというのと同じくらいナンセンスな批判です。まあ先日のジブリ批判といい、半分芸風としての戯れ言だと思っていますが)
初めて出会ったマンガが「ドラえもん」だったということで、私の人生は決まりました。
要するにそれから基本的な嗜好が“ギャグマンガ”ベースになったんです。
また、赤塚不二夫ではなく藤子F不二雄だったという点も大きかったですね。
つまり、アナーキーな方向ではなく、ストーリー重視の方向に振れたわけです。
その後、私は「うる星やつら」という作品に出会います。これが決定打になります。
今まで何度も「高橋留美子主義者」を名乗っている私ですが、正確には「うる星やつら主義者」が正しいですね。「めぞん一刻」も「人魚シリーズ」も素晴しいですが、「うる星やつら」は別格です。なぜなら“ギャグマンガ”だったから。
かつて、マンガ家のとり・みき氏がエッセイで「ギャグマンガとは本来、まんがの表現そのものもギャグにする姿勢が必要で昨今の“ギャグマンガ”はギャグではなく“シチュエーションコメディ”ばかりだ」といった主旨の「ギャグマンガ論」を繰り広げたことがありました。
例として自身の「るんるんカンパニー」はギャグマンガ、「クルクルくりん」はコメディと定義していたかと思います。
まあ、言っていることはわからないでもなかったのですが、当時どうしても納得できない部分がありました。
とり氏は「うる星やつら」はシチュエーションコメディと定義していたのです。
※なお、とり氏の名誉のために言っておきますが、とり氏はコメディをギャグの下に見ていたわけではありません。あくまでギャグマンガとはなにか、という話であって優劣の問題を論じていたわけではありません。念のため。
まるで「教育マンガ」であるかのように語られるドラえもん同様、
うる星やつらもギャグマンガであるにもかかわらず、「SFラブコメディ」だのと定義する人間は今も昔もいます。というか多数派かもしれません。
しかし、「うる星やつら」はまぎれもなく“ギャグマンガ”です。
そもそもとり氏のギャグマンガの定義に私は賛同できません。
彼の作風は「理数系ギャグ」とも言われ、ストーリーで笑わせるというよりも純粋なギャグを追求するスタイルなので、そういった考えにたどり着くこと自体は自然なことだとは思います。
私も「るんるんカンパニー」と「クルクルくりん」の違いには納得しています。
でも、そんなに厳格に定義してしまったら、「ギャグマンガ」そのものがものすごく狭い世界だけのものになってしまうじゃないですか。
かつて赤塚不二夫が「天才バカボン」や「レッツラゴン」で追い求めた実験的なメタ構造のようなものしか、残らなくなってしまうじゃないですか。
本来、笑いってもっと簡単なものでいいと思うんです。「笑いの求道者」的な路線も否定はしませんが、そればかりでは息苦しい。もっと単純に「笑えるかどうか」でいいと思うんですね。
私が考える「ギャグマンガ」の定義は「“笑わせる”ことを第一目的にしたマンガ」です。
「笑い」が主であれば、「ギャグマンガ」といっていいと思っています。
なので、「めぞん一刻」はコメディですが「うる星やつら」はギャグなのです。
確かに「うる星やつら」は途中何度か、路線変更をしています。後期路線を「ラブコメ」としてしまうのも、まあわかります。
でも私は最後まで「笑い」が主であって、「ラブ」は従だったと思います。
最終話の「ボーイミーツガール」も「ラブ」派ラムと「ギャグ」派あたるの戦いで最終的に「ギャグ」派が勝った話だったと思っているので。
あたるが好きと言わずにラムに追いついたことで、「うる星やつら」は最後まで“ギャグマンガ”であり続けたのです。
「めぞん一刻」はもちろんラブコメディです。「笑い」があってもそれはそのこと自体が目的ではなく、マンガの目的は別にありましたから。
まあ、というわけで、「ドラえもん」「うる星やつら」は私にとって、
ギャグマンガツートップでありつづけたわけです。
その後も個人的に「ギャグ」や「お笑い」こそが最上、という基本的な考えは変わらずに今日まで来ています。
壮大なテーマの感動巨編!よりも、ちょっとクスと笑えるようなコメディのほうが私にとっては重要ですね。特にマンガというジャンルにとってはね。
だからこのブログで取り上げるマンガも「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」だったり、「実は私は」だったりするわけです。(「実は私は」はギャグではなくラブコメだとは思いますが)
