やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11 感想 ~逸らした視線は、いずれ前に戻さなければならない~
※TVアニメ12話および13話も含め、ネタバレが前提となっています。
読み終えた後、(まるで今回のヒッキーのように)何か違和感があったのですが、
どうもそれがはっきりとしないせいで、なかなか感想がまとまらないでいました。
で、先日、アニメの12話から13話を見直し、アニメ13話の感想(11巻への覚書)などを確認し直して、ようやくその正体が見えてきました。
要するに今回、比企谷は何もしていないんですね。
ずっと傍観者的な立場で状況を眺めていただけなんです。
今まで比企谷八幡という男は、持ち込まれた依頼に対して斜め上な解決方法を提示しつつも、必ずそれに基づいて自ら行動していました。
これは1巻から10巻まで例外なく、です。(番外編や短編集を除く)
今回、具体的な依頼というのは、しょっぱなの三浦や川崎さんの「手作りチョコ」の件です。
この相談に対して比企谷は、一応彼らしい提案はしますが、それ以降は一色いろはに任せっきりです。6巻や7巻のように自己犠牲?的行動もとりませんし、8巻や9巻のように誰かを頼るようなこともしません。ましてや10巻のような行動力は皆無といってもいいでしょう。
アニメ12、13話の感想では「由比ヶ浜結衣」回だったと書きましたが、
つまりは主人公が動いていなかったから、
唯一行動していたガハマさんが目立ったということなのかもしれません。
この辺はやっぱり、アニメとラノベの違いでしょうか。
アニメだとガハマさんの表情や仕草なんかもストレートに入ってきますが、
ラノベは主人公の主観的一人称語りですから、どうしてもガハマさんの言動も比企谷というフィルターを通してになってしまうんですよね。
じゃあそれをヒッキーはどう見たか、といった視点で物語を見てしまうんですよ。
すると、いろいろ悩んではいるけど、けっきょくそれだけで終わっていることに気づいてしまうわけです。
ではなぜ、彼はここまで何もしなかったのでしょうか。もしくは出来なかったのでしょうか。
●今回は「依頼編」
まあ簡単にいってしまえば、今回は「依頼編」なんですね。
次の12巻がおそらく「解決編」。(そして、おそらくシリーズ最終巻)
つまり、冒頭のバレンタイン編の「依頼」ではなくって、
葛西臨海公園での「あたしたちの最後の依頼」こそが、11巻本来の「依頼」なんです。
比企谷の「斜め上な解決方法」と行動は次巻で繰り広げられるはずです。
上巻下巻の上巻なんですよ、これ。だからなんだかもやもやするんです。
あと読んでいて驚いたのですが、
アニメ12話(バレンタインイベント編)に値する部分は、実に224ページまであるんですね。
当然、アニメでは相当分カットされています。
それにひきかえ、アニメ最終話に相当する部分は本文225ページから319ページまで。
細かい描写はさておき、基本アニメの流れとほぼそのままと言っていいでしょう。
これはどういうことかというと、つまりは、本題は225ページから、ということなのではないでしょうか。
だからアニメも225ページ以降の「三人デート」編に重点を置いた結果、ああいった構成となったと思うんです。
●暖かいはずなのに「うすら寒い」
葉山は誠実に、求められる葉山隼人らしくあって、三浦も三浦で少しずつその距離を詰めようとしている。戸部と海老名さんはまぁ、いつも通りといえばいつも通りだが、いくつかの時間の経過を経て、あの二人らしい空気感をちゃんと作っていた。(本文16ページより引用)
冒頭の葉山グループがチョコについて話しているシーン。
アニメではほとんどわかりませんでしたが、この時比企谷は彼らをずっと観察しているんですよね。
