『いまさら翼といわれても』感想その3~「わたしたちの伝説の一冊」「長い休日」「いまさら翼といわれても」~
前回からあまりに間が空いてしまった『いまさら翼といわれても』の感想ですが、
もういい加減、なんとかしないといけないということで、今さらながらの後半戦です。
…まさに「いまさら感想といわれても」状態ですけど、もしよろしければお付き合いのほどを。
ここまでの感想は以下のとおり↓
「古典部シリーズ」最新刊発売決定~『わたしたちの伝説の一冊』感想にかえて~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
『いまさら翼といわれても』感想その1~目次についてのあれこれ~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-203.html
『いまさら翼といわれても』感想その2~「箱の中の欠落」「鏡には映らない」「連峰は晴れているか」~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-205.html
ということで、今回は前回からの続き、『わたしたちの伝説の一冊』から見ていきます。
なお、今回は、ミステリ的なネタバレも含めて内容に深く触れています。
未読のかたは既読後の観覧を強くお勧めします。
●「わたしたちの伝説の一冊」
個人的に、今回の作品集の中でもっとも好きな話です。
約1年前(!)に「個人的にここ最近の短編の中でも一番好きかもしれないくらいにお気に入り」と書きましたが、今でもその気持ちは変わりませんね。
それにしても、『いまさら翼といわれても』という連作短編集の中で、この一篇は明らかに異色です。
同じ“摩耶花”主観である「鏡にはうつらない」には、テーマとして「奉太郎が“推理”をする基準」がありましたが、ここではそれさえもありません。純粋に「摩耶花が漫研を退部した顛末」を描いた話になっています。
いったいなぜ、このような「摩耶花の話」が今回の『いまさら翼といわれても』の本編として組み込まれたのでしょうか?
摩耶花と漫研。
「クドリャフカの順番」でこの複雑で微妙な“確執”が描かれて以来、今までも何度か触れられてきました。
「手作りチョコレート事件」(『遠まわりする雛』所収)では里志が奉太郎と会話する中で、
いま漫研は、ちょっとした内紛状態なのさ。潜在的だった対立が文化祭以降顕在化して、印象派と理性派の二派に分かれて争っている。こじれれば、伝統ある漫画研究会の分裂は避けがたい情況らしい。(『遠まわりする雛』本文291ページより引用)
と語らせていますし、
その後、『ふたりの距離の概算』では奉太郎が
二年生になり伊原摩耶花は少し変わった。はっきりわかっているのは兼部していた漫画研究会を退部したということだ。本人は「疲れちゃって」と言っていた。(『ふたりの距離の概算』本文15ページより引用)
と回想しています。
里志の話は2月14日当日ですし、奉太郎は五月末に開かれるマラソン大会の前日でのモノローグですから、1年の2月14日から2年の5月30日の間に摩耶花は退部したということになりますね。
具体的にいつ辞めたのかというのは今まではっきりしていませんでしたが、
今回の話で、それは5月後半のことだということがはっきりしました。
まさか、あの新入生勧誘にまつわるごたごたの最中に、こんな事件が起こっていたとは……
私は4月の始めくらいかなと思っていたんですけどね。『ふたりの距離の概算』で千反田えるが摩耶花の退部について「年度の変わり目にはいい機会」と言っていましたし。
まあそれはともかく、ある意味スピンオフ的なこの話が、なぜ今回の作品集に収録されたのかといえば、私は『ふたりの距離の概算』にその答えがあるような気がしているんですよ。(以下、『ふたりの距離の概算』のネタバレを含みます)
大日向が入部しないと決めた決定打は千反田の話でした。
彼女が「摩耶花の退部」について「よかった」と賛成したこと。これが大きなポイントになっていたんですね。
なぜ、えるは摩耶花が辞めたことに賛成したのか。詳しいことは『ふたりの距離の概算』を読んでいただきたいのですが、簡単に言うと、
「つらいことに耐えながら間違っていると思いながら折り合っていくよりも自分を守るべきだ」ということなんです。
えるはお嬢様然としていますが、実はこんなはっきりとした考えを持っている子なんですね。
つまり、摩耶花の今回の決断と「いまさら翼といわれても」はリンクしているのではないかと思うのですよ。
なんとなくですけど、摩耶花に降り注いだ漫研内の権力闘争と、えるが突如言われた「千反田家の事情」もどこか通じるところがあるんじゃないでしょうか。
米澤さんはインタビューで摩耶花について「世間ずれしていない千反田と対照を成していきました。人間関係の中でもがいて生きていく人物です。」と答えています。そう、えると摩耶花は“対照”的だったのですね。
そんな中、今回(「いまさら翼といわれても」)の話を通じて、えるも摩耶花のように「人間関係でもがいて生きていく」とことを知っていく……。
そんな構成を意図していたのかなという感じがしますね。
それにしても、本当にこの話は好きですねえ。もう十回以上は読み直していますけど、まったく飽きませんね。
正直に言うと、最初に読み始めてこれは「摩耶花の退部」についての話であるとわかってからは読み進めるのが少し怖かったんです。
なぜなら、『ふたりの距離の概算』で少し語られる「退部の顛末」はとても円満な形とは思えませんでしたから。
摩耶花が「疲れちゃって」と言って退部したその背景には、それはそれは辛くてやり切れない真相があるのだろうと思っていただけに、かなり後味の悪い結末が待っているのではないかと不安だったんですね。
まあ実際、確かに漫研の人間関係というか、二つの派閥に分かれての権力争いは「古典部シリーズ」の中でも屈指と言ってもいいほどにエグくて陰湿なものでした。
ところがどうでしょう。
最後の一文まで読んだときのあの爽やかな感動は!
