fc2ブログ

なりそこないの昔話~アオイホノオで考えたこと~

いやあ、「アオイホノオ」(テレ東系深夜ドラマ)面白いですね。始まる前はどうなることかとちょっと不安だったのですが、いい方向で期待を裏切ってくれました。
この作品は原作通りの展開とかそういうのではなく、80年代初頭の“熱”みたいなものを再現できるかどうかにかかっていたと思うのですが、今のところ、素晴らしい出来になっています。

第二話の冒頭、山賀と庵野の会話に出てきた「宮崎さんって誰?知り合い?」には、
笑いながらも「ああ、そうかこのころから作家に“さん”付けする感覚が 顕在化し出したんだなあ」と懐かしくもなりました。
今回はそんなちょっと昔話をしたいと思います。

その当時はまだ、“おたく”という言葉も認知されておらず、
少なくとも自分の周りでは今でいう「リア充」「一般」「オタク」のような階層はなく、未分化だった時代でした。

このころ、筆者はあまりアニメを見ていませんでしたが、漫画は好きでした。
というわけで、普通に漫画の話題を友達とだべる毎日だったのですが、
ある時、友達が「会話に“マンガ言葉”入れるの気持ち悪いからやめろよ」と言ってきたのです。

私は言っている意味がよくわからなかったのですが、どうやら無意識に「あのな~」と友達に突っ込んでいたらしいのですね。

「当たり前に『そ、そんな……』とか『おいおい』とか漫画のようなセリフをいうやつがいるけどさ、俺あれ嫌いなんだよね」
当時の私にはその言葉はすごく衝撃的でした。

そういえば、漫画やアニメに出てくる会話って、日常生活では普通使わないような独特の言い回しがあるな。


今思うと、気づくの遅すぎ!、とも思うのですが、今でもはっきりとその時の驚きは思い出せます。

マンガと現実は違うのだ、違うからマンガなのだ、と気づいた瞬間でした。


アオイホノオ」は意図的に漫画的な演出をしています。

「実在の人物・団体等の名称が一部登場するが、あくまでこの物語はフィクションである。」

そう、あれは80年代の“おたく”を描いた話ではありますが、実話ではありません。
高橋留美子はあんなグラビアアイドルではなかったですし(巨乳ではありますがw)、
矢野健太郎もあんなインチキプロデューサーみたいではありません。

当時はまだひょうきん族も始まったばかりで、ビートたけしも駆け出し芸人でしたし、
なにより、ベタに対する「つっこみ」もそれほど一般的に浸透しているとは言えませんでした。

今でこそ、あの中で行われている会話や動きは「マンガ」だからと認識されていますが、
当時はもっと、フィクションと現実とがあやふやだったような気がするのです。
あのころの自分が「アオイホノオ」を見ても、「宮崎さんって誰?知り合い?」で笑わなかったのではないでしょうか。

あの時、友人の「戒め」がなければ、
私はマンガと現実の区別もつけないような「痛い」人間になっていたかもしれません。
そう考えると、本当にあのときの友達には感謝ですね。

マンガやアニメが好きであることは、まったく恥ずかしくありませんが、
現実をマンガのようにとらえたり、マンガを現実であるかのように振る舞うのは、恥ずかしいことですから。
関連記事
スポンサーサイト



tag : アオイホノオ1980年代

line
line

comment

管理者にだけ表示を許可する

なりそこないさんがワタモテ温故知新をやってるように、滅びゆく温故知新中のめこっちです。

自分は多分なりそこないさんより5~10歳ぐらい下な気がしますが、私の学生時代も今ほどカテゴリー分けはされてない頃でした。
リア充、オタクというより、ヤンキー、一般人、お宅←この字  って感じでしたね。
レイアースやYAIBAのラノベの原形みたいなものを読む男子と、幽遊白書の蔵馬の下敷きをもった金縁眼鏡かけた女子が中学生当時のお宅のイメージでした。

私も漫画ばかり読んでいてアニメは見てなかった、いや、正確にはアニメを見始めてしまうと何か道を間違えてしまう予感がしていた。一般人気取ってたわたしは、クラスの金縁メガネに加わるわけにはいかないのだ、と、もこっちから一番嫌われるような奴でした。

ずっとお宅的なモノを避けて育ち、でもずっと横目でチラチラ見てはいた。日曜朝やっているGS美神が気になっていた。わぴこの元気予報が聞こえてきてピクッとなっていた。なんか素敵な音がするぞ、と。

どうでもいい下らない心の壁が取り払えないまま、二十歳を過ぎ23歳の時、とあるキッカケでオタ道にハマりました。
それは大人になってからオタクになったというより、ずっとその素養(どころか自分の好みど真ん中)は持ちつつ子供時代逃げていたものに、ついに逃げきれず捕まった感じでした。
自分の好きなこと、趣味に正直に生きることはなんと素敵なことでしょう。
好きでもないリア充行動、リア充に見える遊びに興じていた無駄な時間を悔やみました。だって本当の自分の時間じゃなかったんだもの!

アオイホノオを読んでると、自分がもし10代から突っ走っていたらどうだったか。物心ついた時から自分の正直なものに向かっていってたらと思います。アオイホノオの出てくる賢人達の若い頃の熱量が羨ましくて仕方ない!


…長々すみません。そんな訳でワタモテで1番共感してしまうのはネモであり、学生時代は清田と南さんを足して2で割ったようなめこっちでした。

滅びゆく温故知新中なのでこのへんで。

Re: タイトルなし

>めこっちさん、コメントありがとうございます。
こんな懐かしい記事を読んでいただけるとは、嬉しいような恥ずかしいようななんだかむず痒い感じですw

めこっちさんはおそらく90年代に青春を過ごした世代だと思うのですが、そのころでもまだはっきりカテゴリー分けがあったわけじゃなかったんですね。個人的には90年代って、オタクに一番厳しかった時代という印象があります。もちろん1989年の某M事件の影響が大きかったわけですが、その後も1995年にオウム事件が起きたりして、何かにつけオタク文化と関連付けられていたような気がしますね。

もし仮に私が90年代に10代だったとしたら、どうだっただろうなあ。ひょっとすると、めこっちさん以上にやせ我慢をしていたかもしれません。今でもそうですが、変なところで自意識過剰なところがありますから。

アオイホノオに出てくる人たちへの憧れは私も同じですよ。「おたく」にも「一般人」にもなれないというコンプレックスはずっと抱えていましたから。
でも、それが自分なんだと認めたとたんに楽になれましたね。要は「なりそこない」で何が悪いと開き直ったわけです。
無理してリア充を気取ることもないですし、逆に無理してオタクになろうとすることもないんです。
自分の好きなことに正直になるということは、本来そういうカテゴリー的なこととは無縁のことなんだと思いますね。

それでは、良い「滅びゆく温故知新中」を!(笑)
line
line

line
プロフィール
ぬるく切なくだらしなく。 オタクにも一般人にもなれなかった、昭和40年代生まれの「なりそこない」がライトノベルや漫画を主観丸出しで書きなぐるところです。 滅びゆくじじいの滅びゆく日々。 ブログポリシーはこちら

なりそこない

Author:なりそこない
FC2ブログへようこそ!

line
Twitterフォロー
line
カレンダー
11 | 2023/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
カウンター
line
表現規制問題について
line
Amazon人気商品










line
My Favorite商品
line
検索フォーム
line
読んでいます
line
リンク
line
RSSリンクの表示
line
QRコード
QR
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
sub_line