やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6.5 感想 ~真の“7巻”~
えっと、これは本当に“.5”なんでしょうかね?なんか普通に本編だったんですが。
というか、これがアニメ円盤の特典て絶対おかしいですよ。
全然番外編じゃないです。外伝でもおまけでもないです。
通常なら6巻のあとに“7巻”として刊行されるべき内容でしょこれ。
文庫化の際によっぽどリライトしたのかと思いきや、
細かい描写をカットしただけで、追加分は基本的にない、ということらしいですし……
いや、真面目な話、こういうことをやられると、
単なるラノベ読者も、特典狙いで円盤を買わざるを得なくなるので本当にやめて欲しいです。
まあ、それはさておき。
●彼女は変わっていない
今回の主役は相模です。
5巻で由比ケ浜に嫌みな態度をとる、単なるモブっぽい意地悪キャラだった相模。
6巻の無能なくせに承認願望だけは人一倍だった俗物相模。
そして7巻以降は、ほぼなかったことにされている相模ですが、
文化祭と修学旅行の間に、相模にこんなことが起こっていたとは、正直びっくりですね。
基本的に6.5でも相模は変わってはいません。
それはそうでしょう。6巻での彼女の失態は比企谷をスケープゴートにすることで帳消しになり、それで彼女の自尊心とやらは守られたのですから。変わる必要がないわけです。
今回も、成り行きで相模は体育祭実行委員長になり、影で奉仕部の面々がサポートしていく、という流れ自体は文化祭のときと同様です。
●彼女はそれでも選んだ
ただ、前回と違うのは、相模自身ががっつり矢面に立たされるということ。
そして、最大の相違点は、今回相模が自分自身でそれをなんとか乗り越えるということ。それも比企谷が思いもしなかったやり方で。
文化祭のときと違い、今回、相模は奉仕部たってのお願いという形で委員長に就任しています。
だから、本来なら自分の立場が悪くなった段階で投げてしまっても、それほど責められないわけです。
今回、相模のある一言をきっかけにして、委員会会議は首脳部と現場班の主導権争いに発展してしまいます。
そんな中、相模は2度、委員長を続けるかやめるかの選択をせまられるわけですが、
意外なことに、彼女はその度に「委員長を続ける」ことを選ぶのです。
このとき、比企谷には相模の真意がわかりません。
俺の思う相模は逃げ道があれば迷わずそこに行くし、蜘蛛の糸が垂らされていれば掴む人間だ。(P142より引用)
●彼には想像できなかった
実は、この相模の選択が読めなかったというのが、後の伏線となっています。
彼は「理性の化け物」と言われるほど、常に論理を優先して最善の解決策を模索する人間ですが、それゆえに相模の“感情”が理解できないんですね。
(だからこそ、7巻や8巻で、他人の気持ちを読めずに失敗するわけですが)
そして最後、文化祭に続いて、比企谷の「最低な解決策」が実行されるわけですが、
ここで、文化祭のようにかっこよく“ダークヒーロー八幡”とはいきません。
そう、このときに相模は予想もしなかった行動を取るのです。
こんな展開は想像していなかった。
(中略)
参った。
いや、実際参った。
こんなにもくだらなく、馬鹿馬鹿しく、低俗で、卑小な、そしてだからこそシンプルなことに俺は気づかなかったのか。(P315より引用)
●彼女は学んだ、そして彼も学んだ
結果的には、なんとかそれぞれが収まるところに収まります。
確かにそれは比企谷が言う様に、「成長」や「変化」ではないのかもしれません。
人の性根というものは変わらないものなのかもしれません。
でも、それでも。
それでも、今回、相模は行動したんですね。
文化祭のときとは違い、確かに彼女は逃げずに行動したのです。そう、比企谷八幡の“解決策”とは関係なく。
そして、そのことで、他人との距離の取り方を学んだはずなのです。
人は変われないのだ。もし、変われるとしたら手段は一つ。
何度も何度も痛い目を見て、心に消えない傷を刻みつけて、その痛みからの回避本能によって行動が変化するだけだ。(P66より引用)
比企谷はひたすら、クールに「変わる」ことを否定し続けますが、
その一方、彼自身も変わってきているんですよね。
(まあ、一方で“俺だっていつかは変えられてしまう”とも自覚していましたけどね)
だからこそ、最後に彼はこう思うのです。
「これから俺と相模は他人という関係性を上手に保っていくことができるだろう」と。
そう彼自身も、今回のことで「他人との距離の取り方」を学んだのですね。
きっと相模と比企谷は似ているんですよ。
どちらも「自分大好き」なんですね。
それが「うちかわいそう」になるか「ぼっち最強」になるか、のベクトルの違いだけであって、
実際のところは似た者同士なのではないでしょうか。
●彼は信用できない語り手
この作品は比企谷八幡が語り手の一人称形式ですが、それゆえ、彼の言っている事をそのまま信用できないんですね。
6巻で“ダークヒーロー比企谷”“ハードボイルド比企谷”のイメージがついている感がありますが、よくよく読んでみると彼のやっていることや、言っていることはむちゃくちゃです。
この作品がある意味ずるいのは、一見「正論」に思えることを提示しつつ、そこから論理の飛躍で独自の「ヒッキー理論」に着地させるところなんですよ。
「何を言ったか、よりも誰が言ったか、のほうが重視されることがままある」→わかる
「だからこそ、カーストに縛られない者やこれ以上落ちようがない者は好き勝手言える」→まあ、わかる
「トップカースト連中は常に言論統制されている」→!?
