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私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!喪115(後編)~本当の意味で「卒業(ハッピーエンド)」を迎えるために~

6月1日に「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」が喪115(後編)に更新されました。

今回の話はまさにわたモテ史上最大の事件と言ってよいでしょう。
今までで最も大きな転換期だった、あの喪79「モテないし自由行動する」と比べても、その衝撃度は遥かに大きいのではないでしょうか。

いままで、こんなわたモテは見たことがありませんでした。
ただ、そこには確かな意志がありました。
最初から最後まで、一貫してその意志に基づいて描かれています。

今回の話を読んで、ようやく「続き物」にした意味がわかりましたよ。
なるほど、これは確かに「前編・後編」という構成でなければ成り立たない話ですね。
今回のナンバリングもそのことを強調するかのように、前回同様「喪115」となっています。
あえて喪116としなかったところに、今回の並々ならぬ決意が感じられますね。

正直、谷川さんがわたモテというマンガに対してここまで真摯な姿勢を貫いたことに驚きを禁じ得ません。
これはよほどの「覚悟」がなければ決して描けない話ですよ。ある意味、大きなリスクが伴いますからね。
イチファンとして、それなりにどういう漫画家か理解していたつもりでしたが、
まだまだ私は谷川ニコという人を見くびっていたようです。

というわけで、今回は前回の続き「モテないし二年目の卒業式(後編)」になります。
まずは、ひとつひとつ見てまいりましょう。



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まさに前回からの続き、今江さんの答辞の言葉から話は始まります。
内容自体はよくある一般的なものですが、いくつか心に残る言い回しがありましたね。

思い出「たち」

あえて、思い出を複数形にしているところが印象的です。
ただの常套句ではない、何かを慈しむ気持ちがそこには隠されているような気がしますね。

私達が三年間で「手に入れた」かけがえのないもの

この言い回しにも今江さんの気持ちが込められているように思えます。
なんというか、「実感」があるからこその言葉に聞こえるんです。

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今江さんの言葉に真剣な眼差しで耳を傾けているもこっち、そしてネモ。

そんな後輩に対して、果たしてどんな言葉を送るのでしょうか。

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そんな私達よりも「もっと多くの」思い出を手に入れて下さい

これは単に、自分たちを超えていけ、ということではありません。
私達とはまた違う、あなた達だけの思い出たちがあるんだよ、ということなのです。

ただ、そんな言い方では心に残らないでしょう。それはよくある使い古された言葉だからです。
だからこそ今江さんはあえて「もっと多くの」という強い言葉で、後輩たちの心に爪跡を残そうとしたのだと思います。

それは次の言葉からもうかがえます。

それがどんなものでもかけがえのないものになるはず

数の問題と「かけがえのなさ」に相関性はないはずでしょう。
つまり、はじめから今江さんは思い出の多さを言っていたわけではなかったんですね。

そんな今江さんの気持ちがわかってしまったのか、もこっちの今にも泣きそうな表情にこちらまで胸が締め付けられそうになります。

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もうそろそろ終わりか

もこっちのこの言葉には少しドキっとしてしまいますね。
こんなにシリアスな顔をしたもこっちもいままでなかったような気がします。

1ページまるまる今江さんの答辞という構成にも驚かされましたね。
おちゃらけた空気も一切なく、その場にいる誰もが今江さんの話に真剣に耳を傾けている様子がまた印象的で、
読者側にもその厳格な雰囲気が伝わってくるようです。

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この場面も印象的でしたね。
なぜもこっちは、去年は歌わなかったのに今年は真面目に歌おうとしたのでしょう?

人の為に歌うのはこれで最後だしな

そうなんですよね。
来年歌うであろう「いざーさらーばー」は、“自分”に向けられるものなんです。
誰かを惜しんで歌えるのは今回限り。

そのことにもこっちは気づいていたのです。
そして、どうしても、その誰かの為に歌いたかったのです。

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コサージュのときは偶然でしたが、今度は自らの意志で挨拶をしに行こうとするもこっち。
このときを逃せばもう二度と会えないかもしれないのですから当然といえば当然ですが、やっぱりいじらしい。

1年時の卒業式での言葉「来年は…どんな卒業式になるんだろ…」がふと脳裏に浮かんで、思わず泣きそうになってしまいますね。
あの頃と違って、今では「帰る?」と声をかけてくれる存在がいるのですからなおさらです。

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そんなわけで、今江さんに最後の挨拶をしに行くもこっち。
でも、やはり気遅れしてしまうのか、そばに行くのを躊躇しているようです。

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気遅れというより、むしろ「遠慮」なのでしょうか、他の人たちを気にしているようですね。

もこっちはこの後、

私なんて少し話したくらいで別に特別な関係でもないしな…

こんなことを思ってしまいます。
それは言い換えると、

彼女の「思い出」たちの中のひとつに、自分は入っているのだろうか。
私にとって今江さんは「かけがえのないもの」だったけど、彼女にとって自分は「かけがえのないもの」の中に入っていないのかもしれない。

そんな寂しい気持ちだったのかもしれません。

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何かを振り切るかのように、目線をそらしてしまうもこっち。

そんなもこっちの諦めにも似た気持ちに、ゆりちゃんたちはまだ気づいていないようです。

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なんだかもこっちらしくない言葉ですね。
まるで自分に暗示をかけているかのようです。(目が虚ろなところに注目)

本当は他の人のことなんてどうでもいいはずなんですよね。
ひとこと挨拶がしたい、その自分の気持ちこそが大事なんですから。
だけど、今江さんにとって、自分が「思い出」たちのひとつでないなら、あそこにいる資格もない。
そんなことを考えてしまう自分を認めたくないからこそ、こんな柄にもないきれいごとでごまかそうとしてしまうわけです。

さて、そんなもこっちの背後に忍び寄る影が……

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何かを訴えかけているかのような吉田さんの表情。

彼女は大事なことを口にしないために誤解されやすいですが、
この場合にむしろ言葉はいらないのでしょう。まさに目は口ほどにものを言う、です。

むしろ、そんな彼女だからこそ、
もこっちの「強がり」を真に受けることなく、その裏にある本当の思いに気づけたのだと思いますね。
そして、そんなごまかしを決して見逃せないのが吉田さんという人間なのです。

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本当は吉田さんも、今江さんにひとこと挨拶をしたかったのでしょう。
もこっちの背中を押すことと同時に、二人揃って今江さんの前に現れたかった。

それは、喪98「モテないし冬の雨」での、今江さんに対する吉田さんなりの返答でもあったのではないでしょうか。

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だからこそ、今江さんも安心して「元気でね」と答えることができたのでしょう。
彼女にも吉田さんの気持ちは伝わったのです。

それにしても吉田さん、ちょっとカッコよすぎですね。
これじゃあまるで、古い西部劇のヒーローみたいな振る舞いじゃないですか。

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キツネにネクタイが覆い被さっているところに吉田さんの不器用な優しさを見ることができます。

首根っこを掴むといいますが、マフラーとコートの下に隠れているネクタイをわざわざ引っ張り出すなんて、普通はしませんよね。
要するに、吉田さんにはこのキツネマフラーを力づくで掴むことができなかったんです。

そんなわかりづらい優しさだからこそ、
こうしてもこっちと今江さんを引き合わせることができたのですね。

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今江さんの隣にいる子は、1年の文化祭で今江さんの前に着ぐるみに入っていた子ですね。(喪21「モテないし文化祭に参加する」(3巻所収)参照)

それにしても、この「オッケー」。
まるですべてお見通しかのような、なんとも気持ちの良い返しですよね。
きっと彼女にもこの一連の絡みの意味がわかっているのでしょう。

そう、彼女にとっても、あの着ぐるみの出来事は「かけがえのない」思い出たちのひとつだったに違いありません。

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第一声の「あっ」とか「その」が付いてしまうところが、なんとももこっちらしいですが、
でもこういうシチュエーションの場合、なかなか通り一遍の言葉しか出てきませんよね。

