映画「ボヘミアンラプソディ」を見てきた!
…すみません。お前、わたモテの感想も書かずに何やってんだと思われることでしょうけど、今回は見逃してください。
だって、本日11月24日はフレディ・マーキュリーの命日なんですよ?今見に行かずして、いったいいつ行くんですか!
わたモテの感想は明日25日中には必ずアップいたしますので、今はこの興奮の余韻に浸らせてください。
というわけで、見に行っちゃいましたよ、『ボヘミアンラプソディ』!
映画の内容に関しては、すでに多くの方が語られていますし、いまさら私が説明するまでもないでしょうから割愛させていただきますが、まあ一言で言うと最高でしたね。
それはもう、予想をはるかに超えて最高でした。
途中からはもう、自然に熱いものが頬をつたっていくのを忘れるくらいでしたよ。上映が終了して照明がついたときに、あわてて顔を隠しましたからね、マジで。でも目が真っ赤だったからたぶん周りに気付かれていただろうなあ……
実は最初はそれほど期待していなかったんですよ。俳優が決まらないとか、はたまた監督が降りたとか、あまりいい話が聞こえてきませんでしたからね。
ここにきて、急に評論家が手のひら返したように褒めだしてもどこか半信半疑だったんです。今でこそ、クイーンはすごかったということになっていますが、現役当時のメディアの辛辣さはけっこうひどかったですからね。基本的に彼らのクイーンについての言葉は今でも信用ならないと思っているんですw
だからこそ、この目でしっかりと見て、確認しようと思っていました。
評論家やロックマニアの声ではなく、自らの魂に響くかどうかを。
そしたら、もう最初から心臓わしづかみされました。
いきなり、ブライアンメイのギターとロジャーテイラーのドラムによる『20世紀FOXファンファーレ』ですからね。
そう、『フラッシュゴードン』の例をあげるまでもなく、クイーンの音楽は元々映画的でもあったんです。ある意味、映画になることが必然でもあったバンドだったんですよ。
『ボヘミアンラプソディ』は、音楽映画によくある“ドキュメンタリー”ではありません。伝記ものでもありません。
フレディ・マーキュリーという一人の男の生き方を元に、新たな“物語”を再構築したものなんです。いうなれば、クイーンの“新作”といってもいいかもしれません。
すでにファンが指摘しているように、時系列はかなりむちゃくちゃです。フレディがHIV感染を知った時期はもちろんですが、曲ができた順番もかなり食い違っていて、例えば『ウィ・ウィル・ロック・ユー』の誕生秘話が1980年以降として語られていたりもします。
でも、そんなことは問題じゃないんです。いや、映画を見たらむしろ、初めからそうだったような気すらしてくるんですよ。むしろそれこそが、この映画を素晴らしいものとしたのだと声を大にして言いたいくらいですね。
だって、クイーンの音楽は常に「大仰」「こけおどし」「ロックじゃない」と言われ続けても、常に大げさで輝かしい「物語」を作り続けてきたのですから。
プロデューサーや評論家たちが、こんなのロックじゃないと罵声を浴びせても彼らは自分たちがあるべきだと信じる理想を追い求めてきました。そして、いつだって結果を出して彼らを黙らせてきたんです。
そう、クイーンはいつでもオーディエンスとともにありました。
映画の中でも出てきますが、リオでの「Love of my life」の観客の合唱はいつ見ても感動的です。この曲は、本当はフレディのごく個人的な思いを歌ったものです。その辺の背景は映画の中でもきちんと描かれていますが、でも、彼がステージの上に立った時には、それはもう一つの「物語」としてみんなのものになっているんですね。
だからこそ、その後に『ウィ・ウィル・ロック・ユー』を作る話が生きてくるんですよ。ただ起こった順になぞっただけでは、絶対に映し出せない「真実」がそこにあるんです。
もちろん、すべてフィクションというわけではありません。ひとつひとつのエピソードは、関係者の証言に基づく事実から作られていますし、フレディの言葉ひとつとっても、クイーンオリジナルメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーの監修つきです。(フレディが彼らに悪態ついた時のひどい言葉もそのままだったとかw)
つまり、それらの事実を再構築したうえで、さらなる高みを目指した映画、それが『ボヘミアンラプソディ』というわけなのです。
事前に「フレディのセクシャリティの問題が都合よくごまかされている」という批判も目にしていたのですが、私が見た限り嘘ですね。むしろここまで描いて大丈夫か?くらいでしたよ。フレディを聖人扱いすることなく、汚い部分クズな部分を赤裸々に見せていました。