(それぞれP152より引用)
こういった詭弁論法が本当に多いのがこの「俺ガイル」なんです。
要するに、彼は頭がいいので、“真実”の中に巧妙に“へ理屈”を混ぜるのがうまいんですねw
だからこそ、さらっと文章だけを追いかけていると、
「俺TUEEE」的ぼっち讃歌のようにとらえられる危険性もある作品だと思います。
実際のところ、単なるひねくれ者による“間違っている”青春ラブコメに過ぎないんですよね。
で、この“間違っている”が大事なんですよ。
彼はずーと間違い続けていて、その間違いを自分なりの理屈で正当化してきているわけですから。
つまりは、若いうちは“間違い”もありだと肯定している青春小説の王道でもあるんですね。
それはそうと、作中、地の文である「ヒッキーロジック」をうっかり声に出してしまい、
雪ノ下に「筋はまったく通っていないのに、無駄に説得力ある分、たちが悪い」と
つっこまれていたのにはさすがに笑いましたw
やっぱりゆきのんはわかっています。
そういえば最初、相模に再び委員長職を託そうというとき、比企谷や由比ケ浜は懐疑的でしたが、
そんな中、彼女だけは前回のようにはならないと信じていましたね。
もしかしたら彼女も、相模の中に「比企谷的」なものを感じていたのかもしれません。
●体育祭あってこその修学旅行・生徒会長選挙
それにしても繰り返しになりますが、これが“6.5巻”というのが、どうしても納得できません。
比企谷は4巻や6巻において、彼流の解決方法で「本当に世界を変えることを教えてやる」とうそぶいていました。
で、今回のことで、自分のやり方も意外と脆いことに気づかされるわけですが、
そこを踏まえた上での、7巻の修学旅行における失敗であり、8巻の生徒会長選挙での失敗であるべきでしょう。
ある意味、6巻以上に重要な巻ですよ、これ。
これからこのシリーズを読み始められる幸運な人たちには
ぜひ、6巻→6.5巻→7巻の順番で読むことをお勧めしたいですね。
(※あ、でも巻末の「ぼーなすとらっく」は9巻の後日談か)
というか、これがアニメ円盤の特典て絶対おかしいですよ。
全然番外編じゃないです。外伝でもおまけでもないです。
通常なら6巻のあとに“7巻”として刊行されるべき内容でしょこれ。
文庫化の際によっぽどリライトしたのかと思いきや、
細かい描写をカットしただけで、追加分は基本的にない、ということらしいですし……
いや、真面目な話、こういうことをやられると、
単なるラノベ読者も、特典狙いで円盤を買わざるを得なくなるので本当にやめて欲しいです。
まあ、それはさておき。
●彼女は変わっていない
今回の主役は相模です。
5巻で由比ケ浜に嫌みな態度をとる、単なるモブっぽい意地悪キャラだった相模。
6巻の無能なくせに承認願望だけは人一倍だった俗物相模。
そして7巻以降は、ほぼなかったことにされている相模ですが、
文化祭と修学旅行の間に、相模にこんなことが起こっていたとは、正直びっくりですね。
基本的に6.5でも相模は変わってはいません。
それはそうでしょう。6巻での彼女の失態は比企谷をスケープゴートにすることで帳消しになり、それで彼女の自尊心とやらは守られたのですから。変わる必要がないわけです。
今回も、成り行きで相模は体育祭実行委員長になり、影で奉仕部の面々がサポートしていく、という流れ自体は文化祭のときと同様です。
●彼女はそれでも選んだ
ただ、前回と違うのは、相模自身ががっつり矢面に立たされるということ。
そして、最大の相違点は、今回相模が自分自身でそれをなんとか乗り越えるということ。それも比企谷が思いもしなかったやり方で。
文化祭のときと違い、今回、相模は奉仕部たってのお願いという形で委員長に就任しています。
だから、本来なら自分の立場が悪くなった段階で投げてしまっても、それほど責められないわけです。
今回、相模のある一言をきっかけにして、委員会会議は首脳部と現場班の主導権争いに発展してしまいます。
そんな中、相模は2度、委員長を続けるかやめるかの選択をせまられるわけですが、
意外なことに、彼女はその度に「委員長を続ける」ことを選ぶのです。
このとき、比企谷には相模の真意がわかりません。
俺の思う相模は逃げ道があれば迷わずそこに行くし、蜘蛛の糸が垂らされていれば掴む人間だ。(P142より引用)
●彼には想像できなかった
実は、この相模の選択が読めなかったというのが、後の伏線となっています。
彼は「理性の化け物」と言われるほど、常に論理を優先して最善の解決策を模索する人間ですが、それゆえに相模の“感情”が理解できないんですね。
(だからこそ、7巻や8巻で、他人の気持ちを読めずに失敗するわけですが)
そして最後、文化祭に続いて、比企谷の「最低な解決策」が実行されるわけですが、
