「古典部シリーズ」最新刊発売決定~『わたしたちの伝説の一冊』感想にかえて~
「大人」になるため、挑まなければいけない謎。待望の〈古典部〉最新作!
奉太郎が「省エネ主義」になったきっかけ、摩耶花に漫画研究会を辞める決心をさせた事件、えるが合唱祭の出番前に行方不明になったわけ――〈古典部〉メンバーの新たな一面に出会う、瑞々しくも時にビターな全6篇!
いや~、ついにきましたね。
<古典部シリーズ>最新刊『(仮)いまさら翼といわれても』が11月30日に発売されることが、ついに公式に発表になりました。
前作『二人の距離の概算』の単行本発売が2010年6月ですから、実に6年半ぶりの新刊ですか。
まあ、その間にテレビアニメ化されたり、コミックス版も始まったり、はたまた短編も定期的に発表されたりしていましたので、正直、それほど待たされたという感じはしません。
でも、短編を読み直すのにいちいち雑誌を引っ張りだすのもけっこう面倒ですし、
やっぱり、短編単独で読むのと「連作短編集」として読むのでは、作品の意味もまた変わってくると思うんですよね。
なので、これまで断片的だった作品たちがこうして一つの書籍として形になることは、やはり“待望の新作”といっていいかと思います。
※ところで、なんで「(仮)」がタイトルの前についているんでしょうね?
普通、仮タイトルって、後ろにつきません?「いまさら翼といわれても(仮)」というふうに。
まあ、どうでもいいっちゃあどうでもいいんですけど、
ひょっとして何か意味があるのかと、ちょっと気になりましたね。
というわけで、今回のシリーズ6作目は『遠回りする雛』同様、「連作短編集」という形になります。
で、“全6篇”ということは、ここまでの単行本未収録短編が全て収録ということになるわけです。
つまり、
『連峰は晴れているか』『鏡には映らない』『長い休日』『いまさら翼といわれても(前篇・後篇)』『箱の中の欠落』、
そして先月、「文芸カドカワ2016年10月号」(電子書籍)に掲載された最新作『わたしたちの伝説の一冊』まで全て入るということですね。
正直ほっとしました。
というのも、この『わたしたちの伝説の一冊』、今までの収録予定の短編とはちょっと毛色が違う作品だったんです。
なので、「連作短編」という性質上、テーマ的に合わなければ次回へ持ち越しもなくもないかなあという気もしていたんですよ。(実際『連峰は晴れているか』はずっと未収録でしたし)
でも、これがすっごくいい話なんです。個人的にここ最近の短編の中でも一番好きかもしれないくらいにお気に入りなんですよ。
だからこそ、たぶん大丈夫だとは思うけれども万が一これが収録を見送られるのは勘弁してほしいなあとずっと思っていたんです。まあ、まったくの杞憂に過ぎなかったようで、本当によかったです。
『わたしたちの伝説の一冊』に関しては、『(仮)いまさら翼といわれても』が出てから、改めて述べることにしたいのですが、その前に一言だけ言わせてください。
またタイトルに騙されたよ!
前回、「次もタイトルで期待すると裏切られるパターンかもしれませんがw」と冗談交じりで書いたらこれだよ!
本当にまんま騙されるとか、どれだけ間抜けなんだよ!
……それにしても、『いまさら翼といわれても』の後日談どころか、
まさか『二人の距離の概算』と同時期の話で、「伝説の一冊」もあれのこととは……
いや、本当にやられました。脱帽です!
(未読の方は単行本が出るまで待った方が、より新鮮な驚きとともに感動できるかも)
さて、そうなると、その『わたしたちの伝説の一冊』も一緒に収録される、
今回の「連作短編集」のテーマって一体何になるんでしょうか?
『長い休日』までは「奉太郎の過去」かなと思っていました。
『いまさら翼といわれても・前篇』のときは、「古典部部員の過去」か?と思い、
『いまさら翼といわれても・後篇』を読んだときは、「奉太郎の本質」こそが一貫したテーマではないかと推測しました。
それは、『箱の中の欠落』の時点では確信に変わったわけですが、
『わたしたちの伝説の一冊』を読んだとたんに「あれ?」となってしまったんです。
だってこれ、どういう話かといえばなんと「摩耶花が漫研を退部した顛末」を描いたものなんですよ。
『鏡には映らない』以上に“完全摩耶花主観”のお話なんです。
奉太郎なんてほとんど出てこないんですから!
