ドントルックバックの意味~アニメ「ゴールデンタイム」感想の断片まとめ~
今まで3回に渡って、アニメ「ゴールデンタイム」について語ってきましたが、
最後に、個人的な考えをまとめていこうと思います。
なおこれは、一般的な『アニメ作品』としての評価ではありません。あくまで『ゴールデンタイム』としてどうなのかを原作ファン側から観た評価だと考えていただけると幸いです。
※1-6話はこちら、7-12話はこちら、13話-24話はこちら
■なぜアニメは不評だったのか。
その1
多田万里と加賀香子のキャラクターが受け入れられなかった。
その2
『記憶喪失』もしくは『幽霊万里』の設定が視聴者を混乱させた。
ニコニコ動画のコメントやネットでの感想を見てみた限り、
原作未読のアニメ視聴者からの不評はこの2点にほぼ集約されるように思いました。
最後に、個人的な考えをまとめていこうと思います。
なおこれは、一般的な『アニメ作品』としての評価ではありません。あくまで『ゴールデンタイム』としてどうなのかを原作ファン側から観た評価だと考えていただけると幸いです。
※1-6話はこちら、7-12話はこちら、13話-24話はこちら
■なぜアニメは不評だったのか。
その1
多田万里と加賀香子のキャラクターが受け入れられなかった。
その2
『記憶喪失』もしくは『幽霊万里』の設定が視聴者を混乱させた。
ニコニコ動画のコメントやネットでの感想を見てみた限り、
原作未読のアニメ視聴者からの不評はこの2点にほぼ集約されるように思いました。
その1に関しては、アニメの表現方法の問題であると同時に、原作側の問題でもあるんでしょう。
香子はともかく、万里という主人公はとにかく一言では言い表せない性格ですから。
個人的には多田万里という主人公はとらドラ!の竜児よりも感情移入できました。
「かつての自分を、自分ではない何かと思い込みそこから逃げようとする」という設定にすごく共感したんですね。
加賀香子についてはなんでしょうね。感情の起伏が激しいヒロインは今時流行らないんでしょうか……。私にとってマイフェイバリットヒロイン筆頭と言ってもいいくらい好きなので、複雑な気持ちですね。
ただ、原作ファンから言わせてもらえば、アニメ第4~6話の描き方にも大きな原因があったという点は指摘しておきたいところです。
前半で万里が“過去”を恐れる心理や香子の性格をもうちょっと丁寧に描いていたら、後半での彼らの行動ももうちょっと理解されたのではと思うんですね。
その2の『記憶喪失』設定や失われた過去の自分を“幽霊”と描写することについては、実は原作ファンの間でも意見が割れていました。今回は『アニメ』についての考察なので、『原作』の話は割愛いたしますが、作品のテーマが「記憶と自分」である以上、絶対に欠かせないものだろうと個人的には思っています。
これは販促の仕方にも問題があったでしょうね。最初に「とらドラの原作者が新たに送る大学生活ラブコメ!」と強調しすぎた感があります。原作1巻から“幽霊”のモノローグで始まるのですから、フツーのラブコメではないことを、あらかじめことわっておいたほうが、変な期待をさせずに済んだのではないでしょうか。
“幽霊”といえば、アニメでは幽霊万里の描き方にも迷いがあるように見えましたね。
そもそも“幽霊万里”は高校時代と大学生とのふたつの記憶を同時に持っている特殊な自分である、という設定が理解されていないとこの作品はわけがわからなくなるんです。
だからこそ20話以降の「発作」は“3人目の万里”(こう書くとエヴァみたいですが)になるわけですが、その辺がほとんど理解されていなかったのが残念でした。
■まとめ。
さて、そろそろまとめに入りましょうか。
ここまで私が気になったところを箇条書きにしてみましょう。
●はじめに幽霊万里の存在を描写しなかったこと。
●第4話を高速で展開させたこと。
●原作2巻の流れを第5,6話のたった2話分で消化してしまったこと。
●前半で幽霊万里の心情を大きくカットしたこと。特に第7話でいっさい幽霊万里は出さなかったのは大問題。
●第8話でリンダに「答えはNO!」と言わせたこと。
●思わせぶりな次回への“引き”。第7話、もしくは第9話など、こういうことが続くと『肩すかし』感が蓄積されていく。
●第12話で仲直りの“欺瞞”をうまく伝えられなかったこと。不穏な匂いを感じさせずに大団円な空気を演出したこと。
●第18話で“幽霊万里”の消滅をきちんと認識させられなかったこと。
まあ、こんなところでしょうか。
19話以降に関しては、原作側の責任も大きい気がするので割愛。
ただ、19話から21話に相当する原作7巻。
あれは発売当時、多くの原作ファンの中で絶賛されたんですよ。
でもそれは、原作1巻から6巻、および番外と列伝の2冊を全部読んでいることが前提となっているのですね。なので、アニメの流れからではあの展開についていけないのは仕方ないようにも思います。
また最終話のカオスぶり。これに関しては、私も原作8巻を最初に読んだときにも感じましたので、基本的にアニメに罪はないと考えます。
まあ原作は原作でいろいろ問題があるのはわかっているんですよ。個人的には幽霊設定よりも主人公の性格よりも「リンダ」という存在こそが一番の問題だったと思っているのですが……。まあ、ここでは主旨に反しますので言及はさけます。
で、けっきょくのところどうなのか、ですが……
「もともとアニメ向きではない原作だった」
こういう結論にはしたくありません。
なぜなら「氷菓」など、アニメ向きでない作品でも成功した例もあるからです。