ちなみに「うる星やつら」以降、本当の意味でハマったギャグマンガと言えば
「奇面組」「コージ苑」「行け!稲中卓球部」「すごいよ!マサルさん」ぐらいでしょうか。
特に「行け!稲中卓球部」は「うる星やつら」と双璧といっていいぐらいマイフェイバリット作品ですね。ストーリーギャグの最終形態ではないかと思っているくらいです。
ただ、確かに最近はギャグマンガが少なくなったように思いますね。
ショートギャグや四コマは優れたものも多いですが、
それこそモユルが描いたような15ページ前後の「ストーリーギャグ」というのはあまり流行らないようです。
「コメディ」は多いですけどね。つまり「笑い」が目的ではなく“手段”であるようなマンガ。
「アオイホノオ」もちょっとギャグマンガというには抵抗がありますね。やっぱり「80年代オタク青春もの」が主のように思えますし。
例えば「よつばと!」もギャグマンガかと言われるとどうも違うんですよね。「笑い」が目的ではないでしょう。
うーん、そう考えると、とり氏の「シチュエーションコメディばかり」は今日のマンガ界を先取りしていたのかも……。
まあでも、その作品がどこに重点をおいているか、というとどうしても主観問題になりますし、
かつてのSF論争や本格ミステリ論争、最近ではライトノベル論争のような不毛なものになりそうなので、あまりムキになるのもどうかな、とも思いますね。
けっきょくどちらのジャンルが優れているかみたいな話になりますし。
ジャンルとかカテゴリーというのはイデオロギー論争と同じで出口のないものなのかもしれません。語るのもほどほどに、といったところでしょうか。
これからいよいよクライマックスですから、嵐の前の静けさといったところでしょうか。
EDでは初めてワンダーマスミのオリジナルを見ました。本当に美人さんだったんですねえ。
さて、今回モユルは「ギャグマンガ」ではなく「ストーリーマンガ」を求められた訳ですが、
それにちなんで、今回の昔話は「ギャグマンガ」についてです。
「アオイホノオ」第7話の感想のときにも触れましたが、私の「マンガとの出会い」は「ドラえもん」です。
ドラえもんというと、枕詞のように「夢がある」だの「健全な」だのと語られがちですが、なによりも「ギャグマンガ」として非常に優れた作品でした。
(余談ですが、江川達也氏によるドラえもん批判は根本的におかしいと思っています。だってそもそも“教育マンガ”ではなく“ギャグマンガ”なんですから。極端な話、「がきデカ」を子供に悪影響だというのと同じくらいナンセンスな批判です。まあ先日のジブリ批判といい、半分芸風としての戯れ言だと思っていますが)
初めて出会ったマンガが「ドラえもん」だったということで、私の人生は決まりました。
要するにそれから基本的な嗜好が“ギャグマンガ”ベースになったんです。
また、赤塚不二夫ではなく藤子F不二雄だったという点も大きかったですね。
つまり、アナーキーな方向ではなく、ストーリー重視の方向に振れたわけです。
その後、私は「うる星やつら」という作品に出会います。これが決定打になります。
今まで何度も「高橋留美子主義者」を名乗っている私ですが、正確には「うる星やつら主義者」が正しいですね。「めぞん一刻」も「人魚シリーズ」も素晴しいですが、「うる星やつら」は別格です。なぜなら“ギャグマンガ”だったから。
かつて、マンガ家のとり・みき氏がエッセイで「ギャグマンガとは本来、まんがの表現そのものもギャグにする姿勢が必要で昨今の“ギャグマンガ”はギャグではなく“シチュエーションコメディ”ばかりだ」といった主旨の「ギャグマンガ論」を繰り広げたことがありました。
例として自身の「るんるんカンパニー」はギャグマンガ、「クルクルくりん」はコメディと定義していたかと思います。
まあ、言っていることはわからないでもなかったのですが、当時どうしても納得できない部分がありました。
とり氏は「うる星やつら」はシチュエーションコメディと定義していたのです。
※なお、とり氏の名誉のために言っておきますが、とり氏はコメディをギャグの下に見ていたわけではありません。あくまでギャグマンガとはなにか、という話であって優劣の問題を論じていたわけではありません。念のため。
まるで「教育マンガ」であるかのように語られるドラえもん同様、
