再び「帰ってきた」といえるために~「ゲレクシス」完結に際して~
今、すごく心が沈んでいます。
なんだか自分でも意外なほどに、気持ちが落ちていく一方ですね。
原因はわかっています。
2月14日発売のイブニング(2017No.05)で、古谷実の「ゲレクシス」が突然最終回を迎えたからなんです。
いえ、単に好きなマンガの連載が終了したから悲しんでいるわけではありません。
むしろそうであったならどんなにいいか……
普通に作品に対して名残惜しい気持ちを抱きたかったですよ。
昨年4月に連載が始まってまだ1年経っていません。
3月23日に出る2巻が最終巻となるので、古谷実作品の中でももっとも短い連載作品となるわけですが、
はっきりいって、「作品放棄」としか言いようがありません。
たぶん「打ち切り」でもないと思いますね。
最終回を読む限り、大風呂敷は広げたものの進め方に行き詰まってしまい、けっきょくは「匙を投げてしまった」というのが本当のところではないでしょうか。
ようするに、終わるから悲しいんじゃないんです。
「ゲレクシス」という作品に対する今回の仕打ちが悔しいんですよ。
作品がすごく可哀想に思えてしかたないんです。
いやね。前々回の15話「宴」までは「ようやく面白くなってきた!」とわくわくしていたんですよ。
「あっち」側の物語が「こっち」側に侵食してきて、ここから本当の意味で「ゲレクシス」という物語が始まるのかと期待していたんです。
ところが、前回の16話「イレギュラー」でいきなり出鼻をくじかれてしまいました。
一応ネタバレはしないつもりなので詳しくは書きませんが、正直首を傾げてしまいました。「そりゃないだろう」と。
でもまあ、それでも、ここから想像を超えたような展開が始まるのだろうと信じていたんです。
で、今回。もうね。唖然呆然でしたよ。
なんの予告もなしに
最終話「体質」
って!
なんですか、「イレギュラー」だの「体質」だの、そんな結末ありますか?
タイトルからして、もう「投げている」でしょう。
しかも最後の柱の煽りが「痛恨の準備不足」って!
そんなオチあるか!
いや実際、設定やプロットなどほとんど準備せずに今回の連載を始めたんじゃないんでしょうかね?
前作から3年待たされて最後にこんなオチを見せられたら、さすがにそんな当てこすりのひとつもいいたくなりますよ。
まあ設定や世界観をあえて詰めずにその時その時の流れで続けてみようというコンセプトだったのかもしれませんが、
そんな個人的な実験に付き合わされる身にもなってほしいですね。しかも実験失敗ですし。
とどのつまり、テーマは今までと同じでしょう。
「日常」と「狂気」の狭間に魅入られ、落ちてしまう人間の生き様ってやつです。
でも、今回はそんな深いテーマが胸に迫ってくることはないですね。
はっきりいって、前作「サルチネス」から考えても大きく後退していますよ。
あまり他の作品の名前を出すような真似はしたくないのですが、
先日最終巻が発売になった福満しげゆきの「中2の男子と第6感」と比べても、
物語の幕の下ろし方があまりにも投げやりとしか言いようがありません。
「中2の男子と第6感」も当初は「ゲレクシス」のように「行き当たりばったり」で描いているかのように見えました。
実際、作者による「あとがき」によると、最初に考えていた「ペース配分」の通りにはほとんどいかなかったようです。
だっていつ連載が終わるか、わからないですから、そんなに引っ張れないですよ…
いかにも福満さんらしい言い訳で笑ってしまったのですが、
まあでも、連載始めから最後まで予定通りに進むマンガのほうが珍しいでしょう。そこは別にいいんです。
でもね。福満しげゆきは作品に対して真摯でしたよ。
よくある終盤にライバル・キャラいっぱい出てきたのに「俺たちの戦いはこれからだ!」的な終わり方になるのだけは、避けたい
思った以上に「中2と師匠の修行」のパターンが早く尽きてしまったにも関わらず、匙を投げずに最後まで描き切りましたよ。
むしろ作品への愛が強すぎて、エピローグが“長すぎて”しまったくらいですからね。
確かにそれはマンガとしては冗長すぎたかもしれません。
でも私は4巻の「あとがき」で、
「ボクシングで勝って子供を抱く」シーンが描けてよかった、「同窓会に行く」がやれてよかった、と、
まるで無邪気なこどものように綴っている福満さんこそマンガ家として正しいと思いますね。
それにしても。
考えれば考えるほど、本当に落ち込んでしまいます。
悲しさよりも腹立たしさよりもむしろ「空しさ」が先にたってしまう感じでしょうか。
あんなに素晴らしい作品を生み出していた古谷実というマンガ家が、
こういう形を「よし」としているということになんだか恐怖すら覚えてしまいます。
そう、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもないんです。
怖いんですよ。
こういう決着のつけ方を許してしまう古谷実がなんだか怖いんです。
それは、私がかつて敬愛していたマンガ家の姿とはあまりにもかけ離れているから。
その現実がなんだかすごく恐ろしいもののように感じてしまうんですよ。
3月23日に発売される最終巻には「描き下ろしおまけページ」があるとのことですが、
せめて、そこで「今回は失敗だった」と素直に認めてほしいですね。
それならまだ救われますよ。
どんな作家だって失敗作はありますし、それならまだ次を待てます。
そのときは「古谷実が帰ってきた」と再び書くことができるでしょう。
でも仮に、本当にこの形での終わらせ方に満足してるとするなら。
……その時は、次も「帰ってきた」と思えるかどうか、自信が持てません。