ただ、こういう『会話よりも心理描写のほうが多くを占める』ラノベはアニメ作品として昇華させるのは至難の業である、と結論せざるを得ませんね。(ではアニメ「とらドラ!」はなぜ成功したのかは私にはよくわかりません)
竹宮ゆゆこさんの次回作がどうなるのかはわかりませんが、どういう作品になるにせよ、今の作風ではアニメ化は厳しいかもしれませんね。
最後にひとつだけ。
第12話のタイトルが「ドントルックバック」。
一方の原作第4巻のサブタイトルは「裏腹なるドントルックバック」。
そう、アニメでは“裏腹なる”がありません。もちろん、すべて英語表記タイトルで統一したいという主旨からこうなるのはわかります。
それでも、この“裏腹なる”を削ったこと。これが後の13話以降を大きく左右したような気がしてなりません。
香子はともかく、万里という主人公はとにかく一言では言い表せない性格ですから。
個人的には多田万里という主人公はとらドラ!の竜児よりも感情移入できました。
「かつての自分を、自分ではない何かと思い込みそこから逃げようとする」という設定にすごく共感したんですね。
加賀香子についてはなんでしょうね。感情の起伏が激しいヒロインは今時流行らないんでしょうか……。私にとってマイフェイバリットヒロイン筆頭と言ってもいいくらい好きなので、複雑な気持ちですね。
ただ、原作ファンから言わせてもらえば、アニメ第4~6話の描き方にも大きな原因があったという点は指摘しておきたいところです。
前半で万里が“過去”を恐れる心理や香子の性格をもうちょっと丁寧に描いていたら、後半での彼らの行動ももうちょっと理解されたのではと思うんですね。
その2の『記憶喪失』設定や失われた過去の自分を“幽霊”と描写することについては、実は原作ファンの間でも意見が割れていました。今回は『アニメ』についての考察なので、『原作』の話は割愛いたしますが、作品のテーマが「記憶と自分」である以上、絶対に欠かせないものだろうと個人的には思っています。
これは販促の仕方にも問題があったでしょうね。最初に「とらドラの原作者が新たに送る大学生活ラブコメ!」と強調しすぎた感があります。原作1巻から“幽霊”のモノローグで始まるのですから、フツーのラブコメではないことを、あらかじめことわっておいたほうが、変な期待をさせずに済んだのではないでしょうか。
“幽霊”といえば、アニメでは幽霊万里の描き方にも迷いがあるように見えましたね。
そもそも“幽霊万里”は高校時代と大学生とのふたつの記憶を同時に持っている特殊な自分である、という設定が理解されていないとこの作品はわけがわからなくなるんです。
だからこそ20話以降の「発作」は“3人目の万里”(こう書くとエヴァみたいですが)になるわけですが、その辺がほとんど理解されていなかったのが残念でした。
■まとめ。
さて、そろそろまとめに入りましょうか。
ここまで私が気になったところを箇条書きにしてみましょう。
●はじめに幽霊万里の存在を描写しなかったこと。
●第4話を高速で展開させたこと。
●原作2巻の流れを第5,6話のたった2話分で消化してしまったこと。
●前半で幽霊万里の心情を大きくカットしたこと。特に第7話でいっさい幽霊万里は出さなかったのは大問題。
●第8話でリンダに「答えはNO!」と言わせたこと。
●思わせぶりな次回への“引き”。第7話、もしくは第9話など、こういうことが続くと『肩すかし』感が蓄積されていく。
●第12話で仲直りの“欺瞞”をうまく伝えられなかったこと。不穏な匂いを感じさせずに大団円な空気を演出したこと。
●第18話で“幽霊万里”の消滅をきちんと認識させられなかったこと。
まあ、こんなところでしょうか。
19話以降に関しては、原作側の責任も大きい気がするので割愛。
ただ、19話から21話に相当する原作7巻。
あれは発売当時、多くの原作ファンの中で絶賛されたんですよ。
でもそれは、原作1巻から6巻、および番外と列伝の2冊を全部読んでいることが前提となっているのですね。なので、アニメの流れからではあの展開についていけないのは仕方ないようにも思います。
また最終話のカオスぶり。これに関しては、私も原作8巻を最初に読んだときにも感じましたので、基本的にアニメに罪はないと考えます。
まあ原作は原作でいろいろ問題があるのはわかっているんですよ。個人的には幽霊設定よりも主人公の性格よりも「リンダ」という存在こそが一番の問題だったと思っているのですが……。まあ、ここでは主旨に反しますので言及はさけます。
で、けっきょくのところどうなのか、ですが……
「もともとアニメ向きではない原作だった」
こういう結論にはしたくありません。
なぜなら「氷菓」など、アニメ向きでない作品でも成功した例もあるからです。
ただ、こういう『会話よりも心理描写のほうが多くを占める』ラノベはアニメ作品として昇華させるのは至難の業である、と結論せざるを得ませんね。(ではアニメ「とらドラ!」はなぜ成功したのかは私にはよくわかりません)
竹宮ゆゆこさんの次回作がどうなるのかはわかりませんが、どういう作品になるにせよ、今の作風ではアニメ化は厳しいかもしれませんね。
最後にひとつだけ。
第12話のタイトルが「ドントルックバック」。
一方の原作第4巻のサブタイトルは「裏腹なるドントルックバック」。
そう、アニメでは“裏腹なる”がありません。もちろん、すべて英語表記タイトルで統一したいという主旨からこうなるのはわかります。
それでも、この“裏腹なる”を削ったこと。これが後の13話以降を大きく左右したような気がしてなりません。
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