うる星やつらもギャグマンガであるにもかかわらず、「SFラブコメディ」だのと定義する人間は今も昔もいます。というか多数派かもしれません。
しかし、「うる星やつら」はまぎれもなく“ギャグマンガ”です。
そもそもとり氏のギャグマンガの定義に私は賛同できません。
彼の作風は「理数系ギャグ」とも言われ、ストーリーで笑わせるというよりも純粋なギャグを追求するスタイルなので、そういった考えにたどり着くこと自体は自然なことだとは思います。
私も「るんるんカンパニー」と「クルクルくりん」の違いには納得しています。
でも、そんなに厳格に定義してしまったら、「ギャグマンガ」そのものがものすごく狭い世界だけのものになってしまうじゃないですか。
かつて赤塚不二夫が「天才バカボン」や「レッツラゴン」で追い求めた実験的なメタ構造のようなものしか、残らなくなってしまうじゃないですか。
本来、笑いってもっと簡単なものでいいと思うんです。「笑いの求道者」的な路線も否定はしませんが、そればかりでは息苦しい。もっと単純に「笑えるかどうか」でいいと思うんですね。
私が考える「ギャグマンガ」の定義は「“笑わせる”ことを第一目的にしたマンガ」です。
「笑い」が主であれば、「ギャグマンガ」といっていいと思っています。
なので、「めぞん一刻」はコメディですが「うる星やつら」はギャグなのです。
確かに「うる星やつら」は途中何度か、路線変更をしています。後期路線を「ラブコメ」としてしまうのも、まあわかります。
でも私は最後まで「笑い」が主であって、「ラブ」は従だったと思います。
最終話の「ボーイミーツガール」も「ラブ」派ラムと「ギャグ」派あたるの戦いで最終的に「ギャグ」派が勝った話だったと思っているので。
あたるが好きと言わずにラムに追いついたことで、「うる星やつら」は最後まで“ギャグマンガ”であり続けたのです。
「めぞん一刻」はもちろんラブコメディです。「笑い」があってもそれはそのこと自体が目的ではなく、マンガの目的は別にありましたから。
まあ、というわけで、「ドラえもん」「うる星やつら」は私にとって、
ギャグマンガツートップでありつづけたわけです。
その後も個人的に「ギャグ」や「お笑い」こそが最上、という基本的な考えは変わらずに今日まで来ています。
壮大なテーマの感動巨編!よりも、ちょっとクスと笑えるようなコメディのほうが私にとっては重要ですね。特にマンガというジャンルにとってはね。
だからこのブログで取り上げるマンガも「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」だったり、「実は私は」だったりするわけです。(「実は私は」はギャグではなくラブコメだとは思いますが)
ちなみに「うる星やつら」以降、本当の意味でハマったギャグマンガと言えば
「奇面組」「コージ苑」「行け!稲中卓球部」「すごいよ!マサルさん」ぐらいでしょうか。
特に「行け!稲中卓球部」は「うる星やつら」と双璧といっていいぐらいマイフェイバリット作品ですね。ストーリーギャグの最終形態ではないかと思っているくらいです。
ただ、確かに最近はギャグマンガが少なくなったように思いますね。
ショートギャグや四コマは優れたものも多いですが、
それこそモユルが描いたような15ページ前後の「ストーリーギャグ」というのはあまり流行らないようです。
「コメディ」は多いですけどね。つまり「笑い」が目的ではなく“手段”であるようなマンガ。
「アオイホノオ」もちょっとギャグマンガというには抵抗がありますね。やっぱり「80年代オタク青春もの」が主のように思えますし。
例えば「よつばと!」もギャグマンガかと言われるとどうも違うんですよね。「笑い」が目的ではないでしょう。
うーん、そう考えると、とり氏の「シチュエーションコメディばかり」は今日のマンガ界を先取りしていたのかも……。
まあでも、その作品がどこに重点をおいているか、というとどうしても主観問題になりますし、
かつてのSF論争や本格ミステリ論争、最近ではライトノベル論争のような不毛なものになりそうなので、あまりムキになるのもどうかな、とも思いますね。
けっきょくどちらのジャンルが優れているかみたいな話になりますし。
ジャンルとかカテゴリーというのはイデオロギー論争と同じで出口のないものなのかもしれません。語るのもほどほどに、といったところでしょうか。
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