さりげなくネクタイをしまう仕草が、彼女の所在無さをより印象づけます。

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次の言葉が見つからないもこっち。

せっかく場を用意してもらったのに、
何も気の利いたことが言えない自分に焦る気持ちと、今江さんに対する申し訳ない気持ち。
そんないろんな思いが混じってどうにも立ち行かなくなってしまっているんですね。

いったいこの場合、どんな労いや感謝の言葉がふさわしいのでしょうか?

mo115_kouhen-18.png 
そんな気まずい中での、突然の自己紹介。

正直、自分も読んでいて意表を突かれましたが、
これにはいったいどんな思いがあるのでしょうね?

mo115_kouhen-19.png 
そうか…そうですよね。
私自身、この時初めて気づきましたが、もう出会って1年半経つのに、お互いきちんと名乗っていなかったのですね。

く 黒木智子です

どんな言葉よりまず、このセリフこそが今江さんに届けるべき言葉だったのです。

なんだか、ここで初めて二人が出会ったかのような錯覚さえ感じてしまいました。
本当に素晴らしいシーンだと心から思います。

mo115_kouhen-20.png 
もこっちが今江さんにひとこと挨拶がしたかったように、今江さんも直接名乗りたかったのでしょうね。
思い出のひとつどころか、「心残り」と言えるくらい、彼女にとってもこっちとの思い出は「かけがえのないもの」だったのです。

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記念写真を撮っている人たちをバックに、自分に何かできることはないかと聞くもこっちがなんだか切ないですね。
考えてみれば、もこっちの口からこんなセリフが出てくること自体がなんだか「事件」のような気がします。

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前編で「私をかまってくれた人が一人いなくなるし」とぼやいていたもこっちが、今ここでこのセリフを言えたことに、
いちファンとして震えたくなるほどの感動を覚えました。(同時に一抹の寂しさも感じましたが)

お互い、直接きちんと名乗った後だからこそ、こんな気持ちになれたのではないでしょうか。

mo115_kouhen-23.png 
もう一回

ここでこのフレーズを出してくるのですね。

文化祭閉会間際の、あの着ぐるみ。
あの秘密をここで、もこっちにそれとなく伝える意味。
そこにはどんな思いとメッセージが込められているのか。

……すみません、私にはまだうまく言葉にできません。

できませんが、これから何度となく読み直しながら、ずっと考えて続けていくことになりそうです。

mo115_kouhen-24.png 
抱きしめられているもこっちのポーズがあのときとほぼ同じ。

どうしても文化祭のときとイメージがダブりますね。
あのぬくもりに、あの風船に、どれだけもこっちが救われたか。
きっと、ただ抱きしめるだけで想いは伝わるのです。

この後、今江さんは

「ありがとう 会いに来てくれて」
「あの素直じゃない子にもよろしくね」

とだけ言い残します。

言葉にしなくても伝わるものを知っているからこそ、
彼女は吉田さんのことを「あの素直じゃない子」と呼んだのですね。

そして、それだけでもこっちにも伝わることを彼女は知っていたのです。

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いつもの3人組でいつもの帰り道。
でも、もこっちの顔色は今ひとつすぐれません。
何か考え事をしているのでしょうか。

そして、真子の問いかけで何かに気づき、思わず足を止めてしまうもこっち。

mo115_kouhen-26.png 
抱きしめるだけで想いは伝わる。

まさにこういうことなのでしょう。

mo115_kouhen-27.png 
今回で一番心に残った言葉です。

いつも」気づくのが遅い

今回のことに限らず、自分はいつも気づくのが遅いんだ、ということです。
要するに、他にも気づくのが遅かったことがいくつもあったんですよね。

それがなんだったのかはわかりませんが、
そのことに気付いたとき、彼女から「ズビ」という音が聞こえてくるわけです。

mo115_kouhen-28.png 
やはり、「前編」の「花粉症」は伏線でした。
ティッシュを差し出す真子ですが、ここでもこっちに必要なのは果たしてティッシュだったのでしょうか?

「ズズ」という音だけで、もこっちの表情を見せないところがなんとも憎い演出です。
ここはやっぱり、もこっちのそんな顔は見たくないですよね。

人によっては、あまりにベタ過ぎるというかもしれません。
でも私は、わたモテがわたモテであるために、ここは必要な演出だったのだと思います。

mo115_kouhen-29.png 
ティッシュを差し出す真子を制止するかのようなゆりちゃんの仕草。
きっと、彼女には「ズズ」の本当の意味がわかったのでしょう。
いまのもこっちに必要なのはティッシュなんかじゃない。ただ、しばらく、そのままにしてあげることなんだということに。

「最初から最後まで与えられてばかりか…」
というモノローグに胸が締め付けられますね。
まさにこの構図が、そのままそれを象徴しているのですから。


前編でもこっちは、

そこそこ人から構われ、それなりに高校生活もそんなに悪くないかも……と思っている今だからこそ、
卒業したいと思っていました。

私もその気持ちはわかるというか、いい時で終わらせるのも「ハッピーエンド」の形なのかもという気もしていました。

でも、もこっちはここではっきりと、
今 卒業できる資格はどう考えてもない
と言い切りました。

そう、次にくるマイナスを恐れて、今あるプラスのまま、それをさも「ハッピーエンド」かのようにごまかすのは間違いだということに気付いたのです。

本当の意味で「卒業」できるためには、今ここで卒業するわけにはいかない。

私はこれを、谷川ニコの決意表明のようにも感じました。



ひょっとしたら、今回は賛否両論分かれるかもしれません。
こんなのは「わたモテ」ではない、という人もいるのではないでしょうか。
今回やっていることは、確かにある種の禁じ手ともいえることですから。

そう、ここまで感想記事を読んでいただいたなら、もうお分かりかと思いますが、
今回は「ギャグ」が一つもありません。
つまり、「ギャグマンガ」として成り立っていないんです。

今江さん卒業回はギャグオンリーには収まらないだろうとは誰もが思っていたことでしょうけど、
まさかこんな形になるとは思いもしなかったのではないでしょうか。

これまで、どんなに叙情的な内容だろうと、必ずどこかに「ギャグ」は入れてきました。
なぜなら、わたモテというマンガは「ギャグマンガ」だからです。
「青春」の痛さや切なさを描きつつもそれを笑いに転化することが、わたモテの本質だったはずです。
その矜持をあえて捨て去ってまで、なぜこんな「感動マンガ」を描かなければならなかったのでしょう。

そこで、今回の「前編・後編」というスタイルです。
本来なら、喪116とするところを、喪115のままにしているところからしてもその意図は明白です。
つまり、前回と今回は繋がっている話で、本来なら分けるべきものではないということなんですね。
では、なぜこんな形で分けなければならなかったのか。

前編を読んだ時点では、その意図がわかりませんでしたが、
今回の話を読んでようやくわかりました。

つまり、本来、今江さん卒業の話は「ギャグ」をまったく入れずに描きたかったんですよ。
そうしなければ、もこっちの本当の思いは描くことができないことを谷川さんはわかっていたのです。
そこをごまかしたら、それこそ、「卒業する資格はない」と。

でも、1話丸ごとシリアスに描くことは、ある意味わたモテとしての自己否定でもあります。
だからこそ、あえてギャグを入れた「前編」と、ギャグを一切入れない「後編」とで、“喪115”としたのです。

「ギャグマンガ」を続けるために、一度「ギャグマンガ」でないものを描く。

こんなリスクを犯そうとするマンガ家が他にどれほどいることでしょう?
その並々ならぬ業の深さに、私はただ頭を垂れるのみです。

そんな凄まじい決意の結晶に敬意を込めて、今回は意図的に「w」を使いませんでした。
そして、「一番笑ったシーン」はもとより、「個人的ベストシーン」も「ベストもこっち」も選びませんでした。
言うなれば、今回の話を構成するすべてのものがベストシーンだったのかもしれません。