わたしは漫画研究会を退部した。
まさかこんな一文を、この上なく、すがすがしい気持ちで読むことになるとは思いもしませんでしたよ(笑)。
改めて読むと構成が実にうまいんですよね。
まず、摩耶花が小学三年生のとき、漫画を描き始めるきっかけから始まるわけですが、もうこれだけで、彼女の情熱がしっかりと伝わるんですね。
あの日から、わたしはずっと描いている。
この一文から鮮やかに高校1年の2月18日へと切り替わるところなんかもう最高ですよ。
彼女の気持ちとシンクロするというか、私なんか、「伊原花鶴」の文字が読めた瞬間、彼女と同様「えっ。えっ」となってしまいましたからねw
本当にすごくうれしく感じたんですよ。もう我が子のようにw
伊原摩耶花に思いっきり感情移入して共に一喜一憂できる。
これはそんな作品になっているんです。
そして、途中で出てくる奉太郎の中学時代の読書感想文、『「走れメロス」を読んで』。
これがまたすごくいい伏線になっているんですね。
最初読んだときは、奉太郎の推論になんだか嫌な予感がしたんですよ。
「刺客をさしむけたのは王様ではない」というあれです。
里志も言っていた通り、今回の漫研抗争の中で起こった事件は奉太郎の話と似ています。
だから摩耶花の漫画ノートを盗んだ「読むだけ派」のリーダー・羽仁さんの後ろには「黒幕」がいるのだろうとは思っていました。
今回、奉太郎は直接推理はしない分、過去の彼が感想文という形でそれを示唆しているのだろうと。
結果として、半分あたって半分はずれていました。
確かに「黒幕」はいました。そこは伏線通りです。でも実は、それはミスリードを誘うものだったんですね。
待っていた「黒幕」、それはあの河内亜也子先輩でした。
もうね。彼女の名前を見た瞬間に心が震えましたね。
あの「クドリャフカの順番」で摩耶花と対峙した時に表情を一切見せず、
「冗談よ。本気なわけないじゃない。誰の、どんな作品も、主観の名の下で等価だなんて、そんなこと本気で言ってるわけないじゃない」
と言ったあの河内先輩ですよ?
そして先輩はあの「わたしたちの伝説の一冊」についてある提案をするわけです。
そう、「次はあたしの番だ。あたしと、あんたの番だ」、と。
もう本当にこの時点でぞくりとしてしまうわけですが、最後にとどめの一発ですよ。
なぜ、「金曜の夜まで」だったのか。
この“真相”には思わず、あ!と声が出てしまいそうになりましたね。
冒頭の2月。
あの雪の中「ラ・シーン三月号」を買いに行ったあの日こそ、実は一番の伏線だったことに驚愕すると共に大きな感動を覚えざるを得ませんでした。
「伊原花鶴」というたったひとつのペンネームが、あの河内先輩を「次はあたしの番だ」と言わしめるひとつのきっかけになった。
それはある意味で『夕べには骸に』に匹敵する力を持っていたんだと思います。
まさか、これほどまでに前向きで力強い「退部の顛末」だとは思いませんでしたよ。
それは中盤、醜い漫研の内部抗争がどろどろと描かれていたからこその輝きでもあったのでしょう。
その見事なコントラストというか、じめっとした空気が鮮やかに反転する感じがなんとも心地よいんです。
しかも、それは単純にみんな報われてハッピーというわけではないんですよね。
漫研を取り巻く人間の狡さや陰湿さは確かに存在するし、現在進行形でもあるんです。きっとこれから嫌な思いをすることもあるかと思います。
そんな中で、摩耶花は自分の夢を、人生を守るために自分で決断した。
だからこそ、「わたしは漫画研究会を退部した。」の一文に私たちは感動するんです。
『ふたりの距離の概算』で千反田えるは、
「漫研を退いたのは英断だったと思います」
と言いました。
きっと千反田えるも、これから様々な人間関係の複雑さに翻弄されることでしょう。
時には、判断を後回しにしたりすることもあるかもしれません。
でも、摩耶花の決断を「英断」だったといえる彼女なら、最後には自分の人生は自分で判断できるはずだと私は信じています。
●「長い休日」
間違いなく、今回の作品集において「軸」となる話です。
もう何度も読む返していますが、そのたびに、これが表題作「いまさら翼といわれても」の一つ前に収録されていることの意味を考えずにはいられません。
正直、「ミステリ」的な面白さとしては、今回の短編集の中で最も薄いと思います。
小学校のとき、奉太郎が受けたであろう仕打ち。
読者がその真相に気付くのはそう難しくはないはずです。
ミステリ通でもない私でも「ランドセル」のくだりで予想はついたくらいですからね。
そう、要するに、奉太郎は田中という女の子に係の役目をすべて押しつけられていて、当の本人はさぼって遊んでいたわけです。
