「満願」感想第3回~「柘榴」そのグロテスクな美しさ~
この度、山本周五郎賞も受賞、まさに米澤穂信の“今”が詰まっている短編集『満願』。
今まで「夜警」「死人宿」とご紹介してきましたが、3回目の今回は「柘榴」です。
「夜警」が“奇妙な味”、「死人宿」が“ブラックユーモア的御伽噺”なら、「柘榴」は“暗黒ミステリ”ですね。
それこそ、『儚い羊たちの祝宴』の中の一遍に入っていそうな「黒よねぽ」炸裂の作品となっています。
と言っても“ビューティフル・ブラック”とでも言いますか、魅惑的な話でもありましたね。
何しろ、語り部は美しい中学生の娘とその母です。そして語られる話が『鬼子母神伝説』と『ギリシャ神話』とくれば、“嫌な話”というよりは、“ファンタジー”に近いかもしれません。
いえ、語られる動機といいますか、根底にある人間のおぞましさはハンパないんですよ。
きっと最後の一文まで読み終えた後は、全身が震えるような嫌悪感に苛まれること請け合いです。
でも、どこか浮世離れしているというか、童話にでてくるような残酷さなんですね。
だから「夜警」のような“後味の悪さ”は感じないと思います。
(以下、ネタバレを含みます)
今まで「夜警」「死人宿」とご紹介してきましたが、3回目の今回は「柘榴」です。
「夜警」が“奇妙な味”、「死人宿」が“ブラックユーモア的御伽噺”なら、「柘榴」は“暗黒ミステリ”ですね。
それこそ、『儚い羊たちの祝宴』の中の一遍に入っていそうな「黒よねぽ」炸裂の作品となっています。
と言っても“ビューティフル・ブラック”とでも言いますか、魅惑的な話でもありましたね。
何しろ、語り部は美しい中学生の娘とその母です。そして語られる話が『鬼子母神伝説』と『ギリシャ神話』とくれば、“嫌な話”というよりは、“ファンタジー”に近いかもしれません。
いえ、語られる動機といいますか、根底にある人間のおぞましさはハンパないんですよ。
きっと最後の一文まで読み終えた後は、全身が震えるような嫌悪感に苛まれること請け合いです。
でも、どこか浮世離れしているというか、童話にでてくるような残酷さなんですね。
だから「夜警」のような“後味の悪さ”は感じないと思います。
(以下、ネタバレを含みます)
ここで起こる事件そのものはありふれたもので、「離婚調停」における「親権」の争いで子供たちがどちらにつくのかだけの話です。物語は母親の「さおり」と中学生の娘「夕子」の視点で交互に語られていきますが、これがすごく効果的なんですね。
そう、この親子はすごく似ているんですよ。
自分の美しさの自覚しているところや欲しいものを得るためにあらゆる策を講じるところなど夕子はかつてのさおりにそっくりなんです。
序盤は母親であるさおりに対して読者は、あまりいい印象を持てないまま話は進んでいきます。でも読み進めていくと、さおりを応援したくなってくるんですね。
父親の「成海」は悪意のある人物ではありません。ただどうしようもない天性の“ダメな大人”として描かれます。ただ、その“ダメ”さはかつてさおりを陥落させたものでもあったわけです。
成海は定職にもつかず、家にも月に数回顔を見せるだけ。たまにくれる生活費はよその女に貢がせたもの。それでも帰ってくるときは娘たちに優しく、良き父親を演じてくれる。
そのわずかな時間の中に辛うじて幸せを感じつつ、さおりは一人で娘二人を一所懸命に育てていきますが、そんな偽りの家族がいつまでも続くはずがありません。長女である夕子が高校受験を控える頃になってようやく「離婚」を決意します。
ところが成海は離婚には同意するものの「親権」を要求してきます。
二人の娘たちも幼いころから父親の“ダメ”なところを見てきています。母親が娘たちを愛し育ててくれたこともよく知っています。普通に考えれば、母親側に「親権」を認めるのが当然ですよね。法律的にも実際に子供と住んでいる母親に圧倒的に有利なはずです。
しかし、裁判所の調停の結果はなんと……という話なわけですが、要するに「さおり」と「夕子」の母娘がどうしようなく似ているんですよ。だからこそ「夕子」の選択とそのための策略に読者はおぞましさを感じるわけです。
夕子にも悪意があるわけじゃないんです。母親を罠に落とそうとしつつもその母親自身が「警察に捕まらない」ようには気を付けるし、妹の「月子」と離ればなれになりたくないと思うのも純粋に姉妹愛からくるものだとは思います。
でもだからこそ、純粋に気持ち悪いんですね。悪意がない分、彼女がやったことが余計に薄気味悪い。
佐原成海はわたしのトロフィーなのだ。
序盤に出てきたこの文章が、後半、もう一度出てきたときは本当にぞわっとしましたね。