今思うと、コミックス11巻ラストの喪109「モテないし 雪の日の学校」は今回への布石だったのかもしれませんね。
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更新お疲れ様です。
私は出張中の新幹線の中でこの話を読んだのですが、その後の仕事が手に付かないくらい今回は衝撃的でした。
まだ今のようにもこっちの相手をしてくれる仲間がいなかった頃から、もこっちの事を気に掛けてくれていた今江さん。
今江さんにとってもこっちはきっと妹みたいに感じていたのかなって思います(ひょっとしたら今江さんは一人っ子かもしれないですね)。それももこっちの性格も分かっていたいたんでしょう。だから、最後の挨拶のときもあえてみんなから離れて二人きりで会ってくれたんだろうな、と。
もこっちは今江さんとの最後のハグは一生の宝物になるのではないでしょうか。というか絶対に忘れてはいけないでしょう。自分が思っている以上に自分の事を思っている人がいたという事も。

更新お疲れ様です!毎回楽しみに読んでます!

自分は今江さん自己紹介から最後まで号泣してましたww
まさか、わたモテで泣くとは思いませんでしたw
もこっちも成長したてきたので、この展開は大ありでした!

作者さん達には無駄に引き伸さず、完結に向かって頑張って欲しいです!

改めてこの作品は素晴らしいですね!!

更新お疲れ様です。
言われてみればお互い名乗ってないんですね。「黒木さん」と普通に呼んでいたので気付きませんでした。でも今回は「智子ちゃん」呼びなんですよね。
文化祭の話は完全に忘れていたので不意打ちで少しウルっときてしまいました。まさかわたモテで泣きそうになるとは・・・。
あの時の「ぎゅっ」は思わず笑みがこぼれるような感動を覚えましたが、今回はまた違う意味での感動でしたね。
やけにシリアスだなと思いましたがそういう意図があったのですね。納得しました。なりそこないさんの感想は理解が深まるので本当に有難いです。
喪51でもこっちが言っていましたが何故今江さんがもこっちを気遣うのかさえ私は考えつかないレベルですから。

こんなわたモテも好きです。

ひょっとしたら、入試の時に知り合ったあの娘は、もこっちが「与える側」になる為に必然的に用意されたものだったのかもしれませんね。

クラス替えでどうのこうの言ってた不安が、期待に変わりました。

きっとどんなクラスになっても大事だろう。

間違えた

大丈夫だろう。

No title

更新お疲れ様です。

そういえば喪116じゃない事に全く気付きませんでした。
シリアスオンリー回は今回が始めてではないでしょうか。
谷川先生にとって、よほどこの後編を大切にしたかったのが伺えます。

吉田さんの後押しには感動しました。
本当迷いが無いですね。帰りの身支度もせずにやってきたのですから、始めからこうするつもりだったんでしょう。

今回は様々な伏線がここに来て回収されましたね。
もし、もこっちがぼっちのままだったら、それに吉田さんが今江さんに会っていなかったら、今江さんの所まで挨拶に行けなかったでしょう。
そして「ご卒業おめでとうございます。」今回はちゃんと言えましたね。
1年前の卒業式の時には言えなかったセリフですが、逆を言えばあの卒業生とのやりとりが無かったら、このセリフは出てこなかったかもしれませんね。

今後クラス替え、受験などの試練が待ち構えていますが、今回の話を終えて不思議と不安が消え、もこっちなら乗り切れると思いましたね。
そして今まで与えられていた側だったもこっちが、今度は与える側になろうと行動するのかが今後の焦点になりそうですね。

ますます今後が楽しみです!

更新お疲れ様です!

もこっちが今後「与える」相手となるのは、入試のクズ子ちゃんが筆頭ですかね。それとも変態シスターズと智貴が仲良くなれるように根回しするとか。

もこっちのクズさが軽減することで、今後ギャグ漫画として成立するのかという不安もあります。ただ与えることに慣れていないもこっちのこと。他人に空回りした気遣いをして、そういうところを笑いどころにするのかなと予想してます。

このまま春休みになったら南さんの登場は厳しいですね…

最後でアニメ11話エンディング『そこらの着ぐるみの風船と私』が頭の中を流れました カラオケ版にならないかなあこの曲
前々回で一ヶ月の間が空いたのも今回の話を作っていたから…?
次の話も役半月後 どんな新しい話を作っていくか楽しみです
これで一つの区切りが終わり新章が始まりそうです

コメント返信その1

みなさん、コメントどうもありがとうございます。
毎度のことながらまとめての返信にて失礼します。


>うっちー大好きさん

出張中だったのですか。それは大変でしたね。今回はまさにわたモテ最大の衝撃でしたから……お察しいたします。

>妹みたいに感じていた
ああ、きっとそうですね。一人っ子かどうかはともかく、下の兄弟はいないような気がします。
今江さんは普段からもこっちがどういう子なのか、いろいろ友達に語っていた可能性がありますね。
だからこそ、隣の子も当たり前のように「オッケー」と送り出したのではないでしょうか。
もちろん、もこっちはこのことを一生忘れないと思いますよ。「かけがえのないもの」としてこれからも大切にしていくことでしょう。


>もこみちさん

号泣ですかw
確かにあの自己紹介は意表を突かれましたが、すごく心に焼きつけられましたよね。

正直、これからのわたモテの展開に不安な部分も少しは感じていましたし、
今江さんの卒業とともに「なんとなく」終わらせる可能性も疑っていたのですが、
今回の話でそんな疑念も吹っ飛びましたよ。
谷川ニコは本気です。もこっちたちが“卒業”するまでの道筋をきちんと用意してくれるはずです。

その時までこれからも応援していきましょう!


>ふちささん

私もすっかり失念していましたよ。>お互い名乗ってない

でも、谷川さんにとっては「心残り」だったのかもしれませんね。
だからこそ、どうしても彼女たちにそういう場を与えたくって今回の話になったのかもしれません。
最後に「智子ちゃん」と呼ぶのも印象的でしたね。
ひょっとして、ずっとそんな風に呼びかけたかったのかも…?

文化祭の話は今江さんと初めて出会った話でしたからね。
最後に物語の原点の話に戻るというのは、古今東西、物語の定番ですよ。
それにしても、同じハグでも確かに受け取る印象が違いましたよね。
文化祭のときはまさに「微笑ましい」というか、じんわり心が温かくなるような感動でしたが、
今回のは、心が締めつけられるというか、「泣きたくなる」ような感動でした。

なぜシリアスオンリーだったのかはあくまで私の解釈で、本当のところは谷川さんの心の内にしかないでしょうけど、
よりわたモテを深く楽しむひとつのきっかけになったならうれしいですね。


>ガーデンさん

入試の回は冒頭に今江さんも登場していましたし、もしかしたら、あの時から今回の構想は固まっていたのかもしれません。
そう考えると、あの新入生も今後のキーパーソンとなっていく可能性はありますね。

前編までどことなく漂っていた不安が今回の話で一気に期待へと変化しましたよね。
本当に、これなら大丈夫だろう、と思わせるパワーを感じさせます。

コメント返信その2

すみません、返信をいったん分けますね。


>Y.zさん

>喪116じゃない事に全く気付きませんでした。
私も記事を書こうとして、冒頭の「喪●●~に更新されました」をチェックしようとして初めて気づきましたよw慌てて書きなおしましたがw
シリアス多めの話はいくつかありましたが、「笑い」を一切入れなかったのは今回が初めてだと思います。
だからこそ、同じ喪115を前編後編構成にして、今回のシリアスオンリーを喪116単独としなかったところに、「ギャグマンガ」への真摯な思いが感じられましたね。

おお、気づきませんでしたが、吉田さん、確かに手ぶらですね。
そうか、始めからもこっちと共に今江さんの元に行くつもりだったんですね。
まったく、本当に「素直じゃない」なあ…

>様々な伏線がここに来て回収されましたね。
本当にそうですよね。文化祭のこともそうですが、1年前の卒業式もそうです。
あのやりとりが今回の挨拶の言葉につながっていると思うと、感慨もひとしおです。
修学旅行で4班にならなかったら、そしてあの冬の雨の日に今江さんと出会わなかったら。
そう考えると、本当に今回はいろんな巡りあわせが積み重なっての出来事だったのですね。
改めて、今江さんの答辞の言葉が実感として胸に残ります。

私も前回まで、いろいろと不安に思っていたところがあったのですが、
今回ですべて払拭されましたね。
「クラス替え」とか今思うと、ひとつのひっかけワードだったのかもw
前編の最後で少し不安にさせてから、後編のラストで期待に変えるとか、ずるいくらいにマンガがうまいですね。

本当に今後の展開に目が離せません!


