アニメ監獄学園を創った男たち2&3〜監獄学園TVドラマ化に際して気になること〜
ヤングマガジンにて3週連続掲載の「アニメ監獄学園を創った男たち」。
その名のとおり、アニメ「監獄学園」の制作秘話を似非ドキュメンタリー風に綴った宣伝マンガです。
(第1回目の感想はこちら)
前回の2回目は企画会議の話でした。
要は、なるべく無難なものにしようとする講談社側に対して、無難なものでは水島監督を担いだ意味がない、やりすぎ漫画だからこそやりすぎ監督なのだ、というアニメ制作側の意見が通った、ということのようです。
正直、大した情報はなかったですが、漫画としては楽しめました。
ただ、マンガ側よりもアニメ側のほうがやる気だった、というのはちょっと意外でしたね。
(まあこれは真偽あやしい気もしますけどね)
で、今週発売のNo.37/38合併号にてその3回目が載っています。
主人公のキヨシ役に「神谷浩史」(※)に頼もうとする水島監督。
(※なんでもアジアナンバー1との評される声優界のプリンスだそうです)
有能である以上にクレイジーでもある水島を恐れる神谷は、その依頼をいったんは断るが、
水島はそんな神谷に原作漫画「監獄学園 プリズンスクール」だけを置いていく。
あの水島が作るアニメの原作とは……
気になる神谷はそのマンガをそっと手に取る……
……て、よりによって、なんつー場面を引用しているんだw
しかし、なるほど、キヨシ役の神谷さんは、水島さんから勧められてはじめてこのマンガを知ったのですね。
きっと、びっくりしただろうなあw
ていうか、
マスターもハマっているようなんですがw
で、その結果、どうなったかというと、
まさに「おまえは何を言っているんだ」状態ですねw
というわけで、なんだかよくわかりませんが、神谷さんは水島監督の策略にまんまと嵌められたわけです。
もっとも、そんなクレイジー水島の依頼を快諾した神谷さんもさすがに、
「……まぁ OVAなら多少無茶しても大丈夫だろう」
と思っていたんですけどねw
まぁ私も絶対にそうだと思っていたからなあ…
というわけで、今回で「アニメ監獄学園を創った男たち」は終了となったわけですが、
最後になんやら気になることが書いてあります。
「次回掲載は未定だけど、今後もちょくちょく載せてくつもりだ」!??
さてこれ以上、なにをやるつもりなんでしょう? まだ何か隠し球があるのでしょうか?
その答えが先週発売になったコミックス18巻の帯にありました。
すでにネットニュースにもなっていたようですが、どうやら秋より実写ドラマ化するようです。
なるほど、どうやら10月以降は、この“どうかしている”「実写化」ネタでひっぱっていくんですね。
ていうか、今週YMの「監獄学園」本編後にもカラーページで思いっきり特報として載っていました。
監督は井口昇氏。
恥ずかしながらこの方の名前も初めて知ったのですが、経歴やそれまでの作品を見る限り、どうやらかなりのツワモノのようですね。
特報にあるマンガ「監獄学園」への評価もなかなか的確で、少なくとも「ぬるい」感じでお茶を濁すような人ではないように思えます。
これならアニメ同様、意外といいものができるかもしれません。
…ただ、どうも気になるんですよね。
いえ、監督に対してではなく、YM編集部に対してなんですけど、
なんだか「やりすぎればいい」と思っていないか?…と。
この次号への予告でもコピーに
「やりすぎ。絶対にやりすぎ。」
とありますが、
正直ここまで煽ってくると、ちょっと白けてしまう気持ちもなくもないんです。
受け手側が「これはやりすぎだぜ!」とかいうならともかく、
作り手が自ら「やりすぎ」を売りにするってどうよ?と思ってしまうんですね。
話は少し変わりますが、
かつて、「涼宮ハルヒの憂鬱」という深夜アニメがありました。
それは、第1話にいきなり何の説明もなく、登場人物たちが自主制作した映画をそのまま放映したり、
その後も時系列をバラバラにシャッフルして放映するなど、
あまりにアバンギャルドな内容で、またたく間に話題の中心になりました。
その手法自体は正しかったと思います。私もそれでアニメやライトノベルに興味を持ちましたし、