でも、最初読んだときはわかりませんでした。
彼がそれをどう受け止めて、どんな気持ちであの“省エネ”モットーにたどり着いたのかを。
私には、えるが言っていたように、
そんなことがあったんですね。折木さんはもう嘘をつかれるのが嫌で、『やらなくてもいいことなら、やらない』と。(本文262ページより引用)
としか解釈できなかったんですね。
ところが、そうじゃなかったんです。そんな単純な話じゃなかったんですよ。
田中のやっていたことは担任もわかっていて、わかっていながら黙認していたんです。
いや、“黙認”じゃないですね。
彼は奉太郎が頼まれたら文句を言わずに引き受けることを知っていました。
むしろ、積極的に奉太郎を便利屋として使う気満々だったわけです。
ある意味、女の子と共犯だったんですね。
ここに奉太郎が受けたショックの大きさがうかがえます。
そう、単に「嘘をつかれた、騙された」という話じゃないんです。
善意は付け込まれるのだという、この世の悲しい一面を知ってしまった一人の少年の話なんですよ。
この話をえるが奉太郎の口から知りえたということは、大きな意味を持つと思います。
そして話は「いまさら翼といわれても」とつながっていくわけです。
●「いまさら翼といわれても」
さあいよいよ表題作です。
ある意味「生殺し」状態で以下続刊!となっている内容なので、なんとも書きづらいというのが正直なところですが、なんとか素直な思いを記しておこうと思います。
なお、一応雑誌掲載時の「感想もどき」は以下にありますので、参考までにどうぞ。↓
『いまさら翼といわれても・前篇』第一印象~えるを見つける物語~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
『いまさら翼といわれても・後篇』まで読んで~「長い休日」は終わった~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
さて、短編集において、「表題作」というのは特別な意味を持つものですが、今回の『いまさら翼といわれても』は特に重要な一篇だという気がします。
感想その2の冒頭でも書きましたが、これまで見てきた5つの話はこの「いまさら翼といわれても」という作品の“章”に当たるものだったのではないかと思えるくらいでしたね。
例えば、冒頭の部室のシーン。摩耶花が里志に相談しながら漫画のアイディアを練っているところは、「わたしたちの伝説の一冊」を読んだ後だと、また違った感慨を受けますね。
きっと、あの事の顛末は里志にも伝えたんだろうな、と思うだけでなんだかすごく嬉しくなるんですよ。
また、この部室のシーンって、奉太郎と摩耶花と里志の三人がすごく仲がいいのが印象的ですよね。
摩耶花の「あ、折木も聞いてよ」とか、なんてことない呼びかけなんですけどなんだか新鮮に響きましたよ。
その分、千反田えるだけがそこにいないかのような寂しい雰囲気も際立っていましたが……
というか、ここは摩耶花とえるを“対照的”に見せているシーンでもあるのかなと感じましたね。
それにしても、ここでの「甘すぎる砂糖」の謎って、はっきりと決着ついていないですよね?
後日、文集の打ち合わせも兼ねて答え合わせに行くことになっていましたが、ひょっとしてこれが、次巻以降の伏線になっていくんでしょうか。それはえるの問題ともリンクしてくるんでしょうか?
文集といえば「氷菓」、「氷菓」と言えば、あの関谷純の件がどうしても思い出さずにはいられませんからね。
今回の千反田家の内情もその辺の話と絡んでくる可能性もあるのではないでしょうか。
うーん、気になります!
奉太郎が摩耶花の電話を受けるシーンもいいですね。
「箱の中の欠落」の焼きそばと呼応するかのような“冷やし中華”も思わずニヤリとしてしまいますが、
ここではなんといっても、奉太郎の対応ですよね。
なんてことないように装ってはいますが、「冷やし中華は火傷の心配がないので、その気になれば短時間で食べることができるのだ」ですからw
里志のときと比べると、どうしても笑ってしまいますね。本当に素直じゃないなあw
あと、最後まで読み終えてから「連峰は晴れているか」を読み直すと、また違った印象を受けますね。
初読では「長い休日」のプロローグというか、“奉太郎の本質”に触れたえるの思いといったところに気持ちがいっていたのですが、
「いまさら翼といわれても」の後だと、奉太郎の「無神経というか、人の気も知らないでって感じか。」という言葉が頭から離れません。
これって、今回のえるにも通じる話じゃないですか?
