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『いまさら翼といわれても』感想その2~「箱の中の欠落」「鏡には映らない」「連峰は晴れているか」~

昨年末には1月5日から更新うんぬんといっていましたが、
どうやら正月を腑抜けに過ごし過ぎて、気づけば2017年も松の内を過ぎていました。。。
ということで、今日からまたぼちぼち始めてまいります。

まずは、『いまさら翼といわれても』感想の続きを……
前回はまさかの「目次」のみの感想(!)で終わってしまったので、
今回からいよいよ本編に入っていこうと思います。

さて、今回の『いまさら翼といわれても』
改めて通して読んでみると、それぞれ短編を単独で読んだときと少し印象が変わりました。
「短編集」という形をとりながらも「短編集」に留まらないというか、ある意味、ひとつの「長編」作品を読まされているような錯覚さえ覚えましたね。

もちろん、「連作短編集」ではあるのですが、「短編集」よりも「連作」のほうにウエイトがあるんじゃないでしょうか。
遠まわりする雛』以上に各短編の結びつきが強いというか、それぞれの話が『いまさら翼といわれても』という作品の“章”に当たるような構成になっていたような気がしましたね。

では、まずは『箱の中の欠落』から見てまいりましょう。

なお、ミステリ的なネタバレはありませんが、話の内容に深く触れている部分もありますので、できれば既読後に観覧したほうがよいかと思います。


●「箱の中の欠落」

といっても、内容の感想自体は

『箱の中の欠落』感想~奉太郎が“推理”をする基準~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

この時に書いていますので、今回は『いまさら翼といわれても』の第1話としての「箱の中の欠落」という話の意味を見ていこうと思います。

でも本当に改めて読んでみると、なぜこの話が「いまさら翼といわれても」への入り口としてふさわしいのかは、最初の感想のときに答えは出ていましたね。

奉太郎が“推理”をする基準。
実はこれが一番の大きなポイントなんです。

奉太郎はいわゆる「職業探偵」ではありません。彼が推理したり謎を解いて事を解決させる義務も責任もまったくないはずです。
“省エネ”を自称する彼が探偵のまねごとをするには、当然そこに「やらなくていいこと」と「やるべきこと」の基準が存在するわけです。

この話からはそんな奉太郎の「価値観」を読み取ることができます。
彼はなぜ福部里志からの相談にのったのか。
それがわかると、後の話もすごくわかりやすくなるんですよ。

特に『鏡には映らない』『連峰は晴れているか』
間違いなく、この二つの話はここからつながっていますね。
だからこそ、この順番なんです。
この流れで読んでみると、折木奉太郎という人間性がくっきりと見えてきますよ。

この話が奉太郎と里志しかでてこない、なんともむさくるしく(笑)地味であるというにもそう考えると必然なんです。

まずは男同士の暗黙の了解的“推理基準”を提示することで、
『鏡には映らない』における伊原摩耶花や、
『連峰は晴れているか』における千反田えるの心情を推し量ることができるわけなんですね。

そうでなくても、夜の街を高校生が徘徊しつつ駄弁る、というシチュエーションがまず「青春」ぽいじゃないですか。
普段の学校生活とは違うちょっと背徳な匂いのする「青春」ですよね。(補導されることをときどき気にしている描写がなんとも微笑ましいですw)
そんな中で奉太郎も里志もどこかいつもよりも雄弁と言うか、学校では話さないようなちょっと恥ずかしい話もしたりするんです。
そしてその中で、この後の短編を彷彿とさせるような事柄も出てくるという構図が見事です。

最初は「帰った方がよさそうだな」と乗り気ではなかった奉太郎が、
里志自身の「理由」を聞いたときにいったセリフ。

「お前は……相変わらずだな。影で正義の味方をやりたがる」
“相変わらず”。そう、こういったことはこれが最初ではなく、過去にもあったことなんです。

「前にお前と夜の散歩をした時も、似たような話じゃなかったか」
「ああ……あれは、中学三年だっけ。なつかしいね」

ここでいう“似たような話”というのは、このあとの第2話『鏡には映らない』のことを指しています。

千反田の立候補の話から里志の将来の話になっていく流れも今読むとなかなか面白いですね。
ここも『いまさら翼といわれても』への伏線であることは明らかですが、
第4話『わたしたちの伝説の一冊』の摩耶花の将来の話にもつながっているわけなんですよね。
そう考えると、ますます次のステージへのプロローグとしての意味合いが濃く感じられます。

「箱の中ばかりを見過ぎた。……なにか、欠けていたな」

「箱」とは何を指すのか。
普通に考えれば“学校”という一種の閉鎖空間を指すのでしょう。
でも、わたしにはもっと抽象的な若さの象徴のような気がします。

そう例えば“青春”。
彼らが過ごす3年間という時間そのもの。

もしくは“古典部シリーズ”自体をも指しているのかもしれません。

“箱”の外に答えがあった、というところに
今後の<古典部シリーズ>を占う面で大きな手掛かりになるのではないでしょうか。


●「鏡には映らない」

今回の短編集では今までとは違う大きな特徴があります。
それは伊原摩耶花主観の話があるということ。しかも二つも!