何より、「ハルヒ」という極めてヘンテコな作品を表現するのに、それは有効な手段だったからです。
ただ、この後、「涼宮ハルヒの憂鬱」のスタッフは勘違いしてしまうんですね。
アニメ第2期決定という情報をいったん流したかと思いきや、
突然、アニメ第2期改め新アニメ化決定、とファンを混乱するかのような発表をして、
1期の内容を時系列に並べ、それに新作を加えていくという変則的なシリーズを始めるのです。
それだけならまだしも、「エンドレスエイト」というエピソードにおいて、視聴者そっちのけの暴挙にでます。
なんと、ほぼ同じ内容のものを8週連続で放映したのです。
当時のネットの荒れ具合、混乱ぶりは今でもよく覚えていますね。
私は「涼宮ハルヒ」シリーズの大ファンでしたが、さすがにこれは擁護できませんでした。
いくら、毎回アフレコを取り直していようと、その演出が長門有希というキャラクターの想いを表していようとも、
おなじものを何度も見せられる視聴者のことを考えているとはとても思えなかったからです。
要するに、「意表をつく」こと自体が目的化してしまったんですね。
当初は視聴者を楽しませるための手段だったはずの「意表をつく」という方法論にこだわり過ぎてしまったんです。
アニメ2期が期待されている、1期以上の“仕掛け”でもっと話題を呼び込もう!と変に気負ってしまった。
杞憂だったらいいのですが、、今回の「監獄学園」でも同じような匂いを感じるんですよ。
「やりすぎる」ことがウケたことで勘違いするんじゃないかって。
「やりすぎる」のはあくまでも原作のナンセンスでサスペンスな面白さを最大限に引き出すための“手段”です。
決して、それ自体が目的ではないはずです。
「監獄学園 プリズンスクール」という漫画は“やりすぎ”ているだけでウケているわけではないんですよ。
確かに妥協はありません。でもそれは、暴走すればするほどいい、という短絡的な発想ではないんです。
アメコミや映画を意識した緻密で計算されつくした絵柄と構図。
緊張感が読む側にも伝染してきそうな手に汗握るサスペンス展開。
それらはすべて、バカバカしいエロギャグのために昇華されるわけです。
通常のギャグマンガのレベルでは考えられないクオリティだからこそ、よりくだらなさが際立つ。
そのための“やりすぎ”なんです。
エロ方面の“やりすぎ”でもそれは同じです。
たとえば、18巻ではキヨシと花の「ウロボロス」が繰り広げられるわけですが、
これは、単に一般マンガとしてあるまじき過激なネタだからやったわけではありません。
あれは、その後のメデューサ(笑)とキヨシのやり取りのためのネタ振りです。
あのキヨシと花の純情をはき違えたような論点がずれた勘違い会話のために「ウロボロス」という舞台設定が必要だったわけで、
決してはじめに「ウロボロス」ありきのエロではないのです。
そこを間違えると、単なる下品なエロマンガで終始してしまいます。
二人が行ったそのあまりに過激な行為も、キヨシが花に問いかけるあのどうでもいいポエム(笑)、
そして最後に花がキヨシにしたあのあまりに乙女チックな“答え”とのギャップに対して笑えるわけです。
全力で「やりすぎる」ことは必要ですが、それはあくまで、くだらない馬鹿馬鹿しさとの対比で笑わせるためであって、
それ自体が目的化してしまうと、この作品の本質を見失います。
アニメのほうは、その辺の構造をきちんと理解して作っていると思いますが、果たして、YM編集部がどれだけわかっているのか……
TVドラマがどこまで原作のテイストを実写に落とし込んでくれるかはわかりませんが、
“地上波の限界”に挑戦するためだけの実験台にはならないようにしてもらいたいものです。
(もちろん、無難なものでごまかされるのもいやですけどね)
その名のとおり、アニメ「監獄学園」の制作秘話を似非ドキュメンタリー風に綴った宣伝マンガです。
(第1回目の感想はこちら)
前回の2回目は企画会議の話でした。
要は、なるべく無難なものにしようとする講談社側に対して、無難なものでは水島監督を担いだ意味がない、やりすぎ漫画だからこそやりすぎ監督なのだ、というアニメ制作側の意見が通った、ということのようです。

