「ゲレクシス」第1巻発売~「あっち」側だけで物語は成立するのか~
当ブログで何度か取り上げている、古谷実の最新作「ゲレクシス」。
9月23日にそのコミックス第1巻が発売になりました。
えーどうなんでしょう。
今回のコミックスで初めて「ゲレクシス」という作品に触れた人はどれくらいいるのかわかりませんが、
そういう人たちがまず、どういう印象を持つのかがすごく気になりますね。
私は5話まで読んだときに「いまだにまったくわけがわからない」と書きました。
で、今回のコミックスには第9話まで収録されているわけですが、
「いまだに」どころか、まるで坂道を転げ落ちていくかのように、わけわからなさが加速していませんか?
確かに続きはすっごく気になります。それゆえ今も変わらずに毎号イブニングを買ってはいます。
でも、それって、面白いから話の続きが気になるからということでもないような気がするんですよ。エンタテインメント的な興味じゃないんです。
どちらかというと「古谷実」の行く先を見届けなければ、という義務感にかられてという感じでしょうかw
そもそもこれ、読み手を意識しているのかということ自体も少し疑ってきています。
だって、表紙がこれですよ?
もはや、「ネタバレ」だという気もないですけど、
少しでも売りたいならこんな表紙にするでしょうかね?
いやまあ、ある意味ちゃんと「主人公を表紙にしている」わけですから、
むしろ、これまでよりはまともな表紙といえなくもないですけど……
ちなみに裏表紙はこちら
せめてこちらを表にしろよと思わなくもないのですが、まあどちらにせよたいした違いはないかw
まあ、表の姿があれで裏がこれということに、意味を見いだそうと思えばできるのかもしれませんけど、なんかもうそういう裏を読み解こうという気も起らないくらいに「おいてけぼり感」が強いんですよね。
で、この「ゲレクシス」。
今のところ、よくわからない生き物?になってしまった大西たつみ(40)の異世界冒険談になりつつあるわけですけど、つまりはあれかなと思うわけですよ。
ほら、たとえば「ヒミズ」に出てきた“怪物”。もしくは「ヒメアノ~ル」のラストに出てきたような馬面の医者。もしくは「サルチネス」の冒頭に出てきた“いちご男”。
ああいう、妄想だかなんだかよくわからない何かの暗喩的とも思える変な生き物だけで物語を作ってみたらどうか、という壮大な実験なんじゃないでしょうかね?
あんな感じのイメージというのは実は「稲中」後期からちょくちょく顔を出していたかと思うんですけど、
もう「こっち」側は完全に捨てて、「あっち」側だけで「人間とは何か」「生きるって何?」ていうことを茶化しながらも追求していこうと開き直ってしまったんじゃないかと危惧してしまうんです。
だって、設定とか伏線とかもはやあれこれ考えるのも馬鹿らしくなってしまうくらい、もうツッコミどころ満載の流れじゃないですか。
5話までは一応「23年前に何があった?」とかいろいろ真面目に考えようとしていましたけど、
正直ここまで脈絡がない展開だとそんなことも馬鹿らしくなってしまいますよ。
一応、最新10話では新たな「新事実?」みたいなことも出てきますけど、それも意味があるんだかないんだか……
作中、「これは夢臭がハンパない」というセリフも出てくるように、つまりは延々悪夢を魅せられている感じなんですよね。
前と後ろの展開になんのつながりもなく、突然「状況」だけがポッと差し出されるだけ。
まあそれでも、わたしは最後まで見届けますよ。
古谷さんがたとえ、本当に「あっち」側に行ってしまったとしても、その行く末をなんとしてもこの目で確認しなければならない気がするんです。
大西たつみはこう言います。「絶対に人間に戻る!!!!」
そして、モウソウ?はこう言います。「オレって誰なんだろう!!?」
それらの叫びは今までの古谷実作品で何度も繰り返された切実な想いです。
その想いに対して真摯でありつづけるならきっと、この物語は破たんせずにどこかに着地するはずだと信じています。
……でも、エンタテインメントとしては、せめて、
「こっち」側の描写も少しは入れてほしいですね。
例えば、大西たつみがいなくなった後の倉内ゆう子はどうなっているのかとか、
「あっち」の物語と「こっち」の物語がどこかで交錯するとか、
そういう「読ませる」努力は惜しまないでほしいなとは思います。
9月23日にそのコミックス第1巻が発売になりました。
えーどうなんでしょう。
今回のコミックスで初めて「ゲレクシス」という作品に触れた人はどれくらいいるのかわかりませんが、
そういう人たちがまず、どういう印象を持つのかがすごく気になりますね。
私は5話まで読んだときに「いまだにまったくわけがわからない」と書きました。
で、今回のコミックスには第9話まで収録されているわけですが、
「いまだに」どころか、まるで坂道を転げ落ちていくかのように、わけわからなさが加速していませんか?