>しきさん

まあ、ほぼ間違いなく、あの後輩は今後のカギを握るでしょうね。
でも智貴の恋の手助けをする展開はちょっと想像できませんね…
あ、でも体育祭では井口さんのカップ数を教えていたんだっけw
そう考えるとそのパターンもなくはないかも?

>今後ギャグ漫画として成立するのかという不安
ギャグマンガであることを貫くためにあえて喪115を二つに分けたのですから、なんらかの策は練っていると思いますよ。
斜め上の「与え方」もそうかもしれませんし、もっと単純に、“クズ”な与え方をし出すかもしれませんw

それに成長したとはいえ、もこっちはもこっちですからね。
修学旅行後もその辺が危惧されましたが、むしろあれからギャグのキレが加速し出したわけですし、
私はそれほど心配はしていませんね。

ああ、もはや唯一の懸念材料です…>南さん
クズっぽさが薄まってきた今だからこそ、もこっちと南さんの話を読んでみたいですよね。


>ジャスさん

>『そこらの着ぐるみの風船と私』
あれはいい曲でしたよね。アニメは無駄に音楽面で凝っていて、そこもすごく魅力でした。

次回はまさに新展開となるでしょうね。
どんなわたモテが始まるのか、今からすごく楽しみです。

初めてコメントします!!

初めてコメント失礼します!!

今回のもう一回抱き締めてくれた今江さんにも、「もう一回」の意味に気がついたもこっちにもぐっときました。
そして、ゆりちゃんや吉田さんにも同じくらいぐっときちゃいました!!

特にゆりちゃん。
ゆりちゃんが「帰る?」って聞いてるってことはゆりちゃんには用のある三年生はいないってことなのでしょうか。
でもそれに対してもこっちは「挨拶したい人がいる……」つまり用があるから残るというわけで、もしかしたらもこっちとしては「先に帰ってていいよ」という意図があったのかもしれません。
以前は一緒にお昼を食べつつもそこまで仲良いわけではなかったて思うんです。
ゆりちゃんもすっきりしている性格だし、この後真子と二人で帰っててもおかしくはないかなとか思ってたんですが……
なんと待ってあげてる!!!
自分は特に用事はないのに、もこっちの用事が終わるまで真子も一緒に待っててあげてる!!!
なぜかこんな所にすごい感動を覚える私でした……

全体的にみんな純粋すぎて泣きそうになる回でした……

No title

更新お疲れ様です
感想はいろいろ浮かぶのですが、うまく表現できませんね…ただ一つ言えるのは「谷川先生、漫画上手すぎ」ってことですね。
必要最小限の情報で人間関係やキャラの成長、過去と現在のつながりを見事なまでに表現して読者に理解させるってちょっと凄いですよ。
全ての話が途切れることなく連続して現在に繋がっているのが読んでいて実感できる、ぼっち時代があったからこそ今江さんとの出会いと別れ、そして今江さんからの贈り物に気付くことができたんですね

この話のちょっと前はチ○コ・ウ○コで大騒ぎしていた漫画とはほんと思えませんねw 

コメントするのは初めてですが、いつも楽しく拝見させて頂いています。

前編では「ひょっとして終わりが近いのか」との思いも少しよぎりましたが、「いやいやわたモテワールドはまだまだ続くわ!」と確信を得た思いです。
この話をリアルタイムで読めたことはまさに幸運の一言。


ところで、BD特典のおまけ漫画では先行して"生身"で抱きしめるシーンが描写されていました。
今回の話が予め構想にあった上でのあの内容のおまけだったのかは、興味がわくところです。

あくまでアレは"おまけ"で"パラレル"で"ギャグ"なので、単純に比較して「1年の頃よりもこっちは成長(?)した!」ということにはならないかもしれませんが…

No title

更新お疲れ様です。
今回は本当に涙腺を刺激されてしまいました。
今江さんと言えばもこっちにとって学校内における初めての味方であり、初期のキツイ雰囲気の中に現れたまさに女神のような人でした。
卒業式での今江さんの言葉も、生徒たちだけでなく読者に対しても投げかけられてるような気がしますね

そして今回、クラスメイトのキャラクターは前後編含めてオールスターになってて、みんながもこっちにハンカチやティッシュを渡してくれて、先輩のもとに引っ張ってくれて、気持ちを察してくれて。これもまた、もこっちのラストのモノローグ「与えられてばかり」にかかっているのかもしれません。
それを自覚したもこっちが今後どういう風になっていくのか。しんみりしつつ、でも読んだあとで元気になれるような、不思議な回でした。

今後のわたモテはギャグもシリアスも目が離せなくなりそうです

初めまして。

仰る、「最後にもう一回、とそれとなく伝えた意味」を考えてしまいます。
果たしてそこに意味はあったのでしょうか。
個人的に、今江先輩はその言葉に深い意味を持たせてないと思います。

かつて着ぐるみ姿で抱き締めたことは、彼女の優しさからくる自然な態度であって、相手に気付いてもらう必要なんて無かった。
後日それを求めることもなかったことでしょう。
卒業に際し最後に、あれは私だったと含意させる必要はあるのでしょうか。
その気付きを求めるのは、彼女らしからぬ、愛情の押し付け、を感じてしまうのです。
主人公以外は基本的にいい人ばかりの作品の中で、彼女は恐らくその頂点という印象です。
母性の表れである様な愛情を、押し付けがましくない控え目なそれを、自然の態度とする彼女が、それを求めたのかもしれないと読むのは、この作品の美しさを損う様で嫌なのですね、私は。
もう一回、は彼女の中で改めて抱き締める切っ掛けの言葉に過ぎない、としたい。
意味を持たせるとすれば、自身の足跡を後輩の心の中に残したい、というところかもしれません。
けれど、彼女はそんな小さな自己顕示欲を満たそうとする人なのでしょうか。
智子が挨拶を躊躇った輪の中には生徒会の後輩もいたことでしょうから、名前を聞いてないことが気がかりであっても関わりの薄い智子でそれを満たそうとするのは、不自然と思うのです。

吉田さんは格好良すぎますね。
不器用な優しさながら御指摘にある気遣いもある。
ティッシュを差し出す真子を止めた ゆりちゃんは、最後の描写のあと、右手のポケットからハンカチを取り出すのでしょうか。その寸前でとめる絵に、先を予感させる描写に、作者の巧さを感じます。素敵です。
人の優しさに気付けなかった自身の未熟さからくる口惜しさ、甘く切ない悔恨の情は、恐らく誰しも身に覚えのあることでしょう。
(でもそれは押し付けの気付きでは感じ得ないから、甘く切ないのです。)
智子には、ゆっくりでいいから自覚している様に成長していって欲しい。
そうした見えない優しさを敏感に繊細に、感じとれる様になってこそ成長と呼べるのだと思います。
あたたかく見守っていきたいです。