正直、大した情報はなかったですが、漫画としては楽しめました。
ただ、マンガ側よりもアニメ側のほうがやる気だった、というのはちょっと意外でしたね。
(まあこれは真偽あやしい気もしますけどね)
で、今週発売のNo.37/38合併号にてその3回目が載っています。
主人公のキヨシ役に「神谷浩史」(※)に頼もうとする水島監督。
(※なんでもアジアナンバー1との評される声優界のプリンスだそうです)
有能である以上にクレイジーでもある水島を恐れる神谷は、その依頼をいったんは断るが、
水島はそんな神谷に原作漫画「監獄学園 プリズンスクール」だけを置いていく。
あの水島が作るアニメの原作とは……
気になる神谷はそのマンガをそっと手に取る……

……て、よりによって、なんつー場面を引用しているんだw
しかし、なるほど、キヨシ役の神谷さんは、水島さんから勧められてはじめてこのマンガを知ったのですね。
きっと、びっくりしただろうなあw
ていうか、

マスターもハマっているようなんですがw
で、その結果、どうなったかというと、

まさに「おまえは何を言っているんだ」状態ですねw
というわけで、なんだかよくわかりませんが、神谷さんは水島監督の策略にまんまと嵌められたわけです。
もっとも、そんなクレイジー水島の依頼を快諾した神谷さんもさすがに、

「……まぁ OVAなら多少無茶しても大丈夫だろう」
と思っていたんですけどねw
まぁ私も絶対にそうだと思っていたからなあ…
というわけで、今回で「アニメ監獄学園を創った男たち」は終了となったわけですが、
最後になんやら気になることが書いてあります。
「次回掲載は未定だけど、今後もちょくちょく載せてくつもりだ」!??
さてこれ以上、なにをやるつもりなんでしょう? まだ何か隠し球があるのでしょうか?
その答えが先週発売になったコミックス18巻の帯にありました。

すでにネットニュースにもなっていたようですが、どうやら秋より実写ドラマ化するようです。
なるほど、どうやら10月以降は、この“どうかしている”「実写化」ネタでひっぱっていくんですね。
ていうか、今週YMの「監獄学園」本編後にもカラーページで思いっきり特報として載っていました。

監督は井口昇氏。
恥ずかしながらこの方の名前も初めて知ったのですが、経歴やそれまでの作品を見る限り、どうやらかなりのツワモノのようですね。
特報にあるマンガ「監獄学園」への評価もなかなか的確で、少なくとも「ぬるい」感じでお茶を濁すような人ではないように思えます。
これならアニメ同様、意外といいものができるかもしれません。
…ただ、どうも気になるんですよね。
いえ、監督に対してではなく、YM編集部に対してなんですけど、
なんだか「やりすぎればいい」と思っていないか?…と。