そう、この映画のタイトルが、「クイーン」でも「フレディ」でもなく、「ボヘミアンラプソディ」としたところはそこにあったのでしょう。ボヘミアン(放浪し続けてきた規格外の男)のラプソディ(狂詩曲)というわけです。
もちろん、細かいことをいえばいろいろあります。特にジョン・ディーコンの扱いがひどいw
いつの間にいたんだよお前はwくらいの勢いなんですよ。嘘でもいいからせめて加入のエピソードくらい入れてやれとは思いましたねw
バンドの仲が拗れてフレディが彼らとケンカ別れする際も、ジョンがなぜかオチ扱いですよ!(ネタバレはさけたいので詳細は書きませんが、正直私が唯一笑ったシーンですw)
音楽的な貢献度はロジャー以上だと思うんだけどなあ。ジョンが引退して関わっていないからって好き放題やったんじゃなかろうか…(でも地獄へ道づれのベースはかっこよかったからまあいいかw)
あとできれば、スタジオでセックスピストルズとかち合った話は入れてほしかったかも。フレディとシド・ヴィシャスとの逸話が好きなんですよw
クイーンと他のミュージシャンとの関係も描いてくれたらいうことないでしたね。
とにかく圧巻だったのは、やっぱり最後の「ライブエイド」。
誰よりも愛されることを望みながら足掻き続けた「規格外れの男」がたった20分で世界を変えたことが、これを見ればはっきりとわかります。
そう、たった20分のステージで彼らは確かに世界を変えたんです。
当時高校生だった私もその瞬間を見ています。
それは、クイーンが常にオーディエンスとともにあったことの何よりの証明になるはずです。
パンフレットには、多くのミュージシャンがフレディについて語っていますが、私が特に感銘を受けた言葉を最後に引用して、この記事を終わりたいと思います。
フレディは超人だと思うだろう?
でも、1985年のライブエイドで、彼がウェンブリー・スタジアムの聴衆の心をどうやって掴んだか知っているかい?
彼はステージ上で、観客と一緒に発声練習をしたんだ。
そんな親しみの持てる姿に、
「ああ、彼も人間なんだ」って観客は気づいたのさ。
Byデイヴ・クロール(元ニルヴァーナ/現フー・ファイターズ)
サウンドトラックはベスト盤としても聴けますが、
曲順が映画で出てくる通りになっていますので、映画の追体験としても楽しめるはずです
伝説のライブはこちらで!
だって、本日11月24日はフレディ・マーキュリーの命日なんですよ?今見に行かずして、いったいいつ行くんですか!
わたモテの感想は明日25日中には必ずアップいたしますので、今はこの興奮の余韻に浸らせてください。
というわけで、見に行っちゃいましたよ、『ボヘミアンラプソディ』!

映画の内容に関しては、すでに多くの方が語られていますし、いまさら私が説明するまでもないでしょうから割愛させていただきますが、まあ一言で言うと最高でしたね。
それはもう、予想をはるかに超えて最高でした。
途中からはもう、自然に熱いものが頬をつたっていくのを忘れるくらいでしたよ。上映が終了して照明がついたときに、あわてて顔を隠しましたからね、マジで。でも目が真っ赤だったからたぶん周りに気付かれていただろうなあ……
実は最初はそれほど期待していなかったんですよ。俳優が決まらないとか、はたまた監督が降りたとか、あまりいい話が聞こえてきませんでしたからね。
ここにきて、急に評論家が手のひら返したように褒めだしてもどこか半信半疑だったんです。今でこそ、クイーンはすごかったということになっていますが、現役当時のメディアの辛辣さはけっこうひどかったですからね。基本的に彼らのクイーンについての言葉は今でも信用ならないと思っているんですw
だからこそ、この目でしっかりと見て、確認しようと思っていました。
評論家やロックマニアの声ではなく、自らの魂に響くかどうかを。
そしたら、もう最初から心臓わしづかみされました。
いきなり、ブライアンメイのギターとロジャーテイラーのドラムによる『20世紀FOXファンファーレ』ですからね。
そう、『フラッシュゴードン』の例をあげるまでもなく、クイーンの音楽は元々映画的でもあったんです。ある意味、映画になることが必然でもあったバンドだったんですよ。
『ボヘミアンラプソディ』は、音楽映画によくある“ドキュメンタリー”ではありません。伝記ものでもありません。
フレディ・マーキュリーという一人の男の生き方を元に、新たな“物語”を再構築したものなんです。いうなれば、クイーンの“新作”といってもいいかもしれません。
すでにファンが指摘しているように、時系列はかなりむちゃくちゃです。フレディがHIV感染を知った時期はもちろんですが、曲ができた順番もかなり食い違っていて、例えば『ウィ・ウィル・ロック・ユー』の誕生秘話が1980年以降として語られていたりもします。