No title

前編ではうっちーで大いに笑かしてもらいました
「なんでウンコなの!?きもい!」の流れから懲りずに卒業式では
どうせ「花粉症とかキモッ!」と勝手に独白しながら渡そうとしたことでしょうw

後編はさすがに空気読んでましたねw
放課後卒業生のもとへ→ハグなんて普段のネタだったらうっちーの得意分野のギャグでしょうに
そういうところ非常に好きですw

コメント返信その3

みなさん、コメントどうもありがとうございます。
すみません、再びまとめての返信にて失礼しますね。


>わたもて二期希望さん

今回は本当にいろんな場面で心を揺すぶられましたよね。

そして、絵にはなっていないところでも様々な優しさがそこにはありました。
ただ一言挨拶する間を待っているだけなら、それほど時間はとらないでしょう。
でも今江さんと場所をかえて話をしている間も、
ずっとゆりちゃんと真子はもこっちのことを待っていてくれたのですね。
マンガには描かれてはいませんが、それは確かにそこにあった優しさでした。

すべてを描かなくても、読んでいる人にはちゃんと伝わるものもあるのですね。


>12番目のコメントの方

これが大長編マンガならまだわかるんですよ。
でも、わたモテの場合、1話がどんなに長くても16ページ前後、下手すると5ページ(笑)ほどだったりしますからね。
ほぼショートギャグといってもいい形式で、こんな感性豊かな青春像を描ける人はそうそういませんよ。

>この話のちょっと前はチ○コ・ウ○コで大騒ぎしていた漫画とはほんと思えません
まさにその通りで、作品の振り幅が信じられないほど大きいのに、違和感なくひとつの作品として一本筋が通っているんですよね。
普通に考えたら、チ○コ・ウ○コのあとにこんな泣かせる話が来ても感動しないと思うんですけどw
でもわたモテの場合、まったく破たんを感じさせずに共存させることができるのですから、まったくすごいマンガです。


>RODさん

前編は前フリというか、むしろ不安に思わせての「こんなんじゃまだ卒業できんわ!」というオチといってもいいかもしれませんねw
本当に「今」読めることに感謝ですね。

>BD特典のおまけ漫画
ああ、そういえばそんな「もしも…」があったような……
ちょっと手元に今ないので確認できないのがもどかしいですけど、確かゆうちゃんが相手のようなオチでしたよねw
まああれはあくまで「もしも話」ですから今回の話には直接関係ないでしょうw
ただ、あの発想が今回の話のインスピレーションになった可能性はありますね。


>14番目のコメントの方

そうなんですよね。1年生のころは、本当に今江さんだけが学校内における唯一の女神だったんです。
それが今では周りのみんながもこっちのことを気にかけるようになったんですからね。
そう考えると、冒頭の答辞もいろんなとらえ方ができるような気がします。

「最初から最後まで与えられてばかり」という言葉もなるほど、今回前編後編通してかかっている言葉なのかもしれませんね。
そう考えると、「いつも気づくのが遅い」という言葉もまた違った響きに聞こえてきます。

今回の話は本当に不思議ですよね。切ないはずなのになんだか前向きになれるというか。
卒業の話なのに、これからのもこっちとわたモテにますます期待しちゃうんですよね。

ここからまた、新たなわたモテワールドが始動するのだと思うとなんだかワクワクしてきますね。

コメント返信その4

すみません、いったん分けます。


>漫画好きさん、始めまして。コメントどうもありがとうございます。

すみません、私の言葉足らずだったかもしれません。
もちろん、今江さんになんらかの意図があったと言いたいわけじゃないんです。
もし、そこに少しでも自己顕示欲?的なものがあったとするなら、このタイミングでというのは逆に不自然ですからね。
一年半の間にどこかそういう態度が出てしまうはずです。
あの場面で、今江さん自身にはなんの意識もなかったとは思います。

ただ私の悪い癖なのですが、どうも言葉やセリフのちょっとした言い回しに、つい、なんらかの意味を見いだそうとしてしまうんですよ。
まあメタ的視点でいうなら、何も言わずにただ抱きしめるだけでは、最後でもこっちが気づく理由づけとして弱いから、となるでしょう。
でも、物語的に考えれば、それだけではどうもしっくりこないんですね、私は。
あそこで、あのフレーズを入れた谷川さんの意図をどうしても深読みしたくなってしまうわけなんです。

ただ、それがなんだかはけっきょく、今の段階ではよくわからなかったんです。
だから、これからもそのことを頭に入れつつ、読み返すだろうなあと言いたいだけなんです。
それは別に、今江さんの何かを疑うとか、はたまた作品の裏を探るとか、そういう趣旨ではないことはわかってもらえるとうれしいです。

おっしゃる通り、今回は本当に些細な描写が巧いなと思わせます。
吉田さんの素直じゃない優しさや、ラストのあえて止め絵で締める構図など、押さえた演出がより切なさを浮かび上がらせるんですよね。
あのゆりちゃんのシーンは本当に素敵です。
あの後、どういう場面が待っているのかは、それぞれが想像すればよいのでしょう。
もこっちの顔をあえて見せなかったこともそうですが、読んでいる人の想像に委ねた描写がなんとも不思議な余韻を残すんですよね。


>たくろうさん

うっちーがいると、どうしても笑ってしまいますからねw
考えてみれば不憫なキャラです。
もはや、何もしなくても、いや、名前が出ただけで、シリアスなムードが台無しになってしまうんですからw

そう考えると、全編は「うっちーパート」と言ってもよかったのかもしれませんw

いつも楽しく拝見させて頂いております。

はじめまして、更新お疲れ様です。
比較的当初から登場した今江さんの卒業回として、今まで積み上げてきたキャラやエピソードを大切にした素晴らしい出来の回でしたね。
一年の文化祭の頃のもこっちは、本当にユウちゃんしか友達がいない状態で、学校は辛い場所でしかなく、交友に憧れながらも上手く行かない現実からの逃避として、リア充を逆恨みして、責任転嫁して、憎悪しているという姿が印象的でした。
親やユウちゃんには隠していたので、当初のもこっちの孤独を知る者は、読者を除けば今江さんだけであり、今江さんはもこっちを見守る読者の象徴だったのですよね。
そんな今江さんの卒業=もこっちの独り立ちである、という明確な図式を作者様が持っていなければ、今回は書けない話だったと思います。

文化祭の頃、ユウと回れば楽しいと思えるかも知れない、ぼっちである事を一瞬忘れられた等、もこっちにとって苦痛の象徴でしかなかった学校において、今江さんが学校の象徴として優しくハグしてくれた事に気付き、思い返すと、もこっちが涙するのも頷けますね。
今江さんは登場回数の割に、読者の立場だけでなく、生徒会長という役職を通じた学校の象徴でもあるという、わたモテにおいて極めて重要なキャラでしたね。

やはり当時の孤独とは対照的に、今では気に掛けてくれる友達が学校にいるという事を丁寧に描写しているのも、今回素晴らしかったですね。
何も言葉を交わさず別れると後悔するであろう事を察して、もっこちを今江さんの前に連れ出した吉田さん、卒業式で涙を流すような性格ではない事を知りつつも、今江さんとの別れには涙を流してしまったもこっちの事を察してあげられるゆりちゃんという理解者が近くにいてくれるのも、今江さんのハグから繋がっているのでしょう。

吉田さんも、多分、自分は不良で今江さんは模範優等生であり、公然と関わり合う事が望ましくない事を理解しているのだろうけど、もこっちのためだけでなく自身のためにも、意思表示として、もこっちと連れ立った姿を今江さんに見せたい気持ちがあったのかなぁと思います。

一つの区切りとして最終回でもおかしくないエピソードの115話後編でしたが、あと一年、もこっちのどういう姿を描いていくつもりなのか、気になるところでもあり、わたモテから目が離せませんね。

No title

こんにちは~たびたび拝見させてもらってます
管理人さんの考察は、なんというかホントにもこっちの親のような感じで
なんだかあったかい気分になるんですよね~言ってて恥ずかしいっすけどw
ホントにもこっち愛が伝わってきます
そういえば、本編ではもこっち父は未だに顔を見せてないんですよね
( ゚д゚)ハッ!もしかして管理人さんホントにもこっち父さんなんじゃね!?