要するに「奉太郎の過去」とか「奉太郎の本質」とはちょっと思えない話だったんですね。
Amazonのセールスコピーから判断するには、要するに
「古典部部員の新たな一面」
ということのようですが、うーん、どうなんでしょうね。
まあ確かに『いまさら翼といわれても』での千反田えるは驚きましたし、
『長い休日』も「奉太郎の意外な一面」と取れなくもないですけど、
どうにも腑に落ちない感じが残るんですよ。
『わたしたちの伝説の一冊』での摩耶花は普通にいつもの摩耶花らしいと感じましたし、
里志なんかそもそも単独の話もありませんけど、里志の新たな一面とかもなかったかと思うんですよ。
ひょっとすると、『箱の中の欠落』が「里志回」なのかもしれませんけど、さすがにそれはちょっと弱い気がしますね。
まあ強いて言えば、『鏡には映らない』は摩耶花にとって、奉太郎や里志の知らなかった一面といってもいいかもしれませんけど。
うーん、この辺はやっぱり、
単行本で改めて一気に読んだほうが見えてくるものがあるのかもしれませんね。
それと、あともう一つ、「連作短編集」ということで気になることがあります。
それは収録順。
例えば、『遠回りする雛』は“時系列”順だったわけです。
実際の発表順ではないんです。
それは高校一年を通して少しずつ古典部のメンバーが心を開いていった過程を描いていたわけで、
「テーマ」に沿っていたからこその“時系列”だったわけなんですね。
今回もし、“時系列”順するなら、
『連峰は晴れているか』『わたしたちの伝説の一冊』『鏡には映らない』『長い休日』『箱の中の欠落』『いまさら翼といわれても(前篇・後篇)』
という順番になると思うんです。(あくまで私の解釈ですけどね。とくに『長い休日』の時期はあいまいですし)
つまり、「摩耶花が漫研を退部した真相」を描いた『わたしたちの伝説の一冊』という作品は、
『鏡には映らない』よりも過去の話になるわけです。
正直、ちょっと不思議でもあるんですよね。
『いまさら翼といわれても』発表後、6月ごろの『箱の中の欠落』、5月半ばの『わたしたちの伝説の一冊』と、なぜか時間をさかのぼっているわけですから。
そこで、「テーマ」なんです。
『遠回りする雛』はあとがきにもあったように、「時間」がテーマでした。
一学期、夏休み、二学期、三学期、そして春休みと一年を一緒に過ごしていく中で、少しずつお互いの距離を縮めていく彼らの姿が主題だったんです。そのゆっくりとした変化こそがテーマでもありました。
だからこそ、タイトルも『“遠回りする”雛』だったわけですね。
今回のタイトルは『いまさら翼といわれても』が選ばれています。
もちろん、今のところ(仮)がついているわけですが、大体のパターンとして、仮タイトルがそのまま正式になることが多いですし、
やはりこれが全体を象徴する大きなエピソードなのでしょう。
でも、なんで、そこから話が遡っていくんでしょうかね?
なぜ、あの後の千反田えるを描くことをためらっているのでしょう?
私には“(仮)”が『いまさら翼といわれても』の前についていることが、その“ためらい”の証拠のようにも思えるんですよ。
短編集のタイトルに選ばれた短編はラストに置かれることが多いです。
米澤さんのノンシリーズ短編集『満願』もそうでしたし、それにならえばおそらく、『いまさら翼といわれても』が今回の短編集の最後を飾ることになるでしょう。
そうなると、今回も“時系列”並びになりそうですよね?
でも、それではどうも「テーマ」がよく見えてこない気がするんです。少なくともわざわざ「時系列」に並べる必然があるほどのテーマはないように思えるんです。
『連峰は晴れているか』から始まって、『いまさら翼といわれても』で終わるだけでは、彼らの“成長”が分かりづらいのではないでしょうか。
だからこそ、ひょっとすると“発表順”もあるかも、という気がしてならないんです。
つまり、ラストに『わたしたちの伝説の一冊』を持ってくる可能性もあるんじゃないかと。
その方が、次の<古典部シリーズ>第7作目にきれいにつながるようにも思えるんですね。
それに、なんといっても、『いまさら翼といわれても』のあの終わり方でまた何年も待たされるのはちょっと酷ですよw
たぶん、米澤さんも迷っている部分もあるのではないでしょうか。
だからこそ、まだ“(仮)”なのかなあという気がしますね。
『(仮)いまさら翼といわれても』は11月30日発売予定です。
『さよなら妖精 【単行本新装版】』は10月28日発売!
(「花冠の日」という書き下ろし掌編も併録とのこと)
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