「あの子は千反田家の跡取り、自らの責任をわきまえています」(本文334ページより引用)
これはえるの伯母・横手さんの言葉です。
彼女に限らず、えるを知る人なら誰もが同じようなことを言うでしょう。
そしてあえて一般論を述べるなら、えるはどんな事情があろうとも責任を果たすべきです。
重要なソロパートなのですし、彼女が抜けただけで多くの人に多大な迷惑をかけるのですから。
でも、そういう「正論」だけを振りかざして否応なしに押さえつけるって、それこそ「人の気も知らないで」でしょう。
そんなことをあえて言われなくても、えるにだって十分わかっているんですよ。
あの生き雛祭りでの毅然とした対応を思えば、彼女がどれほど多くの人の期待を背負って責任を全うしようとしていたのかは火を見るより明らかじゃないですか。
でも、いえ、だからこそ、「いまさら」自由に生きろと言われてもどうしようもなくなってしまうんですよ。
そう、「いまさら翼といわれても」。
「いまさら」という言葉にはそれ自体に“感情”の色がついています。
「いまさら、そんなこというなよ」といった風に、どうしても感情が乗ってしまう強い言葉だと思うんです。
こんな言葉を聞いてしまったら、もう無責任に「正論」なんて言えないじゃないですか。
たぶん、彼女は最初からなんのためらいもなく「跡取り」の役目を素直に受け入れたのではないのでしょう。
他人には計り知れない葛藤と覚悟の上で選んだ道だったはずです。
だからこそ、「いまさら」なんですよ。
今までお前が背負ってきたものは全部もう無駄になったから、と言われて、
いったい誰がああそうですかとすんなり喜べますか?
それにしても。
けっきょく、千反田家に何があって、えるの父親は仏間でいったい何を告げたんでしょう。
何度読み直してもどうしてもよく見えてきません。
まあ、最後のえるの言葉から察するに
「自由に生きろ」「お前の好きな道を選べ」、そして「千反田家のことはなんとかするから考えなくていい」といった類のことだとは推測できますが、
そう告げる理由というか“真意”がわからないんですよね。
普通に考えれば、跡取りの話がなくなったということでしょう。
何かお家騒動的なことがあって別の血筋に譲らなくてはならなくなったとか、
はたまた、単純に没落して財産を失うことになったのか。
ただ、少なくとも横手さんは跡取りの件について何も知らない風でしたよね。
まだ表に出す話ではないからということであえて黙っていた可能性もありますが、
それにしてもえるが失踪したことについて思い当たる節もなかったのは不自然です。
やっぱり、伯母である彼女はこの段階では知らなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
個人的には、彼女の存在が次回以降の展開の鍵を握るような気がします。
横手さんは最初、千反田のことを「千反田のお嬢さん」と呼んでいた。話の中で「あの子」と呼び方になったのは、しばらくしてからのことだ。〜中略〜あの呼び方の差にはもっと複雑な、外部の人間が容易に口を出せない何かが表れていたような気がする。(本文340ページより引用)
横手さんは表向きというか、建前としては「千反田の跡取り」としてある種冷徹なまでにその「責任」を言及しますが、一方ではえるが幼い頃に自分の蔵を隠れ家にしていたことを知っているわけですよ。
「隠れ家」。
そう、横手さんは確かに「あの子はもっと幼い頃、あそこによく隠れていましたから」といっていました。
いったい、えるは何から隠れていたのでしょう。
冒頭、えるは父親に対して恐れを感じているようでした。
「おそるおそる答えます」とか「父の声はいつものように重々しいものでした」とか、
今回に限らず、どうも彼女は普段から父に対して身構えて接していたような気がするんですよ。
そう考えると、ひょっとすると父親から隠れていたのではないかという可能性に行き当たるんです。
その辺の事情を横手さんが知っているかどうかはわかりませんが、少なくとも何かから「隠れていた」ことはわかっていたわけですよね。
真面目で責任感の強いだけではないえるの一面は知っていたのではないでしょうか。
伏線かどうかはわかりませんが、「文集」の打ち合わせの件もありますし、
再び、伯父であった関谷純の話が絡んできたりしたら面白いかもという気がしますね。
「いまさら翼といわれても」という話は、今回の短編集の中でも特に受け手側にその解釈を委ねられた作品になっています。
結局えるは間に合ったのかということも含めて、様々な捉え方ができるでしょう。
ただ、私個人の気持ちとしては「間に合わなかった」であって欲しいと思っています。
変な言い方ですが、そのほうが「ハッピーエンド」のような気がするんですよ。
もし、あの後、なんとかバスに間に合って、事なくを得たら、彼女の「いまさら」に込められた思いが無下にされてしまうようなそんなことすら思ってしまうんですね。
大丈夫ですよ。えるは一人じゃありません。
摩耶花には「僕が守るよ」と言ってくれた里志がいるように、彼女には奉太郎がいます。「長い休日」を終わらせた奉太郎がいるんです。
千反田がこれまで背負ってきたもの、いま背負わなくていいと言われたもののことを思うと、俺はふと、何かをいっぱい殴りつけたい気分にかられた。殴って、自分の手も怪我して、血を流したいような気になった。(本文353ページより引用)
自分のために血を流すことすら厭わない彼がいる限り、自分の人生に対する責任はきちんと果たすはずですから。
もういい加減、なんとかしないといけないということで、今さらながらの後半戦です。
…まさに「いまさら感想といわれても」状態ですけど、もしよろしければお付き合いのほどを。