確かに続きはすっごく気になります。それゆえ今も変わらずに毎号イブニングを買ってはいます。
でも、それって、面白いから話の続きが気になるからということでもないような気がするんですよ。エンタテインメント的な興味じゃないんです。
どちらかというと「古谷実」の行く先を見届けなければ、という義務感にかられてという感じでしょうかw
そもそもこれ、読み手を意識しているのかということ自体も少し疑ってきています。
だって、表紙がこれですよ?

もはや、「ネタバレ」だという気もないですけど、
少しでも売りたいならこんな表紙にするでしょうかね?
いやまあ、ある意味ちゃんと「主人公を表紙にしている」わけですから、
むしろ、これまでよりはまともな表紙といえなくもないですけど……
ちなみに裏表紙はこちら

せめてこちらを表にしろよと思わなくもないのですが、まあどちらにせよたいした違いはないかw
まあ、表の姿があれで裏がこれということに、意味を見いだそうと思えばできるのかもしれませんけど、なんかもうそういう裏を読み解こうという気も起らないくらいに「おいてけぼり感」が強いんですよね。
で、この「ゲレクシス」。
今のところ、よくわからない生き物?になってしまった大西たつみ(40)の異世界冒険談になりつつあるわけですけど、つまりはあれかなと思うわけですよ。
ほら、たとえば「ヒミズ」に出てきた“怪物”。もしくは「ヒメアノ~ル」のラストに出てきたような馬面の医者。もしくは「サルチネス」の冒頭に出てきた“いちご男”。
ああいう、妄想だかなんだかよくわからない何かの暗喩的とも思える変な生き物だけで物語を作ってみたらどうか、という壮大な実験なんじゃないでしょうかね?
あんな感じのイメージというのは実は「稲中」後期からちょくちょく顔を出していたかと思うんですけど、
もう「こっち」側は完全に捨てて、「あっち」側だけで「人間とは何か」「生きるって何?」ていうことを茶化しながらも追求していこうと開き直ってしまったんじゃないかと危惧してしまうんです。
だって、設定とか伏線とかもはやあれこれ考えるのも馬鹿らしくなってしまうくらい、もうツッコミどころ満載の流れじゃないですか。
5話までは一応「23年前に何があった?」とかいろいろ真面目に考えようとしていましたけど、
正直ここまで脈絡がない展開だとそんなことも馬鹿らしくなってしまいますよ。
一応、最新10話では新たな「新事実?」みたいなことも出てきますけど、それも意味があるんだかないんだか……
作中、「これは夢臭がハンパない」というセリフも出てくるように、つまりは延々悪夢を魅せられている感じなんですよね。
前と後ろの展開になんのつながりもなく、突然「状況」だけがポッと差し出されるだけ。
まあそれでも、わたしは最後まで見届けますよ。
古谷さんがたとえ、本当に「あっち」側に行ってしまったとしても、その行く末をなんとしてもこの目で確認しなければならない気がするんです。
大西たつみはこう言います。「絶対に人間に戻る!!!!」
そして、モウソウ?はこう言います。「オレって誰なんだろう!!?」
それらの叫びは今までの古谷実作品で何度も繰り返された切実な想いです。
その想いに対して真摯でありつづけるならきっと、この物語は破たんせずにどこかに着地するはずだと信じています。
……でも、エンタテインメントとしては、せめて、
「こっち」側の描写も少しは入れてほしいですね。
例えば、大西たつみがいなくなった後の倉内ゆう子はどうなっているのかとか、
「あっち」の物語と「こっち」の物語がどこかで交錯するとか、
そういう「読ませる」努力は惜しまないでほしいなとは思います。
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