まあ、一人称文体というのは、主人公が見たり聞いたりしたものしか描写できないのですから当たり前なんですが、それにしても、よく見ています。
まるで、何かを確かめるように。
でもいったい何を確認したかったのでしょう。
そこにはれっきとしたぬくもりがあるのに、どこかでうすら寒いと感じてしまう。(本文18ページより引用)
以前のような断絶はなく、穏やかで暖かな時間。
何も問題ないはずなのになぜかそれを「うすら寒い」と感じてしまう。
彼はそれを「違和感」と名付けていましたが、
その「うすら寒さ」の正体を見極めたいがために、今回状況を観察することに徹していたのかなあという気がしましたね。
●変わってしまったことを確認したい比企谷
比企谷は今回なにかにつけ、些細な変化を見つけようとしています。
海老名さんと戸部の関係を妙に気にしたり、一色いろはの成長に寂しく感じたり。
だいたいは「今」と「過去」とに想いを馳せて感傷的になっているだけなんですが、
それは単に移ろいでいく時を惜しむというよりも、前とは変わってしまったことを“確認”しようとしているように思えるんですね。
そうして三人残されると、先ほど感じた懐かしさがより実感できた。
けれど、懐かしいと感じるのは、たぶんいろんなものが変わってしまったからだ。いずこかで同一性を失ってしまったから。二度と同じものを手にすることがないとわかっているから。
だから、懐かしい。(本文101ページより引用)
アニメでは描かれなかった、第3章「思いがけず、一色いろはの不在がもたらすものは」での比企谷の独白。
ここで、彼は「より実感できた」と言っています。
懐かしさを実感することで、変わってしまったことを確認したいわけです。
●葉山の言う「みんな」
「これならみんな……、みんな自然に振る舞える」
(中略)
葉山の言うみんな。
それが誰を指すのか、誰をもってして、みんなと呼びならわしているのか。薄々気づきながら、俺は葉山から目を逸らし、えぐい苦みの缶コーヒーを飲み下す。(本文173ページより引用)
さて、葉山の言う「みんな」とはなんでしょう。
実は、アニメでは描写されませんでしたが、葉山はこのセリフの後、
まず三浦や一色を眺め、さらに由比ヶ浜と雪ノ下に視線を送ってからゆっくりと比企谷へと視線を戻しているんですね。
要するに葉山は、自分と三浦・一色の関係と、比企谷と雪ノ下・由比ヶ浜の関係とを、なぞってああ言ったわけです。
実は「みんな」とは、たった二人の女の子を指していたのですね。
“俺は決めたぞ。比企谷、お前はどうするんだ。お前も俺みたいに「選ばない」ことを選ぶつもりか?”
葉山は暗にこう言いたかったのではないでしょうか。
教室などで、比企谷が葉山たちの関係をずっと観察していたのにも気づいていたのかもしれません。
比企谷は自分の「違和感」をどう受け止めていいかわからずに、無意識のうちに葉山や戸部たちに「答え」を見出そうとしていました。
そんな彼に葉山は、皮肉半分に「よく考えたな」と言ったのでしょう。
でも、比企谷はそれに気づいていながら、目を逸らし、苦味とともに飲み下してしまうのです。
●「比企谷八幡」を恐れる比企谷
葉山からの「ブラックコーヒー」を飲み下した後、
彼はわざわざ「楽しいなぁ」と呟いたりまでして、なんとか「違和感」から逃れようとします。
しかし、そんな彼を見逃してはくれない人がいました。
その人の名は雪ノ下陽乃。
その名のごとく、白日の下に曝け出す人です。
「それが比企谷くんのいう本物?」
(中略)
陽乃さんの声音は冷たさと、同時に、純粋さがあった。
本当にわからないとでも言うような、まるで理解できないとそう告白するような響きは俺を突き放すようだった。(本文212ページより引用)
ここでの陽乃さんは、いつものような嗜虐的なものはありません。
それは比企谷の目から見ても「純粋」と映るくらいに、真摯な問いかけでした。