ここまでの感想は以下のとおり↓
「古典部シリーズ」最新刊発売決定~『わたしたちの伝説の一冊』感想にかえて~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-191.html
『いまさら翼といわれても』感想その1~目次についてのあれこれ~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-203.html
『いまさら翼といわれても』感想その2~「箱の中の欠落」「鏡には映らない」「連峰は晴れているか」~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-205.html
ということで、今回は前回からの続き、『わたしたちの伝説の一冊』から見ていきます。
なお、今回は、ミステリ的なネタバレも含めて内容に深く触れています。
未読のかたは既読後の観覧を強くお勧めします。
●「わたしたちの伝説の一冊」
個人的に、今回の作品集の中でもっとも好きな話です。
約1年前(!)に「個人的にここ最近の短編の中でも一番好きかもしれないくらいにお気に入り」と書きましたが、今でもその気持ちは変わりませんね。
それにしても、『いまさら翼といわれても』という連作短編集の中で、この一篇は明らかに異色です。
同じ“摩耶花”主観である「鏡にはうつらない」には、テーマとして「奉太郎が“推理”をする基準」がありましたが、ここではそれさえもありません。純粋に「摩耶花が漫研を退部した顛末」を描いた話になっています。
いったいなぜ、このような「摩耶花の話」が今回の『いまさら翼といわれても』の本編として組み込まれたのでしょうか?
摩耶花と漫研。
「クドリャフカの順番」でこの複雑で微妙な“確執”が描かれて以来、今までも何度か触れられてきました。
「手作りチョコレート事件」(『遠まわりする雛』所収)では里志が奉太郎と会話する中で、
いま漫研は、ちょっとした内紛状態なのさ。潜在的だった対立が文化祭以降顕在化して、印象派と理性派の二派に分かれて争っている。こじれれば、伝統ある漫画研究会の分裂は避けがたい情況らしい。(『遠まわりする雛』本文291ページより引用)
と語らせていますし、
その後、『ふたりの距離の概算』では奉太郎が
二年生になり伊原摩耶花は少し変わった。はっきりわかっているのは兼部していた漫画研究会を退部したということだ。本人は「疲れちゃって」と言っていた。(『ふたりの距離の概算』本文15ページより引用)
と回想しています。
里志の話は2月14日当日ですし、奉太郎は五月末に開かれるマラソン大会の前日でのモノローグですから、1年の2月14日から2年の5月30日の間に摩耶花は退部したということになりますね。
具体的にいつ辞めたのかというのは今まではっきりしていませんでしたが、
今回の話で、それは5月後半のことだということがはっきりしました。
まさか、あの新入生勧誘にまつわるごたごたの最中に、こんな事件が起こっていたとは……
私は4月の始めくらいかなと思っていたんですけどね。『ふたりの距離の概算』で千反田えるが摩耶花の退部について「年度の変わり目にはいい機会」と言っていましたし。
まあそれはともかく、ある意味スピンオフ的なこの話が、なぜ今回の作品集に収録されたのかといえば、私は『ふたりの距離の概算』にその答えがあるような気がしているんですよ。(以下、『ふたりの距離の概算』のネタバレを含みます)
大日向が入部しないと決めた決定打は千反田の話でした。
彼女が「摩耶花の退部」について「よかった」と賛成したこと。これが大きなポイントになっていたんですね。
なぜ、えるは摩耶花が辞めたことに賛成したのか。詳しいことは『ふたりの距離の概算』を読んでいただきたいのですが、簡単に言うと、
「つらいことに耐えながら間違っていると思いながら折り合っていくよりも自分を守るべきだ」ということなんです。
えるはお嬢様然としていますが、実はこんなはっきりとした考えを持っている子なんですね。
つまり、摩耶花の今回の決断と「いまさら翼といわれても」はリンクしているのではないかと思うのですよ。
なんとなくですけど、摩耶花に降り注いだ漫研内の権力闘争と、えるが突如言われた「千反田家の事情」もどこか通じるところがあるんじゃないでしょうか。
米澤さんはインタビューで摩耶花について「世間ずれしていない千反田と対照を成していきました。人間関係の中でもがいて生きていく人物です。」と答えています。そう、えると摩耶花は“対照”的だったのですね。
そんな中、今回(「いまさら翼といわれても」)の話を通じて、えるも摩耶花のように「人間関係でもがいて生きていく」とことを知っていく……。
そんな構成を意図していたのかなという感じがしますね。
それにしても、本当にこの話は好きですねえ。もう十回以上は読み直していますけど、まったく飽きませんね。
正直に言うと、最初に読み始めてこれは「摩耶花の退部」についての話であるとわかってからは読み進めるのが少し怖かったんです。
なぜなら、『ふたりの距離の概算』で少し語られる「退部の顛末」はとても円満な形とは思えませんでしたから。
摩耶花が「疲れちゃって」と言って退部したその背景には、それはそれは辛くてやり切れない真相があるのだろうと思っていただけに、かなり後味の悪い結末が待っているのではないかと不安だったんですね。
まあ実際、確かに漫研の人間関係というか、二つの派閥に分かれての権力争いは「古典部シリーズ」の中でも屈指と言ってもいいほどにエグくて陰湿なものでした。
ところがどうでしょう。
最後の一文まで読んだときのあの爽やかな感動は!