この次号への予告でもコピーに
「やりすぎ。絶対にやりすぎ。」
とありますが、
正直ここまで煽ってくると、ちょっと白けてしまう気持ちもなくもないんです。
受け手側が「これはやりすぎだぜ!」とかいうならともかく、
作り手が自ら「やりすぎ」を売りにするってどうよ?と思ってしまうんですね。
話は少し変わりますが、
かつて、「涼宮ハルヒの憂鬱」という深夜アニメがありました。
それは、第1話にいきなり何の説明もなく、登場人物たちが自主制作した映画をそのまま放映したり、
その後も時系列をバラバラにシャッフルして放映するなど、
あまりにアバンギャルドな内容で、またたく間に話題の中心になりました。
その手法自体は正しかったと思います。私もそれでアニメやライトノベルに興味を持ちましたし、
何より、「ハルヒ」という極めてヘンテコな作品を表現するのに、それは有効な手段だったからです。
ただ、この後、「涼宮ハルヒの憂鬱」のスタッフは勘違いしてしまうんですね。
アニメ第2期決定という情報をいったん流したかと思いきや、
突然、アニメ第2期改め新アニメ化決定、とファンを混乱するかのような発表をして、
1期の内容を時系列に並べ、それに新作を加えていくという変則的なシリーズを始めるのです。
それだけならまだしも、「エンドレスエイト」というエピソードにおいて、視聴者そっちのけの暴挙にでます。
なんと、ほぼ同じ内容のものを8週連続で放映したのです。
当時のネットの荒れ具合、混乱ぶりは今でもよく覚えていますね。
私は「涼宮ハルヒ」シリーズの大ファンでしたが、さすがにこれは擁護できませんでした。
いくら、毎回アフレコを取り直していようと、その演出が長門有希というキャラクターの想いを表していようとも、
おなじものを何度も見せられる視聴者のことを考えているとはとても思えなかったからです。
要するに、「意表をつく」こと自体が目的化してしまったんですね。
当初は視聴者を楽しませるための手段だったはずの「意表をつく」という方法論にこだわり過ぎてしまったんです。
アニメ2期が期待されている、1期以上の“仕掛け”でもっと話題を呼び込もう!と変に気負ってしまった。
杞憂だったらいいのですが、、今回の「監獄学園」でも同じような匂いを感じるんですよ。
「やりすぎる」ことがウケたことで勘違いするんじゃないかって。
「やりすぎる」のはあくまでも原作のナンセンスでサスペンスな面白さを最大限に引き出すための“手段”です。
決して、それ自体が目的ではないはずです。
「監獄学園 プリズンスクール」という漫画は“やりすぎ”ているだけでウケているわけではないんですよ。
確かに妥協はありません。でもそれは、暴走すればするほどいい、という短絡的な発想ではないんです。
アメコミや映画を意識した緻密で計算されつくした絵柄と構図。
緊張感が読む側にも伝染してきそうな手に汗握るサスペンス展開。
それらはすべて、バカバカしいエロギャグのために昇華されるわけです。
通常のギャグマンガのレベルでは考えられないクオリティだからこそ、よりくだらなさが際立つ。
そのための“やりすぎ”なんです。
エロ方面の“やりすぎ”でもそれは同じです。
たとえば、18巻ではキヨシと花の「ウロボロス」が繰り広げられるわけですが、
これは、単に一般マンガとしてあるまじき過激なネタだからやったわけではありません。
あれは、その後のメデューサ(笑)とキヨシのやり取りのためのネタ振りです。
あのキヨシと花の純情をはき違えたような論点がずれた勘違い会話のために「ウロボロス」という舞台設定が必要だったわけで、
決してはじめに「ウロボロス」ありきのエロではないのです。
そこを間違えると、単なる下品なエロマンガで終始してしまいます。
二人が行ったそのあまりに過激な行為も、キヨシが花に問いかけるあのどうでもいいポエム(笑)、
そして最後に花がキヨシにしたあのあまりに乙女チックな“答え”とのギャップに対して笑えるわけです。
全力で「やりすぎる」ことは必要ですが、それはあくまで、くだらない馬鹿馬鹿しさとの対比で笑わせるためであって、
それ自体が目的化してしまうと、この作品の本質を見失います。
アニメのほうは、その辺の構造をきちんと理解して作っていると思いますが、果たして、YM編集部がどれだけわかっているのか……
TVドラマがどこまで原作のテイストを実写に落とし込んでくれるかはわかりませんが、
“地上波の限界”に挑戦するためだけの実験台にはならないようにしてもらいたいものです。
(もちろん、無難なものでごまかされるのもいやですけどね)
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tag : 監獄学園