これはたまたまではありません。ましてや「番外編」なんかでもありません。
この伊原摩耶花の話が「折木奉太郎の成長物語」に欠かせないものになっているんです。

もちろん、摩耶花の目を通して奉太郎という人間性を浮き彫りにする、という性格はあると思います。
でもそれだけではないんですよ。

この「鏡には映らない」では完全に摩耶花が探偵役なんですが、
なんというか推理していく過程がすごく新鮮なんです。
奉太郎はどちらかといえば安楽椅子型の探偵だと思うのですが、彼女は直情型というか、いわゆる「足」を使って解決していくスタイルなんですね。

ちょっと疑問に思ったことをまずは本人に訊きに行き、埒が開かないと判断したら、中学時代同じ班だった人間を調べて会いに行く。
さらにそこで知りえた参考人をも別ルートで調べ上げ、当時の話を聞こうと出向き、最後には現場を確かめるのが一番とばかりに鏑矢中学まで足を運ぶ。
なんでしょう、ほとんど刑事みたいなやり方ですよw

特に第1話の「箱の中の欠落」が、里志との会話だけで推論を重ねていく会話劇だっただけに、よけいにそれが際立つんです。

こちらのインタビュー記事において、米澤さんは摩耶花についてこんなことを語っています。
https://otocoto.jp/interview/honobu_yonezawa-1/

もともとは、折木に対抗するもうひとりの探偵役として考えていました。でも実際にはその面よりも、世間ずれしていない千反田と対照を成していきました。人間関係の中でもがいて生きていく人物です。伊原は、学園小説のもうひとつの側面になりうる世界を持っていると考えています。

奉太郎と摩耶花という二人の探偵。
これが今回の“裏”テーマであるような気がしますね。

それにしても、『いまさら翼といわれても』の第2話としてこの話を読むと、
また違った味わいがありますね。
第1話で提示された“謎”を摩耶花が追いかける、という風にも読めるわけですから。

第1話で提示された“謎”。
そう、奉太郎は里志の相談をなぜ受けたのか。
第2話ではそれは「奉太郎はなぜ卒業制作で手抜きをしたのか」という命題に置き換わっていますが、実はここに折木奉太郎のモットーである「省エネ主義」の謎が隠されているわけですよ。
その“謎”は第5話『長い休日』で解き明かされることになるわけですが、
本当はすでにこの話で摩耶花が解き明かしていたんですね。

普段は省エネなんてうそぶいている自分が、気まぐれと手抜きという手段によってであれ、女の子を助けたことは、人に知られたくないと思っている。(本文115ページより引用)

そして、なぜ摩耶花がこの謎を解き明かすことができたのかということを考えると、これがまたすごく胸を打つんですよ。

普通だったら、怠け者で無責任な男だから手を抜いたんだ、で終わりじゃないですか。
実際、当時の同級生の池平はそう思いこんでいたわけですし。

でも、高校生になって、「古典部」で一緒に過ごした日々が彼女に違和感を覚えさせたわけです。

あいつはちーちゃんの悲しみをいっしょに考えてあげていた。
「氷菓」用の原稿だってしっかり書いてきた。

折木奉太郎という男は、「やるべきことは手短に」という自分のモットーはちゃんと守るんだということを彼女はこの一年間で知ったんです。

つまり、「古典部」での日々を信じているからこそ、彼女はこの“謎”を解こうとしたんですよ。
もう、このことを思うだけで胸が熱くなりませんか?

きっと摩耶花にとって、古典部という存在は彼女が思っている以上に大きなものになっているのだと思います。
鳥羽麻美のことを聞いて、「折木め、とっちめてやる」(笑)とばかりに部室に乗り込んだシーンはすごく印象的でしたね。

ちーちゃんがいた。笑っている。わたしに気付くと、小さく手を上げてくれた。(本文90ページより引用)

どうですか、この描写。
彼女がいかに千反田えるを気にかけているのかよくわかるじゃないですか。
で、「ちーちゃん、それより聞いて、あのね、そいつはね……!」て口走ろうとするところなんてもう!

さらには楽しそうに奉太郎の話を聞いている千反田を見て、

ちーちゃんに笑顔が戻って来たのはいいことだ。二年生になってから、ちょっといろいろあったから、なおさらそう思う。
……さすがにちーちゃんの前で、折木の「彼女」の話は出せない。(本文91ページより引用)


こんなことを思うのですから。いつの間にか、こんなにもお互いを大事に思う仲になっていたのですね。
(「いろいろあった」というのは、もちろん『二人の距離の概算』でのことを指しているわけです)

で、このあと、鳥羽麻美から話を聞こうとして拒絶されたときの摩耶花がまた泣けるんですよ。

わたしは、ちーちゃんの笑顔を思い出した。昨日、折木の話を聞き入っていた横顔を。(本文103ページより引用)

どうですか。彼女の行動の原動力はこんなところにあるんですよ。
伊原摩耶花の人間性がさりげなくもしっかりと描かれている名シーンだとは思いませんか?