わたしは漫画研究会を退部した。
まさかこんな一文を、この上なく、すがすがしい気持ちで読むことになるとは思いもしませんでしたよ(笑)。
改めて読むと構成が実にうまいんですよね。
まず、摩耶花が小学三年生のとき、漫画を描き始めるきっかけから始まるわけですが、もうこれだけで、彼女の情熱がしっかりと伝わるんですね。
あの日から、わたしはずっと描いている。
この一文から鮮やかに高校1年の2月18日へと切り替わるところなんかもう最高ですよ。
彼女の気持ちとシンクロするというか、私なんか、「伊原花鶴」の文字が読めた瞬間、彼女と同様「えっ。えっ」となってしまいましたからねw
本当にすごくうれしく感じたんですよ。もう我が子のようにw
伊原摩耶花に思いっきり感情移入して共に一喜一憂できる。
これはそんな作品になっているんです。
そして、途中で出てくる奉太郎の中学時代の読書感想文、『「走れメロス」を読んで』。
これがまたすごくいい伏線になっているんですね。
最初読んだときは、奉太郎の推論になんだか嫌な予感がしたんですよ。
「刺客をさしむけたのは王様ではない」というあれです。
里志も言っていた通り、今回の漫研抗争の中で起こった事件は奉太郎の話と似ています。
だから摩耶花の漫画ノートを盗んだ「読むだけ派」のリーダー・羽仁さんの後ろには「黒幕」がいるのだろうとは思っていました。
今回、奉太郎は直接推理はしない分、過去の彼が感想文という形でそれを示唆しているのだろうと。
結果として、半分あたって半分はずれていました。
確かに「黒幕」はいました。そこは伏線通りです。でも実は、それはミスリードを誘うものだったんですね。
待っていた「黒幕」、それはあの河内亜也子先輩でした。
もうね。彼女の名前を見た瞬間に心が震えましたね。
あの「クドリャフカの順番」で摩耶花と対峙した時に表情を一切見せず、
「冗談よ。本気なわけないじゃない。誰の、どんな作品も、主観の名の下で等価だなんて、そんなこと本気で言ってるわけないじゃない」
と言ったあの河内先輩ですよ?
そして先輩はあの「わたしたちの伝説の一冊」についてある提案をするわけです。
そう、「次はあたしの番だ。あたしと、あんたの番だ」、と。
もう本当にこの時点でぞくりとしてしまうわけですが、最後にとどめの一発ですよ。
なぜ、「金曜の夜まで」だったのか。
この“真相”には思わず、あ!と声が出てしまいそうになりましたね。
冒頭の2月。
あの雪の中「ラ・シーン三月号」を買いに行ったあの日こそ、実は一番の伏線だったことに驚愕すると共に大きな感動を覚えざるを得ませんでした。
「伊原花鶴」というたったひとつのペンネームが、あの河内先輩を「次はあたしの番だ」と言わしめるひとつのきっかけになった。
それはある意味で『夕べには骸に』に匹敵する力を持っていたんだと思います。
まさか、これほどまでに前向きで力強い「退部の顛末」だとは思いませんでしたよ。
それは中盤、醜い漫研の内部抗争がどろどろと描かれていたからこその輝きでもあったのでしょう。
その見事なコントラストというか、じめっとした空気が鮮やかに反転する感じがなんとも心地よいんです。
しかも、それは単純にみんな報われてハッピーというわけではないんですよね。
漫研を取り巻く人間の狡さや陰湿さは確かに存在するし、現在進行形でもあるんです。きっとこれから嫌な思いをすることもあるかと思います。
そんな中で、摩耶花は自分の夢を、人生を守るために自分で決断した。
だからこそ、「わたしは漫画研究会を退部した。」の一文に私たちは感動するんです。
『ふたりの距離の概算』で千反田えるは、
「漫研を退いたのは英断だったと思います」
と言いました。
きっと千反田えるも、これから様々な人間関係の複雑さに翻弄されることでしょう。
時には、判断を後回しにしたりすることもあるかもしれません。
でも、摩耶花の決断を「英断」だったといえる彼女なら、最後には自分の人生は自分で判断できるはずだと私は信じています。
●「長い休日」
間違いなく、今回の作品集において「軸」となる話です。
もう何度も読む返していますが、そのたびに、これが表題作「いまさら翼といわれても」の一つ前に収録されていることの意味を考えずにはいられません。
正直、「ミステリ」的な面白さとしては、今回の短編集の中で最も薄いと思います。
小学校のとき、奉太郎が受けたであろう仕打ち。
読者がその真相に気付くのはそう難しくはないはずです。
ミステリ通でもない私でも「ランドセル」のくだりで予想はついたくらいですからね。
そう、要するに、奉太郎は田中という女の子に係の役目をすべて押しつけられていて、当の本人はさぼって遊んでいたわけです。
