『箱の中の欠落』感想~奉太郎が“推理”をする基準~
前回予告したように、<古典部シリーズ>最新作『箱の中の欠落』の感想を綴っていこうと思います。
今回も基本ネタバレなしなので、単行本派の方でも大丈夫でしょう。
ただ、あくまで「“謎解き”のネタバレなし」という意味ですので、作中に出てくる奉太郎の言動などには言及したりはします。
余計な予備知識はなしで、年末刊行予定の古典部シリーズ第六作目を楽しみたい方は読まないほうがいいかもしれません。
というわけで、まずはざっと概要を。
六月のある日。夕食を作っていた奉太郎のもとに里志から夜の散歩のお誘いが。
もちろん、それが本来の用なわけがなく、何やら厄介な相談事がありそうなのだが……。
今回の話は構成的には至極シンプルです。
里志が持ち込んだ厄介事=生徒会長選挙で起こった不正行為の謎を、奉太郎と里志が仮定と推論を繰り返しつつ解き明かしていくだけです。
途中、ラーメン屋に寄ったりもしますが、基本ずっと二人の会話のみで進行していきます。
まあ、わかりやすく言えば「心当たりのある者は」の里志バージョンですね。
ていうか、「箱」ってまんま「箱」のことかよ!
読んだ誰もが、そう心の中で突っ込んだことでしょうw
そう、『箱の中の欠落』というタイトルが発表されてから、
誰もがまず、“箱”という単語に反応したと思うんですよ。
だって前作「いまさら翼といわれても」があれでしたからね。
当然「千反田える」の置かれている状況のことを指しているのかと思うじゃないですか。
まさか普通に、投票「箱」のことだったとは……w
で、肝心の中身の方はといえば、正直、かなり地味な話でした。
なにしろ、男二人が夜の街を徘徊しながらずっと会話しているだけですしw
いや、本当に最初から最後まで奉太郎と里志の二人劇なんですよ。
まったく、むさ苦しいったらありゃしないw
まあそういうわけで、
色気もなければ熱い展開もない、おまけに事の真相もなんだかはっきりしない……とくれば、
まったく盛り上がりに欠ける話だったという点は否めません。
では、単なる穴埋め作品だったのか、というと、もちろんそんなことはありません。
いくつか重要なポイントが隠されています。
まず、この話の時期は押さえておきたいところですね。
六月、生ぬるい風に吹かれながら夜の街を歩いたことも、(後略)
(文芸カドカワ2016年9月号『箱の中の欠落』より引用)
そう、今回は六月の話なんです。
で、「いまさら翼といわれても」は、期末試験が終わっての夏休み初日の話でした。
つまり、今回の話は「いまさら翼といわれても」の直接的な続きではないんですね。
時系列的には「長い休日」と「いまさら翼といわれても」の間に位置する一篇なのではないでしょうか。
次に重要なポイントとして、
「千反田えるが生徒会長立候補を検討していた」という話が出てきます。
里志は「ぜんぜん関係ないんだけど」と前置きしてから、このことを奉太郎に振るわけですが、
これはどう考えても「いまさら翼といわれても」における、あの問題への伏線としか思えません。
だって、
いずれ千反田家を継いだときに、神高を代表した経験が役にたつかもしれない……そういう意味だったらしい(文芸カドカワ2016年9月号『箱の中の欠落』より引用)
こんな言葉が出てくるくらいですからね。
ある意味、「いまさら翼といわれても」へのプレリュードといってもいいのかもしれません。
「生徒会長」なんて実務能力なんてなくても人望さえあれば後は脇が固めれば、という話もでてくるのですが、
これもどこか「名家の跡継ぎ」の話とつながっているような気がしましたし。
いずれにせよ、今回のなんとも地味な話を深く解析することで、
「いまさら翼といわれても」以降の展開が見えてくるような気がしましたね。(現段階では“気がする”だけですがw)
箱の中ばかりを見過ぎた。……なにか、欠けていたな(文芸カドカワ2016年9月号『箱の中の欠落』より引用)
こんな意味深なセリフも出てきますし。(やはり「箱」も何かのメタファーなのかも?)