でも、そんなことは問題じゃないんです。いや、映画を見たらむしろ、初めからそうだったような気すらしてくるんですよ。むしろそれこそが、この映画を素晴らしいものとしたのだと声を大にして言いたいくらいですね。
だって、クイーンの音楽は常に「大仰」「こけおどし」「ロックじゃない」と言われ続けても、常に大げさで輝かしい「物語」を作り続けてきたのですから。
プロデューサーや評論家たちが、こんなのロックじゃないと罵声を浴びせても彼らは自分たちがあるべきだと信じる理想を追い求めてきました。そして、いつだって結果を出して彼らを黙らせてきたんです。
そう、クイーンはいつでもオーディエンスとともにありました。
映画の中でも出てきますが、リオでの「Love of my life」の観客の合唱はいつ見ても感動的です。この曲は、本当はフレディのごく個人的な思いを歌ったものです。その辺の背景は映画の中でもきちんと描かれていますが、でも、彼がステージの上に立った時には、それはもう一つの「物語」としてみんなのものになっているんですね。
だからこそ、その後に『ウィ・ウィル・ロック・ユー』を作る話が生きてくるんですよ。ただ起こった順になぞっただけでは、絶対に映し出せない「真実」がそこにあるんです。
もちろん、すべてフィクションというわけではありません。ひとつひとつのエピソードは、関係者の証言に基づく事実から作られていますし、フレディの言葉ひとつとっても、クイーンオリジナルメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーの監修つきです。(フレディが彼らに悪態ついた時のひどい言葉もそのままだったとかw)
つまり、それらの事実を再構築したうえで、さらなる高みを目指した映画、それが『ボヘミアンラプソディ』というわけなのです。
事前に「フレディのセクシャリティの問題が都合よくごまかされている」という批判も目にしていたのですが、私が見た限り嘘ですね。むしろここまで描いて大丈夫か?くらいでしたよ。フレディを聖人扱いすることなく、汚い部分クズな部分を赤裸々に見せていました。
そう、この映画のタイトルが、「クイーン」でも「フレディ」でもなく、「ボヘミアンラプソディ」としたところはそこにあったのでしょう。ボヘミアン(放浪し続けてきた規格外の男)のラプソディ(狂詩曲)というわけです。
もちろん、細かいことをいえばいろいろあります。特にジョン・ディーコンの扱いがひどいw
いつの間にいたんだよお前はwくらいの勢いなんですよ。嘘でもいいからせめて加入のエピソードくらい入れてやれとは思いましたねw
バンドの仲が拗れてフレディが彼らとケンカ別れする際も、ジョンがなぜかオチ扱いですよ!(ネタバレはさけたいので詳細は書きませんが、正直私が唯一笑ったシーンですw)
音楽的な貢献度はロジャー以上だと思うんだけどなあ。ジョンが引退して関わっていないからって好き放題やったんじゃなかろうか…(でも地獄へ道づれのベースはかっこよかったからまあいいかw)
あとできれば、スタジオでセックスピストルズとかち合った話は入れてほしかったかも。フレディとシド・ヴィシャスとの逸話が好きなんですよw
クイーンと他のミュージシャンとの関係も描いてくれたらいうことないでしたね。
とにかく圧巻だったのは、やっぱり最後の「ライブエイド」。
誰よりも愛されることを望みながら足掻き続けた「規格外れの男」がたった20分で世界を変えたことが、これを見ればはっきりとわかります。
そう、たった20分のステージで彼らは確かに世界を変えたんです。
当時高校生だった私もその瞬間を見ています。
それは、クイーンが常にオーディエンスとともにあったことの何よりの証明になるはずです。

パンフレットには、多くのミュージシャンがフレディについて語っていますが、私が特に感銘を受けた言葉を最後に引用して、この記事を終わりたいと思います。
フレディは超人だと思うだろう?
でも、1985年のライブエイドで、彼がウェンブリー・スタジアムの聴衆の心をどうやって掴んだか知っているかい?
彼はステージ上で、観客と一緒に発声練習をしたんだ。
そんな親しみの持てる姿に、
「ああ、彼も人間なんだ」って観客は気づいたのさ。
Byデイヴ・クロール(元ニルヴァーナ/現フー・ファイターズ)
サウンドトラックはベスト盤としても聴けますが、
曲順が映画で出てくる通りになっていますので、映画の追体験としても楽しめるはずです
伝説のライブはこちらで!
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