でも、最初読んだときはわかりませんでした。
彼がそれをどう受け止めて、どんな気持ちであの“省エネ”モットーにたどり着いたのかを。
私には、えるが言っていたように、
そんなことがあったんですね。折木さんはもう嘘をつかれるのが嫌で、『やらなくてもいいことなら、やらない』と。(本文262ページより引用)
としか解釈できなかったんですね。
ところが、そうじゃなかったんです。そんな単純な話じゃなかったんですよ。
田中のやっていたことは担任もわかっていて、わかっていながら黙認していたんです。
いや、“黙認”じゃないですね。
彼は奉太郎が頼まれたら文句を言わずに引き受けることを知っていました。
むしろ、積極的に奉太郎を便利屋として使う気満々だったわけです。
ある意味、女の子と共犯だったんですね。
ここに奉太郎が受けたショックの大きさがうかがえます。
そう、単に「嘘をつかれた、騙された」という話じゃないんです。
善意は付け込まれるのだという、この世の悲しい一面を知ってしまった一人の少年の話なんですよ。
この話をえるが奉太郎の口から知りえたということは、大きな意味を持つと思います。
そして話は「いまさら翼といわれても」とつながっていくわけです。
●「いまさら翼といわれても」
さあいよいよ表題作です。
ある意味「生殺し」状態で以下続刊!となっている内容なので、なんとも書きづらいというのが正直なところですが、なんとか素直な思いを記しておこうと思います。
なお、一応雑誌掲載時の「感想もどき」は以下にありますので、参考までにどうぞ。↓
『いまさら翼といわれても・前篇』第一印象~えるを見つける物語~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-152.html
『いまさら翼といわれても・後篇』まで読んで~「長い休日」は終わった~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
さて、短編集において、「表題作」というのは特別な意味を持つものですが、今回の『いまさら翼といわれても』は特に重要な一篇だという気がします。
感想その2の冒頭でも書きましたが、これまで見てきた5つの話はこの「いまさら翼といわれても」という作品の“章”に当たるものだったのではないかと思えるくらいでしたね。
例えば、冒頭の部室のシーン。摩耶花が里志に相談しながら漫画のアイディアを練っているところは、「わたしたちの伝説の一冊」を読んだ後だと、また違った感慨を受けますね。
きっと、あの事の顛末は里志にも伝えたんだろうな、と思うだけでなんだかすごく嬉しくなるんですよ。
また、この部室のシーンって、奉太郎と摩耶花と里志の三人がすごく仲がいいのが印象的ですよね。
摩耶花の「あ、折木も聞いてよ」とか、なんてことない呼びかけなんですけどなんだか新鮮に響きましたよ。
その分、千反田えるだけがそこにいないかのような寂しい雰囲気も際立っていましたが……
というか、ここは摩耶花とえるを“対照的”に見せているシーンでもあるのかなと感じましたね。
それにしても、ここでの「甘すぎる砂糖」の謎って、はっきりと決着ついていないですよね?
後日、文集の打ち合わせも兼ねて答え合わせに行くことになっていましたが、ひょっとしてこれが、次巻以降の伏線になっていくんでしょうか。それはえるの問題ともリンクしてくるんでしょうか?
文集といえば「氷菓」、「氷菓」と言えば、あの関谷純の件がどうしても思い出さずにはいられませんからね。
今回の千反田家の内情もその辺の話と絡んでくる可能性もあるのではないでしょうか。
うーん、気になります!
奉太郎が摩耶花の電話を受けるシーンもいいですね。
「箱の中の欠落」の焼きそばと呼応するかのような“冷やし中華”も思わずニヤリとしてしまいますが、
ここではなんといっても、奉太郎の対応ですよね。
なんてことないように装ってはいますが、「冷やし中華は火傷の心配がないので、その気になれば短時間で食べることができるのだ」ですからw
里志のときと比べると、どうしても笑ってしまいますね。本当に素直じゃないなあw
あと、最後まで読み終えてから「連峰は晴れているか」を読み直すと、また違った印象を受けますね。
初読では「長い休日」のプロローグというか、“奉太郎の本質”に触れたえるの思いといったところに気持ちがいっていたのですが、
「いまさら翼といわれても」の後だと、奉太郎の「無神経というか、人の気も知らないでって感じか。」という言葉が頭から離れません。
これって、今回のえるにも通じる話じゃないですか?