たぶん、単独の話として読むよりも、
<古典部シリーズ>6作目「連作短編集」の中で改めて読めば、また違った印象になるのではと勝手に想像しています。
あと、ところどころに“時は移ろう”ものだということをにじませる表現が目立ちました。
冒頭から「覚えている記憶と忘れてしまった記憶との差」について考えている奉太郎の語りから始まりますし、
この六月の日のことを「俺はずっと覚えているのではないだろうか」とまで言っているくらいですから。
(そのあと、この予想が当たっているか確かめられるのは、十年先、二十年先のことになると書いているのもなんだか意味深です)
そして何より、事の真相に気づくきっかけが
「同窓会のお知らせ」であり、投票箱が古びて飴色がかった時代物であったことは、重要なポイントだったように思えます。
奉太郎はそれを「学校もまた時間の中にあることに気づけた」と言っていました。
冒頭の「覚えている記憶と忘れてしまった記憶との差」ですが、
ひょっとすると、この「時間は進む」ということを認識することに何か関係しているのかもしれませんね。
あと、これはまあ誰もが思うことでしょうが、「飯テロ」度合いがすごかったですねw
夕食での焼きそばとか、ワンタンメンライスとか、夜中に読むもんじゃありませんw
しかし、ここ最近の短篇はこういう食べ物のシーンが多いですね。
「いまさら翼といわれても」でも夏休み初日のお昼に冷やし中華が出てきましたし、
「長い休日」の冒頭では奉太郎がなにやら豪勢な朝ごはんを作っていました。
(レシピさながらに作っている描写がまた食欲をそそります!)
確か、去年のダヴィンチのインタビューで、
「どういう料理を作るかというのは、登場人物の顔が見えてくるポイントになると思っています」
と答えていましたが、
この辺あたりから考えてみても、また違った「奉太郎の人間性」が垣間見れるのかもしれませんね。
さて、今回のミステリーパートはけっきょくのところ、はっきりせずに終わってしまいます。
フーダニット(犯人は誰か)もホワイダニット(動機は何か)も一切語られません。
ていうか、「それは選挙管理委員会の仕事」と奉太郎も里志もまったく興味を示さないのです。
あるのはハウダニット(どうやったか)のみ。
要するに二人にとって、この「選挙不正事件」のことは、正直どうでもいいんですね。
ただ、そこで疑いがかかってしまった一年生の冤罪を晴らして、
いばりくさっている選挙管理委員長の鼻を明かせればそれでいいわけです。
この構図は、「鏡には映らない」を彷彿とさせます。
「前にお前と夜の散歩をした時も、似たような話じゃなかったか」
「ああ……あれは、中学三年だっけ。なつかしいね」
(文芸カドカワ2016年9月号『箱の中の欠落』より引用)
この会話もおそらく、「卒業制作事件」の時を指しているのではないでしょうか。
あのときも、社会的な正義感からくる「いじめは許さない!」ということではなく、
一人の少女を救いたいがために「影のヒーロー」になる話でした。
そう考えると、今回の話も今までの短篇の流れに沿ったものなんですよ。
つまり、「奉太郎の本質は変わっていない」ということ。
言い換えれば、彼が“推理”をする基準はどこにあるかということです。
当初、里志の話を聞いて「帰った方がよさそうだな」と言っていた奉太郎。
選挙で不正が行われようとも、そんなのは俺の知っちゃことじゃないというわけです。
しかし、我らが奉太郎はそこでは終わりません。
総務副委員長の福部里志ではなく、「お前自身の、解きたい理由」を言えと問い詰めるわけです。
ここに、次の<古典部シリーズ>6作目のテーマが隠されているような気がするんですよね。
おそらく、『いまさら翼といわれても』のその後の展開も、そこにかかっているのではないでしょうか。
さて、次号でも『わたしたちの伝説の一冊』という短篇が掲載されます。
この一編も新刊に収録されるかはまだアナウンスされていませんが、
タイトルからはどうしても、2年目の文化祭に向けて再び文集作りに奔走する展開を期待してしまいます。
(『いまさら翼といわれても』前編でもちらっとそんな話が出てきましたよね)
そうなると、時期的には夏休み中の話になりそうですから、
『いまさら翼といわれても』のあの後の顛末も語られるかもしれません。
今からすごく楽しみですね。(次もタイトルで期待すると裏切られるパターンかもしれませんがw)
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