姉の得体のしれなさに対して、一方の妹の月子は単純にけなげで可愛らしい存在として描かれてはいます。ただ、その月子も「夕子」の“提案”を受け入れたわけで、やっぱりそこにはグロテスクな欲望みたいなものがあったことを想像するに、なんとも言えない気持ちにさせられます。
後、さおりと夕子は似ていると書きましたが、
これは、さおりの娘たちに対する無償の愛も夕子たちのおぞましい父親への慕情も実は同列なのだ、
とも考えられるんですよね。
きっと「さおり」にも「夕子」にも妹の「月子」にもあるのは“愛”なんです。そしておそらく、父親の「成海」にも。しかし、それゆえに語られる物語はあまりにもおぞましい。
そう、夕子が小学6年生だった夏。
家族四人でお祭りに行ったあの日、さおりが感じた「幸せな夕暮れ」。
それは決して幻想なんかではなかったでしょうし、さぞかし美しい光景だっただろうと思います。
でも同じ日に、成海と夕子は「柘榴」についてある約束をしているのです。
この残酷な構図がそのままこの作品のすべてを語っているような気がします。
『儚い羊たちの祝宴』が楽しめた米澤ファンなら絶対におすすめですね。
そう、この親子はすごく似ているんですよ。
自分の美しさの自覚しているところや欲しいものを得るためにあらゆる策を講じるところなど夕子はかつてのさおりにそっくりなんです。
序盤は母親であるさおりに対して読者は、あまりいい印象を持てないまま話は進んでいきます。でも読み進めていくと、さおりを応援したくなってくるんですね。
父親の「成海」は悪意のある人物ではありません。ただどうしようもない天性の“ダメな大人”として描かれます。ただ、その“ダメ”さはかつてさおりを陥落させたものでもあったわけです。
成海は定職にもつかず、家にも月に数回顔を見せるだけ。たまにくれる生活費はよその女に貢がせたもの。それでも帰ってくるときは娘たちに優しく、良き父親を演じてくれる。
そのわずかな時間の中に辛うじて幸せを感じつつ、さおりは一人で娘二人を一所懸命に育てていきますが、そんな偽りの家族がいつまでも続くはずがありません。長女である夕子が高校受験を控える頃になってようやく「離婚」を決意します。
ところが成海は離婚には同意するものの「親権」を要求してきます。
二人の娘たちも幼いころから父親の“ダメ”なところを見てきています。母親が娘たちを愛し育ててくれたこともよく知っています。普通に考えれば、母親側に「親権」を認めるのが当然ですよね。法律的にも実際に子供と住んでいる母親に圧倒的に有利なはずです。
しかし、裁判所の調停の結果はなんと……という話なわけですが、要するに「さおり」と「夕子」の母娘がどうしようなく似ているんですよ。だからこそ「夕子」の選択とそのための策略に読者はおぞましさを感じるわけです。
夕子にも悪意があるわけじゃないんです。母親を罠に落とそうとしつつもその母親自身が「警察に捕まらない」ようには気を付けるし、妹の「月子」と離ればなれになりたくないと思うのも純粋に姉妹愛からくるものだとは思います。
でもだからこそ、純粋に気持ち悪いんですね。悪意がない分、彼女がやったことが余計に薄気味悪い。
佐原成海はわたしのトロフィーなのだ。
序盤に出てきたこの文章が、後半、もう一度出てきたときは本当にぞわっとしましたね。
姉の得体のしれなさに対して、一方の妹の月子は単純にけなげで可愛らしい存在として描かれてはいます。ただ、その月子も「夕子」の“提案”を受け入れたわけで、やっぱりそこにはグロテスクな欲望みたいなものがあったことを想像するに、なんとも言えない気持ちにさせられます。
後、さおりと夕子は似ていると書きましたが、
これは、さおりの娘たちに対する無償の愛も夕子たちのおぞましい父親への慕情も実は同列なのだ、
とも考えられるんですよね。
きっと「さおり」にも「夕子」にも妹の「月子」にもあるのは“愛”なんです。そしておそらく、父親の「成海」にも。しかし、それゆえに語られる物語はあまりにもおぞましい。
そう、夕子が小学6年生だった夏。
家族四人でお祭りに行ったあの日、さおりが感じた「幸せな夕暮れ」。
それは決して幻想なんかではなかったでしょうし、さぞかし美しい光景だっただろうと思います。
でも同じ日に、成海と夕子は「柘榴」についてある約束をしているのです。
この残酷な構図がそのままこの作品のすべてを語っているような気がします。
『儚い羊たちの祝宴』が楽しめた米澤ファンなら絶対におすすめですね。
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