(補足) 「最後にもう一回」という台詞について

上で話題に出ている台詞ですが、「もう一回」という言葉によってもこっちが着ぐるみは誰だったのかに気付いた経緯があるので、この言葉に興味が向いているようですが、今江さん的には「最後に」という言葉が主で「もう一回」というのはふと無意識に続いた言葉のように思います。
もこっちと顔を合わす機会は今日が最後かも知れないと意識しながら、なぜ最後の機会に今江さんはもこっちにもう一回のハグをしたのか?、彼女の気持ちを理解する事の方が、わたモテの物語的には重要なのかも知れないと個人的には思います。

という事で、以下、個人的な意見ですが、まず「前回」のハグについて考えてみますと、文化祭の当時、今江さんはもこっちが交友関係に憧れながらも上手く行かずに孤独感を持っているという、理想と現実のギャップを抱えている内面に気付いた唯一の人物でした。
交友を広げて学校と関わりたいという深層心理がもこっちになければ、放課後わざわざ文化祭の設営を手伝いに現れる筈ないですからね。
ユウちゃんと文化祭を回って楽しい一時を終えた後、一人残されたもこっちは、より一層大きな孤独を感じる事になりましたが、そんな彼女に対して今江さんの行なった抱擁は、もこっちに対する励ましの気持ちからの行為だと思います。
着ぐるみだったのは、もこっちが心を開けるような誰か(第三者)がきっとこの学校内にもいる事を教えたかったからで、希望を持って欲しかったのでしょう。

なぜ今江さんが自分に構ってくれるのか?ともこっちも疑問に思った事がありましたが、それはおそらく今江さんが「学校を好きになりたい人(もこっち)には是非この学校を好きになって欲しい。」という気持ちを持っていたからでしょう。
なぜなら、今江さんはこの学校が大好きだから。
振り返ると文化祭から、もこっちにも学校を好きになってほしい今江さん、学校を好きになりたいもこっち(学校を好きになりたかった作者様?)、という物語の根底がゆっくりとですが確実に描かれていったのですよね。

そして今回、面と向かい合った自己紹介からの一連の言動として、「もう一回」は嘘を吐かない誠実な気持ちから無意識に出た言葉であり、「ハグ」は彼女にとって、もこっちを後ろから支える保護者的立場から正面から向き合う対等な立場への転換を意味したのかなと思いました。
「冬の雨」ではもこっちを心配するあまり、嘘を吐いてまで吉田さんに同行してしましたが、もこっちの独り立ちを確信した今、最後に嘘偽りなく個と個として誠実に向き合いたいという気持ちが、もこっちを正面から抱擁するという行動に繋がったのかも知れません。
初見では文化祭の抱擁シーンを思い出したので、ハグされたもこっちの姿勢に不自然さを感じませんでしたが、考えてみると少々不自然な姿勢であり、こんな感動的な場面において思わず体を横に背けてしまうのが、不器用かつ滑稽な彼女らしい点であって、わたモテの面白さでもあるのかなと思いました。

自分にとって智子は大切な存在の一人だった事を伝えたかった、文化祭の頃の孤独な智子とは違う事に気付いて欲しかった、智子の成長を感じたかった、着ぐるみ越しでなく一度触れ合ってみたかった、ぎこちない距離感を零にしたかった、感謝や思い遣りといった様々な感情が今江さんのハグには籠められていると、今回の話を読んだ当初は想像していましたが、多分、今江さんらしい、もっと単純で純粋な気持ちの筈ですよね。
今江さんがもこっちに「学校は楽しいですか?学校は好きですか?」と最後に尋ねないのも、彼女にはもうその返答は分かっているのでしょう。
ただ最後の別れにもこっちと虚飾なく正面から向き合ってみたかったという彼女の純粋な望みが、もう一回のハグだったのかなという気がします。
なぜなら、今江さんはもこっちが大好きだから。

もこっちはまだ「学校が好き」と今江さんのようには胸を張って言えないでしょうが、あと残る一年間をどう過ごす事になるのか興味深いですね。

Re: いつも楽しく拝見させて頂いております。

>ウニさん、はじめまして。コメントどうもありがとうございます。

なるほど、確かに「今江さんの卒業」はそのまま「もこっちの独り立ち」に繋がりますね。
そう考えると、かなり初期の段階から今回の話の構想も練っていたのかもしれません。

今江さんは単純に初期のもこっちを支えた“女神”様というだけではなく、読者の象徴でもあり、
また、学校の象徴でもあったという話はすごく興味深いです。
彼女だけは最後まで「ギャグキャラ」にならずに神聖なイメージのままだったのも、
そういったもこっちを見守るいろんなものの象徴でもあったからなのかもしれませんね。

今回の話が切なさと同時に不思議と元気な気持ちにさせられるのも、そう考えるとわかるような気がします。
つまり、今江さんの気持ちと私たち読者の気持ちがシンクロしてしまうわけです。
一年の時の文化祭から時が経ち、今ではもこっちのそばにいてくれる人がいる。
そのことに一抹の寂しさも感じつつ、でもやっぱり嬉しくて抱きしめたくなってしまう。
今江さんは最後まで、そんな私たちの気持ちを代弁してくれていたのかもしれません。

吉田さんにしてもゆりちゃんにしても、その描写がすごく丁寧なんですよね。
ストレートに描くのではなく、ちょっとした仕草やさりげない表情でそれとなく匂わせる。
あくまで読者の想像の余地を残すことで、より広く作品を味わえるところが素晴らしいです。

「今江さんの卒業=もこっちの独り立ち」ということで、確かにここで幕が閉じるのもおかしくはありません。
でも、谷川ニコは、もこっちにはっきりと「今卒業できる資格はない」と言わせました。
これは、本当に相当な「覚悟」だと思うんですよ。
むしろ今江さんがいなくなったここからが、新たな物語の始まりだと宣言しているのですから。

ここからもこっちがどうなっていくのか、これからも我々は見守っていかなければなりませんね。

NOTAさん、コメントありがとうございます

>NOTAさん、こんにちは!コメントどうもありがとうございます。

あ、バレちゃいました?実はそうなんですよ、まあ、イヴの夜に電○を握りしめながら寝落ちしてしまうような娘ですが、
それでも私にとっては何よりかわいい娘でして……って、もうサムいノリをさせないでくださいよ!
そんなの私が単におっさんだからに決まっているじゃないですかw

まあ、この年になるとどうしても娘を見るような気持ちで見守りたくなってしまうんですよ。
でも、そういってもらえるのは、こちらとしても恥ずかしいですけどうれしいです!

Re: (補足) 「最後にもう一回」という台詞について

>ウニさん、素晴らしい考察をどうもありがとうございます!

なんか、もう、何もいうことがないですね…
私が言葉にできなかったこと、わかったようで今一つわからなかったことをすべて説明してくれたような気がします。

そうか、そう考えると、雪の日の登校での「行かなきゃよかったとも思わないけど…」という呟きもまた新たな感動を持って響きますね。
ウニさんの考察を踏まえて、また喪1からすべて読み直してみたくなりましたよ。
文化祭での「あれ…楽しい…学校なのに」とか、いろんなことがきれいにつながっていくような気がします。

これからの「学校生活」がどうなっていくのか本当に楽しみになってきましたね!