なんだか自分でも意外なほどに、気持ちが落ちていく一方ですね。
原因はわかっています。
2月14日発売のイブニング(2017No.05)で、古谷実の「ゲレクシス」が突然最終回を迎えたからなんです。
いえ、単に好きなマンガの連載が終了したから悲しんでいるわけではありません。
むしろそうであったならどんなにいいか……
普通に作品に対して名残惜しい気持ちを抱きたかったですよ。
昨年4月に連載が始まってまだ1年経っていません。
3月23日に出る2巻が最終巻となるので、古谷実作品の中でももっとも短い連載作品となるわけですが、
はっきりいって、「作品放棄」としか言いようがありません。
たぶん「打ち切り」でもないと思いますね。
最終回を読む限り、大風呂敷は広げたものの進め方に行き詰まってしまい、けっきょくは「匙を投げてしまった」というのが本当のところではないでしょうか。
ようするに、終わるから悲しいんじゃないんです。
「ゲレクシス」という作品に対する今回の仕打ちが悔しいんですよ。
作品がすごく可哀想に思えてしかたないんです。
いやね。前々回の15話「宴」までは「ようやく面白くなってきた!」とわくわくしていたんですよ。
「あっち」側の物語が「こっち」側に侵食してきて、ここから本当の意味で「ゲレクシス」という物語が始まるのかと期待していたんです。
ところが、前回の16話「イレギュラー」でいきなり出鼻をくじかれてしまいました。
一応ネタバレはしないつもりなので詳しくは書きませんが、正直首を傾げてしまいました。「そりゃないだろう」と。
でもまあ、それでも、ここから想像を超えたような展開が始まるのだろうと信じていたんです。
で、今回。もうね。唖然呆然でしたよ。
なんの予告もなしに
最終話「体質」
って!
なんですか、「イレギュラー」だの「体質」だの、そんな結末ありますか?
タイトルからして、もう「投げている」でしょう。
しかも最後の柱の煽りが「痛恨の準備不足」って!
そんなオチあるか!
いや実際、設定やプロットなどほとんど準備せずに今回の連載を始めたんじゃないんでしょうかね?
前作から3年待たされて最後にこんなオチを見せられたら、さすがにそんな当てこすりのひとつもいいたくなりますよ。
まあ設定や世界観をあえて詰めずにその時その時の流れで続けてみようというコンセプトだったのかもしれませんが、
そんな個人的な実験に付き合わされる身にもなってほしいですね。しかも実験失敗ですし。
とどのつまり、テーマは今までと同じでしょう。
「日常」と「狂気」の狭間に魅入られ、落ちてしまう人間の生き様ってやつです。
でも、今回はそんな深いテーマが胸に迫ってくることはないですね。
はっきりいって、前作「サルチネス」から考えても大きく後退していますよ。
あまり他の作品の名前を出すような真似はしたくないのですが、
先日最終巻が発売になった福満しげゆきの「中2の男子と第6感」と比べても、
物語の幕の下ろし方があまりにも投げやりとしか言いようがありません。
「中2の男子と第6感」も当初は「ゲレクシス」のように「行き当たりばったり」で描いているかのように見えました。
実際、作者による「あとがき」によると、最初に考えていた「ペース配分」の通りにはほとんどいかなかったようです。
だっていつ連載が終わるか、わからないですから、そんなに引っ張れないですよ…
いかにも福満さんらしい言い訳で笑ってしまったのですが、
まあでも、連載始めから最後まで予定通りに進むマンガのほうが珍しいでしょう。そこは別にいいんです。
でもね。福満しげゆきは作品に対して真摯でしたよ。
よくある終盤にライバル・キャラいっぱい出てきたのに「俺たちの戦いはこれからだ!」的な終わり方になるのだけは、避けたい
思った以上に「中2と師匠の修行」のパターンが早く尽きてしまったにも関わらず、匙を投げずに最後まで描き切りましたよ。
むしろ作品への愛が強すぎて、エピローグが“長すぎて”しまったくらいですからね。
確かにそれはマンガとしては冗長すぎたかもしれません。
でも私は4巻の「あとがき」で、
「ボクシングで勝って子供を抱く」シーンが描けてよかった、「同窓会に行く」がやれてよかった、と、
まるで無邪気なこどものように綴っている福満さんこそマンガ家として正しいと思いますね。
それにしても。
考えれば考えるほど、本当に落ち込んでしまいます。
悲しさよりも腹立たしさよりもむしろ「空しさ」が先にたってしまう感じでしょうか。
あんなに素晴らしい作品を生み出していた古谷実というマンガ家が、
こういう形を「よし」としているということになんだか恐怖すら覚えてしまいます。
そう、怒っているわけでも悲しんでいるわけでもないんです。
怖いんですよ。
こういう決着のつけ方を許してしまう古谷実がなんだか怖いんです。
それは、私がかつて敬愛していたマンガ家の姿とはあまりにもかけ離れているから。
その現実がなんだかすごく恐ろしいもののように感じてしまうんですよ。
3月23日に発売される最終巻には「描き下ろしおまけページ」があるとのことですが、
せめて、そこで「今回は失敗だった」と素直に認めてほしいですね。
それならまだ救われますよ。
どんな作家だって失敗作はありますし、それならまだ次を待てます。
そのときは「古谷実が帰ってきた」と再び書くことができるでしょう。
でも仮に、本当にこの形での終わらせ方に満足してるとするなら。
……その時は、次も「帰ってきた」と思えるかどうか、自信が持てません。
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