第1話からの流れといえば、もうひとつ、「時の流れ」という点があります。

終盤、摩耶花はかつて通っていた鏑矢中学に出向くのですが、
校門の前で彼女は校内に入るのをためらいます。

個々の要素は神山高校とそれほど変わらないはずなのになぜこんなにも入りにくいのか。

理由は明らかだ。わたしはここを、笑顔と涙で卒業した。卒業した場所には、もう戻れない。戻ってはいけないのだ。(本文105ページより引用)

私はこの言葉を米澤さん自身の言葉のようにも感じました。

そう、人は過去を思うことはできるし、過去から学ぶこともできるけど、
でも、絶対に過去へ戻ることはできないし、戻ってはいけないんですよね。
このあたりも『いまさら翼といわれても』全体を通してのテーマにつながっているような気がします。

それにしても、「鏡には映らない」とは実にいいタイトルですねえ。
個人的には今回の短編集の中で一番好きなタイトルですね。

卒業制作の鏡の名前が「おもいでの鏡」というのもなんとも言いえて妙な感じがして、意味深ですよね。

鳥羽麻美が言うように、ただ「鏡」を見てもわからない。それは、逆立ちでもしないと見えないものだったんです。
折木奉太郎の姿も。鷹栖亜美の姿も。そしてきっと、鳥羽麻美の姿も。

「逆立ち」に隠された意味を考えれば考えるほど深みが増してくる、ミステリ的にも青春的にも優れた作品だと思いますね。


●「連峰は晴れているか」

アニメにもなったので、読む前からこの話だけは知っている方も多かったのではないでしょうか。
6編中一番短い話で、ほとんどショートショートに近いような感じなのですが、これがなかなか心に残る一遍なんですよね。

ところで、前回の「目次」感想では、「高校二年生の一学期あたり」といった季節感はないように思えると書きましたが、
改めて、初出時と読み比べてみると、確かに「季節感の調整」は施されていました。

冒頭、奉太郎とえるの会話で

古典部の他には課外活動に関わっていない俺が、

という箇所があるのですが、これが雑誌時ですと、

古典部の他には課外活動に関わっていない一年生の俺が、

となっていたんですw

正直、これだけで季節が二年生一学期になったとは到底思えませんが、
まあとにかく、なんとなく他の話と流れを合わせようという意図があったことは確かなようです。
(でもそれならせめて、本文136ページの「三年前」は“四年前”に変えておくべきだとは思いますけどね。あと、小木高広くんがなぜ、2年B組から2年D組になったのかがまったくの謎ですw一瞬、奉太郎が2年B組だったのかとも思ったのですが、『概算』で確認したら思いっきりA組でしたしw)

まあそれはともかく、久々に読みなおすと、不思議な読後感がありますね。
最初読んだときは、奉太郎とえるのイチャイチャ話(笑)としか考えていなかったのですが、こうして「連作短編集」の中の一つとして読むとまた違ったとらえ方ができそうです。

「箱の中の欠落」から「鏡には映らない」ときて、奉太郎の“推理する基準”が見えてきたわけですが、
ここでさらに本人の口からそれが語られるんです。

無神経というか、人の気も知らないでって感じか。(本文138ページより引用)

この考え方は「鏡には映らない」での摩耶花にも通じますよね。
というか、あの摩耶花の件があったからこそ、奉太郎のこの考え方が初めて理解できたような気がしました。
そういった意味でもこれは確かに第3話にふさわしい話だったんだと思います。

それと、最後のえるの「折木さん、それって、とっても……」というセリフ。

初めて読んだときもアニメで見たときも、ここでえるが言いたかったことって
もっとすごくロマンチックなことだと想像していたんですよ。
でも「いまさら翼といわれても」を読んでしまった今、どうもそんな甘いだけの言葉じゃないような気もしてきたんですね。

このことは第6話「いまさら翼といわれても」の感想で改めて触れようと思うのですが、
あの蔵の中でのえるの気持ちを考えると、なんだか自分も気軽には言えないなという気持ちにさせられました。

それ以外にも
これはやっぱり借りになるだろう。
とか、
神垣内の山々は、もうすっかり闇の中だった。
という最後の一文が、
なんだかすごく「いまさら翼といわれても」につながっているようにも読めてしまって、
個人的に、今回の6話の中で一番初読時と印象が変わった話でしたね。


……というわけで、今回の感想はここまで。

『わたしたちの伝説の一冊』『長い休日』『いまさら翼といわれても』の感想は、
次回、『いまさら翼といわれても』感想その3までお待ちください!


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ぬるく切なくだらしなく。 オタクにも一般人にもなれなかった、昭和40年代生まれの「なりそこない」がライトノベルや漫画を主観丸出しで書きなぐるところです。 滅びゆくじじいの滅びゆく日々。 ブログポリシーはこちら

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