大切なことに気付いたもこっちが今後どう変化していくか、とても楽しみですね。
これからのもこっちの成長に伴う展開として、きーちゃんのもこっちに対する見方の変化が個人的には気になります。
サイコきーちゃんがもこっちを愛玩動物の様に扱い接する様子も面白いのですが、きーちゃんがもこっちを純粋に年上のお姉さんのように慕う場面が見れればなぁなんて思います。
今後のもこっちの学校生活が楽しみな展開なので、谷川ニコ先生の傾向を考えると次回は黒木家が舞台のオムニバス回なんじゃないかと予想しますw

No title

今回は非常にコメントが多いですねw
それだけみんなの注目を引いた回だったのでしょう。
あんなに心の中で毒付いて、周囲から遠ざかっていた頃からこんなにも
成長したもこっちに言葉にできない愛おしさを感じます。
実は最近わたもてから遠ざかっていたのですが、今回の話でやはりわたもては、緻密に構成された作品である事を再確認して、また興味が湧いてきました!
もこっちにはこれから様々な事が起きるでしょうが、以前程あたふたせずに対応していけると彼女の成長に期待しています!

はるさん、コメントどうもありがとうございます。

>はるさん

きーちゃんの見方がどう変化していくのかというのは確かに興味ありますね。
でも、きーちゃんって、夏休みと冬休みしか登場の機会がないんですよね。
街で偶然会うとか、学校に遊びに来るとか、自然に話を持ってこれないのがなかなか難しいところです。
あ、でも「春休み」があるか。
ちょっと強引かもしれませんけど、進級前に遊びに来たよとかあってもいいかも。
そこで、ちょっぴり成長したもこっちを見て…という展開はあるかもしれませんね。

ああ、確かにそろそろオムニバスはありそうですね。
一応、バレンタインの3回目が変則オムニバスみたいなものでしたけど、実質、吉田さんパートとうっちーパートのふたつだけでしたからねw
ちゃんとした形だと、喪106の「最後の冬」以来になるのかな。
なんか最近、季節の節目ごとにオムニバスが入りますよね。
そう考えると、次のオムニバスは「春」をテーマにしたものになるのかもしれません。
(まあ谷川ニコ的傾向で考えると、まったく別のテーマになる可能性もありますがw)

justさん、コメントどうもありがとうございます。

>justさん

>今回は非常にコメントが多い
本当ですね。これだけコメントが続くのもネモが覚醒した学食回以来でしょうか。
ブログ主としてはまさにうれしい悲鳴ですねw

>やはりわたもては、緻密に構成された作品である事を再確認して、また興味が湧いてきました
いや、本当に今のわたモテはチェックしておいた方がいいですよ。
今回で一つの区切りがついて、また新たなわたモテワールドが始まるでしょうから、
その歴史的瞬間をリアルタイムで味わえる喜びをみすみす見逃す手はないです!

一緒にこれからのもこっちを見守っていきましょう!

(最後にもう少し補足)連投で申し訳ありません。

(最後にもう少し補足)連投で申し訳ありません。

> かなり初期の段階から今回の話の構想も練っていたのかもしれません。
おそらく、そうだと思います。(少なくとも1つのテーマに関して、もこっちと今江さんは当初から表裏一体になっていますから。)
修学旅行が大きな転機とみる読者も多いでしょうが、個人的には寂しさを自覚した文化祭が大きな転機だったと思います。
文化祭より以前は、ユウちゃんの彼氏発覚や見栄を張ってきーちゃんに土下座する等、タイトルの通りモテるモテないの比率が大きかった印象ですが、以降は学校内での人との交流に対する羨望とその実現の困難さをネタの中心にした印象ですね。

あと今江さんと最後の別れの後、もこっちは「・・・いつも気付くのが遅い」と言って涙しましたが、もこっちは何に気付いたのか?
メタ的には勿論、「一年の文化祭の着ぐるみの中の人は今江さんだった事」ですが、個人的には本質としてもっと大切な事、「今江さんという人が大好きだったという自分自身の気持ち」だったのだと思います。
その事に彼女が卒業した今になって気付いた・・・、だから一年の卒業式では2、3ミリグラムの哀しさだったのが、今江さんの卒業式ではその喪失感の為に涙を流したのでしょう。

最後に、もこっちが「私になんかやって欲しいことあります?」と今江さんに尋ねていますが、今江さんの「学校を好きになりたい人(もこっち)には少しでも学校を好きになって欲しい」という願いは既に叶えられている事を、彼女は「冬の雨」のエピソードにおいて気付いています。(読者も知っての通り、もこっちにとって学校はもはや辛いだけだった場所ではないのだから。)
だから、もこっちの言葉に対して、「やって欲しい事」ではなく「今、今江さんがやりたい事」を彼女は笑って答えているのですよね。
それが、もう一回目の「ハグ」。
それは向かい合った大好きな存在を抱きしめる事であり、そこにもし想いがあるならば、この学校を好きになってくれた事への感謝でしょう。


> もこっちにはっきりと「今卒業できる資格はない」と言わせました。
この台詞についてもメタ的な読み方に慣れると逆に分かり難くなるのですが、「(自分は)最初から最後まで与えられてばかりか」ともこっちは考えましたが、上述したように実は気付かない間に、もこっちも今江さんの願いを既に叶えてあげているのですよね。
もっと言えば、もこっちが周囲の人達に支えられて少し変われたように、逆にユウちゃん、ゆりちゃん、吉田さん、あと多分ネモも、もこっちから何かを与えられて変われたであろう事を読者は既に知っています。(こみとうっちーはマズイ方向に変わった気もしますが。)
なので、最後のもこっちの台詞をその言葉通りに鵜呑みにしてしまうは、おそらく作者様の意図するものではない筈だと思います。
今のもこっちに足りていない事は、自分が相手から何かを与えられたように、自分も相手に何かを与えている事実に気付く事、人と人との繋がりとは本質的にそんなものだという事を理解する事なのだと思います。

ただ、それを話のゴールにすると「わたモテ」のタイトルと大きく離れたものになるので、軌道修正してくるかな?と思ったりもします。


> 雪の日の登校での「行かなきゃよかったとも思わないけど…」という呟きもまた新たな感動を持って響きますね。
まさに、その通りだと思います。
文化祭や喫茶店で他人とアニメを観る話の辺りで、「一人でいると詰まらない事でも、人と一緒にいれば楽しい事に変わる」(逆もまた然り)という事に、もこっちは気付くのですよね。(後に、こみちゃんも海で似たような事を語っていますが、多分、作者様の本音ですよね。)
また同時に、気遣いや本音を隠すのに疲れるという負の部分にも言及している点は鋭いですね。(それでも、もこっちはもう独りでいる事を選びませんね。)
それ以降は、それをどう実現していくのかという物語で、勿論ながらギャグ漫画なので明後日の方向に突っ走ったり逆走したり、もこっちにとって一筋縄では行きませんでしたが、踏み出した勇気が実を結んだのが修学旅行回であり、「雪の日の登校」や「冬の雨」はもこっちから今江さん(読者)に対するその返答だったのだと思います。

Re: (最後にもう少し補足)連投で申し訳ありません。

ウニさん、ご丁寧に補足していただき、ありがとうございます。

文化祭が転機だったという意見はなかなか新鮮ですね。
確かにあのあたりから、ネタの方向性が変わったような気がします。
あるあるネタからキャラクター重視になったというか。

そういえば、2巻で打ち切られるはずだったとか4巻までいくとは思わなかったとか、そんな作者の自虐ネタがありましたが、その頃(3巻あたり)に今江さんが登場したというのは偶然でしょうか。
ひょっとすると、その辺の転換を示唆していたものなのかもしれませんね。