ここで、文化祭のようにかっこよく“ダークヒーロー八幡”とはいきません。
そう、このときに相模は予想もしなかった行動を取るのです。
こんな展開は想像していなかった。
(中略)
参った。
いや、実際参った。
こんなにもくだらなく、馬鹿馬鹿しく、低俗で、卑小な、そしてだからこそシンプルなことに俺は気づかなかったのか。(P315より引用)
●彼女は学んだ、そして彼も学んだ
結果的には、なんとかそれぞれが収まるところに収まります。
確かにそれは比企谷が言う様に、「成長」や「変化」ではないのかもしれません。
人の性根というものは変わらないものなのかもしれません。
でも、それでも。
それでも、今回、相模は行動したんですね。
文化祭のときとは違い、確かに彼女は逃げずに行動したのです。そう、比企谷八幡の“解決策”とは関係なく。
そして、そのことで、他人との距離の取り方を学んだはずなのです。
人は変われないのだ。もし、変われるとしたら手段は一つ。
何度も何度も痛い目を見て、心に消えない傷を刻みつけて、その痛みからの回避本能によって行動が変化するだけだ。(P66より引用)
比企谷はひたすら、クールに「変わる」ことを否定し続けますが、
その一方、彼自身も変わってきているんですよね。
(まあ、一方で“俺だっていつかは変えられてしまう”とも自覚していましたけどね)
だからこそ、最後に彼はこう思うのです。
「これから俺と相模は他人という関係性を上手に保っていくことができるだろう」と。
そう彼自身も、今回のことで「他人との距離の取り方」を学んだのですね。
きっと相模と比企谷は似ているんですよ。
どちらも「自分大好き」なんですね。
それが「うちかわいそう」になるか「ぼっち最強」になるか、のベクトルの違いだけであって、
実際のところは似た者同士なのではないでしょうか。
●彼は信用できない語り手
この作品は比企谷八幡が語り手の一人称形式ですが、それゆえ、彼の言っている事をそのまま信用できないんですね。
6巻で“ダークヒーロー比企谷”“ハードボイルド比企谷”のイメージがついている感がありますが、よくよく読んでみると彼のやっていることや、言っていることはむちゃくちゃです。
この作品がある意味ずるいのは、一見「正論」に思えることを提示しつつ、そこから論理の飛躍で独自の「ヒッキー理論」に着地させるところなんですよ。
「何を言ったか、よりも誰が言ったか、のほうが重視されることがままある」→わかる
「だからこそ、カーストに縛られない者やこれ以上落ちようがない者は好き勝手言える」→まあ、わかる
「トップカースト連中は常に言論統制されている」→!?
(それぞれP152より引用)
こういった詭弁論法が本当に多いのがこの「俺ガイル」なんです。
要するに、彼は頭がいいので、“真実”の中に巧妙に“へ理屈”を混ぜるのがうまいんですねw
だからこそ、さらっと文章だけを追いかけていると、
「俺TUEEE」的ぼっち讃歌のようにとらえられる危険性もある作品だと思います。
実際のところ、単なるひねくれ者による“間違っている”青春ラブコメに過ぎないんですよね。
で、この“間違っている”が大事なんですよ。
彼はずーと間違い続けていて、その間違いを自分なりの理屈で正当化してきているわけですから。
つまりは、若いうちは“間違い”もありだと肯定している青春小説の王道でもあるんですね。
それはそうと、作中、地の文である「ヒッキーロジック」をうっかり声に出してしまい、
雪ノ下に「筋はまったく通っていないのに、無駄に説得力ある分、たちが悪い」と
つっこまれていたのにはさすがに笑いましたw
やっぱりゆきのんはわかっています。
そういえば最初、相模に再び委員長職を託そうというとき、比企谷や由比ケ浜は懐疑的でしたが、
そんな中、彼女だけは前回のようにはならないと信じていましたね。
もしかしたら彼女も、相模の中に「比企谷的」なものを感じていたのかもしれません。
●体育祭あってこその修学旅行・生徒会長選挙
それにしても繰り返しになりますが、これが“6.5巻”というのが、どうしても納得できません。
比企谷は4巻や6巻において、彼流の解決方法で「本当に世界を変えることを教えてやる」とうそぶいていました。
で、今回のことで、自分のやり方も意外と脆いことに気づかされるわけですが、
そこを踏まえた上での、7巻の修学旅行における失敗であり、8巻の生徒会長選挙での失敗であるべきでしょう。
ある意味、6巻以上に重要な巻ですよ、これ。
これからこのシリーズを読み始められる幸運な人たちには
ぜひ、6巻→6.5巻→7巻の順番で読むことをお勧めしたいですね。
(※あ、でも巻末の「ぼーなすとらっく」は9巻の後日談か)
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