「あの子は千反田家の跡取り、自らの責任をわきまえています」(本文334ページより引用)
これはえるの伯母・横手さんの言葉です。
彼女に限らず、えるを知る人なら誰もが同じようなことを言うでしょう。
そしてあえて一般論を述べるなら、えるはどんな事情があろうとも責任を果たすべきです。
重要なソロパートなのですし、彼女が抜けただけで多くの人に多大な迷惑をかけるのですから。
でも、そういう「正論」だけを振りかざして否応なしに押さえつけるって、それこそ「人の気も知らないで」でしょう。
そんなことをあえて言われなくても、えるにだって十分わかっているんですよ。
あの生き雛祭りでの毅然とした対応を思えば、彼女がどれほど多くの人の期待を背負って責任を全うしようとしていたのかは火を見るより明らかじゃないですか。
でも、いえ、だからこそ、「いまさら」自由に生きろと言われてもどうしようもなくなってしまうんですよ。
そう、「いまさら翼といわれても」。
「いまさら」という言葉にはそれ自体に“感情”の色がついています。
「いまさら、そんなこというなよ」といった風に、どうしても感情が乗ってしまう強い言葉だと思うんです。
こんな言葉を聞いてしまったら、もう無責任に「正論」なんて言えないじゃないですか。
たぶん、彼女は最初からなんのためらいもなく「跡取り」の役目を素直に受け入れたのではないのでしょう。
他人には計り知れない葛藤と覚悟の上で選んだ道だったはずです。
だからこそ、「いまさら」なんですよ。
今までお前が背負ってきたものは全部もう無駄になったから、と言われて、
いったい誰がああそうですかとすんなり喜べますか?
それにしても。
けっきょく、千反田家に何があって、えるの父親は仏間でいったい何を告げたんでしょう。
何度読み直してもどうしてもよく見えてきません。
まあ、最後のえるの言葉から察するに
「自由に生きろ」「お前の好きな道を選べ」、そして「千反田家のことはなんとかするから考えなくていい」といった類のことだとは推測できますが、
そう告げる理由というか“真意”がわからないんですよね。
普通に考えれば、跡取りの話がなくなったということでしょう。
何かお家騒動的なことがあって別の血筋に譲らなくてはならなくなったとか、
はたまた、単純に没落して財産を失うことになったのか。
ただ、少なくとも横手さんは跡取りの件について何も知らない風でしたよね。
まだ表に出す話ではないからということであえて黙っていた可能性もありますが、
それにしてもえるが失踪したことについて思い当たる節もなかったのは不自然です。
やっぱり、伯母である彼女はこの段階では知らなかったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
個人的には、彼女の存在が次回以降の展開の鍵を握るような気がします。
横手さんは最初、千反田のことを「千反田のお嬢さん」と呼んでいた。話の中で「あの子」と呼び方になったのは、しばらくしてからのことだ。〜中略〜あの呼び方の差にはもっと複雑な、外部の人間が容易に口を出せない何かが表れていたような気がする。(本文340ページより引用)
横手さんは表向きというか、建前としては「千反田の跡取り」としてある種冷徹なまでにその「責任」を言及しますが、一方ではえるが幼い頃に自分の蔵を隠れ家にしていたことを知っているわけですよ。
「隠れ家」。
そう、横手さんは確かに「あの子はもっと幼い頃、あそこによく隠れていましたから」といっていました。
いったい、えるは何から隠れていたのでしょう。
冒頭、えるは父親に対して恐れを感じているようでした。
「おそるおそる答えます」とか「父の声はいつものように重々しいものでした」とか、
今回に限らず、どうも彼女は普段から父に対して身構えて接していたような気がするんですよ。
そう考えると、ひょっとすると父親から隠れていたのではないかという可能性に行き当たるんです。
その辺の事情を横手さんが知っているかどうかはわかりませんが、少なくとも何かから「隠れていた」ことはわかっていたわけですよね。
真面目で責任感の強いだけではないえるの一面は知っていたのではないでしょうか。
伏線かどうかはわかりませんが、「文集」の打ち合わせの件もありますし、
再び、伯父であった関谷純の話が絡んできたりしたら面白いかもという気がしますね。
「いまさら翼といわれても」という話は、今回の短編集の中でも特に受け手側にその解釈を委ねられた作品になっています。
結局えるは間に合ったのかということも含めて、様々な捉え方ができるでしょう。
ただ、私個人の気持ちとしては「間に合わなかった」であって欲しいと思っています。
変な言い方ですが、そのほうが「ハッピーエンド」のような気がするんですよ。
もし、あの後、なんとかバスに間に合って、事なくを得たら、彼女の「いまさら」に込められた思いが無下にされてしまうようなそんなことすら思ってしまうんですね。
大丈夫ですよ。えるは一人じゃありません。
摩耶花には「僕が守るよ」と言ってくれた里志がいるように、彼女には奉太郎がいます。「長い休日」を終わらせた奉太郎がいるんです。
千反田がこれまで背負ってきたもの、いま背負わなくていいと言われたもののことを思うと、俺はふと、何かをいっぱい殴りつけたい気分にかられた。殴って、自分の手も怪我して、血を流したいような気になった。(本文353ページより引用)
自分のために血を流すことすら厭わない彼がいる限り、自分の人生に対する責任はきちんと果たすはずですから。
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