>「今江さんという人が大好きだったという自分自身の気持ち」
なるほど、「いつも気付くのが遅い」の「いつも」は「自分の気持ち」というわけですか。
確かにそう解釈すると、もこっちの涙もいっそう自然なものに感じられます。

>メタ的な読み方に慣れると逆に分かり難くなる
ほんと、そうですね。どうも私なんかは変に深読みしたくなる悪い癖があるのですが、
あまりメタ観点ばかりにとらわれすぎると、かえって本質を見失うのかもしれません。

もこっちは今江さんにも大切なことをすでに与えていた。
すでにもこっちも多くのものを周りの人たちに与えている。
そのことにもこっちが気づくことこそが本当の「卒業」なのかな。
…ああ、そうだ。吉田さんもゆりちゃんもそしてうっちーも(笑)、確かにみんなをもこっちは変えていました。
最初のころのゆりちゃんとか、今とはかなり違っていましたものね。
もこっちたちと触れ合うことで、みんな少しずつそれぞれが成長し合っていたんですね。

ただ、もこっちがそんな風に悟るところまでいくと、それは「わたモテ」の世界から大きく外れてしまいそうなのも確かです。
今後けっこう難しいさじ加減が必要になるかもしれませんね。

>気遣いや本音を隠すのに疲れるという負の部分にも言及している点
修学旅行から帰ってきた直後の話(喪82)で、そんな場面がありましたよね。
あの流れから、ネモと対峙する学食回につながったのでしょうか。

>それでも、もこっちはもう独りでいる事を選びませんね。
そうだと思います。だからこそ、秋の終わり(喪95)でのあのノスタルジックなラストなわけですからね。
そう、あれはまさにかつて「独り」だった自分への、郷愁を込めた決別だったのですから。

そしてその後、「冬の雨」で私たち読者への返答につながったというわけですか。
うわ、なんてよくできた構成なんだろ…改めてすごい漫画だなあ。

もう、独立エントリーでウニさんの考察をまるまる引用したいくらいですね。
いろんなことに気づかせてくれて、ありがとうございます!

Re: タイトルなし

>じみぃべいつさん、コメントどうもありがとうございます。

紡木たく!
妹が昔大ファンでほとんどのコミックスを集めていましたよ。
「ホットロード」とか「瞬きもせず」とか私も借りて読んだなあ…
「みんなで卒業をうたおう」ももちろん借りて読んだはずです。確か短編集でしたよね。

ずいぶん昔のことなので、正直あまりよく覚えていませんが、
すごく透明感のある繊細なタッチだったことは印象に残っていますね。
妹から熱烈的に薦められたせいもあってか、当時はすごく衝撃を受けました。
自分の中の少女漫画のイメージを覆された作品のひとつですね。

確かにそんなテーマだったような気が……なっちゃんもけっこう地味目なヒロインとして描かれていたんですよね。
おっしゃる通り、今回の喪115と通じるテーマがあったような気もするので、もう一度読みたくなってきましたよ。
ちょっと懐かしい気持ちになりました。思い出させてくれてどうもありがとうございます!

少しでもお役に立ったなら幸いです。

> いろんなことに気づかせてくれて、ありがとうございます!
今になって、上に書いた自分のコメントをぱっと読み返すと、誤字やニュアンスが違うので書き方を修正すれば良かったなと思う箇所もありますが、多分、3巻から今回の卒業式までの物語は上記の感じで要点は拾えているんじゃないかと思います。

> そのことにもこっちが気づくことこそが本当の「卒業」なのかな。
「わたモテとしての最終回」はまた別のテーマになるかも知れませんが、成長物語のゴールとしてはそこでしょう。
漫画の基本として、ナレーション的吹き出し等の客観的な記述内容には間違いはないですが、登場人物の台詞や思考の主観的な記述内容には当人の嘘・誤解が含み得る事にも注意を払って読まないと、こういった隠れた部分は読み逃しがちになるかも知れませんね。(気が付くと楽しいのですが、あまりに巧妙に隠されていると気が付かない事もありますし、読者としてはいつも難しいところですね。)

> うわ、なんてよくできた構成なんだろ…改めてすごい漫画だなあ。
実際にどこまで心情の機微を意識して描いたのか分かりませんけど、3巻から卒業式までの流れの集大成として、各要点を読み解けるだけの描写がなされている点は、良く出来た展開だったと素直に感心してしまいますね。

あと上記のコメント後にわたモテを読み返していたのですが、「今江さん=学校を大好きなキャラ」だと作者様が意識的に提示していた回があった点に気付き、ちょっと吃驚しました。
それは放課後にオギーとテニスする話でしたが、もこっちが内心で、こんな放課後まで用も無く学校にいる奴とかどんだけ学校を好きやん、みたいなニュアンスの毒を吐くのですが、その直後に登場するのが、生徒会室から独り校庭を眺めている今江さんなのですよね。(恥ずかしながら、美少女認定の方に意識が向いて気が付いていませんでした。)
この放課後回の次話で、もこっちは「なぜ今江さんは自分に気を掛けてくれるのだろう?」と疑問に思う訳ですが、その解答のヒントとして、前話で「今江さんは学校を大好きである」事が意識的に提示されていた訳ですね。

「学校を大好きだから、みんなにも、(学校を好きになりたいと思っている)もこっちにも学校を好きになって欲しい。」

私の場合、今江さんはなぜ"自分以外の第三者"にもこっちの孤独が解消される事を望んだのか?という点から、彼女にとっては「彼女自身がもっこちの孤独を解消する事」と「校内の第三者がもこっちの孤独を解消する事」の間で何が大きく違うのか?を考える事によって、この結論に帰着しましたが、もこっちが疑問に思った回とその前後の今江さん回を読むだけで、この答えを想像できるように作者様は気を配っていた感じがしますね。

わたモテという作品はまた読み返せば読み返すほど、あらたな発見があるかも知れません。

Re: 少しでもお役に立ったなら幸いです。

>ウニさん、ご丁寧に本当にありがとうございます!すごく、参考になります。

>登場人物の台詞や思考の主観的な記述内容には当人の嘘・誤解が含み得る事
そうなんですよね。そういうのって、例えばミステリーを読むときとかに気を付けていればいいようにも思っていたのですが、
マンガや小説一般でも通じる部分があるのかもしれません。
そういえば、谷川ニコの新作「クズとメガネと~」に綾辻行人氏の館シリーズが出てきましたけど、
谷川さんって意外とああいう叙述トリック的なものも好きだったりするんでしょうか。
まあ、ああいったアクロバティックな謎解きはないにせよ、
ちょっとした描写からキャラの心理を推し量るというのもまたマンガの楽しみの一つなんでしょうね。(作者が仕掛けた罠に惑わされるのも含めてw)


>放課後にオギーとテニスする話
おお、コミックス6巻、喪50「モテないし夕暮れの教室で一人佇む」ですか。個人的に6巻で一番好きな話なんですよね。
ていうか、これマジですごいです。本当に今回へのロングパス伏線としか思えないじゃないですか。
しかも、この直前が修学旅行の行き先を決める話なんですよね。
もこっちの妄想内でオギーが「この旅行中でちゃんと友達作りなさい!」と言ってるシーンとかちょっと鳥肌ですよw
まあ、こちらも今の展開を知っているからこそ、都合よく解釈してしまっている部分もあるのかもしれませんが、
それにしても、この構成の巧みさには感動すら覚えますね。

本当に読み返せば読み返すたびに、改めて気づかされることばかりです。
ある意味、贅沢な作品ですよね。一度読めば終わり、ではなく、読めば読むほど新たな面白さを見つけることができるのですから。
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ぬるく切なくだらしなく。 オタクにも一般人にもなれなかった、昭和40年代生まれの「なりそこない」がライトノベルや漫画を主観丸出しで書きなぐるところです。 滅びゆくじじいの滅びゆく日々。 ブログポリシーはこちら

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