そして彼もその問いに共感してしまいます。
こんなものが本物であり得るはずがないと。
(中略)
考えないようにしていたことを、雪ノ下陽乃は突きつけるのだ。
それは信頼などではない。もっとひどい、おぞましい何かだと。(本文214ページより引用)
私はアニメ12話の感想のときに、「陽乃さんが「本物」問題を追及してくるのは違和感がある、あそこはいろはじゃないのか」と書きましたが、
ここまで読んで、なんとなくその理由がわかった気がしました。
ふとした瞬間に意識してしまう、今までとは明確に違う何か。誰かと接するたびに、ふと内側から湧いて出てきて、自分に問いかけてくる。それは正しいのかと。(本文187ページより引用)
だって、過去の俺が言うのだ。以前の比企谷八幡がずっと吠えるのだ。
それでいいのかと。それがお前の望みなのかと。そんなものが比企谷八幡なのかと。(本文223ページより引用)
要するに、この時の雪ノ下陽乃とは「過去の俺」なんですね。もしくは「内側からの問いかけ」。
彼は「雪ノ下陽乃」を恐れているわけではないんです。
かつての「比企谷八幡」を恐れているのです。
だからこそ、奉仕部の“今”を見ている一色いろはではなく、かつての“比企谷八幡”を知っている雪ノ下陽乃ではなければならなかったのですね。
では、なぜ彼はかつての自分を恐れているのでしょう?
●由比ヶ浜に対してどこか卑屈な比企谷
11巻でのヒッキーは、常にガハマさんの顔色をうかがっていたような印象があります。
でも、それは“恋愛的な感情”というより、もっと違う何かのように思えるんですよ。
例えば、冒頭で「暇な日ってあるか?」と誘ったときも、
ガハマさんの沈んだ表情を少し意外と思ったり、彼女の返事に戸惑ったりしてもいるんですよね。
「ちょっと考える、またあとでね!」
「……あ、ああ」
安堵か、あるいは脱力か。もしくはもっと違う何か。(本文21ページより引用)
この辺りはどうも、由比ヶ浜は自分の誘いに喜ぶに違いないという「自惚れ」的な匂いも感じてしまうわけですが、それよりも自分で誘っておいて「安堵」ってすごいですよね。
ちゃんと踏み込まなきゃ、という義務感のみで誘ったかのようなニュアンスに、少し不遜な面を感じてしまうわけです。
また、バレンタインイベントにて、ゆきのんが姉の言葉に動揺して、ボウルを落としてしまったとき。ヒッキーもゆきのんもうまくボウルを掴めない中で、ガハマさんがひょいと拾い上げるわけですが……。
「ふふん、ゆきのんもまだまだだね。あたしはボウルとか調理器具の扱いは完璧だから」
そう言ってにっこりと笑う姿に思わず安堵の息が漏れる。ずっと胸につかえていた何かが溶け出して、憎まれ口がこぼれでた。おかげでようやく立ち上がれる。(本文184ページより引用)
ここでヒッキーは、ガハマさんのにっこりと笑う姿にまず安堵します。ずっと胸につかえていた何かが溶け出して憎まれ口がこぼれでた、とまで言う始末です。
いったい、彼は何に安堵していたのでしょうか。ずっと胸につかえていた何かとはなんなんだったのでしょうか。
どうも彼には、ガハマさんに対しての何か、「後ろめたさ」みたいなものがあるように感じるんですね。
ゆきのんが手作りクッキーをガハマさんに差し出したときもそうです。
由比ヶ浜は声音も視線もいつも通り、気を遣っておっかなびっくり聞いているというふうだったのに、ただ手元が、膝に置かれた左手がきゅっとスカートを握りしめている。それを見てしまったとき、言葉が詰まってうまくでてこなかった。(本文232ページより引用)
アニメではゆきのんが自分にクッキーを用意しているかどうかを意識しているように見えましたが、ここではゆきのんにというより、むしろガハマさんの「あたしのだけ?」「ヒッキーのは?」という問いかけに対して反応しているようです。
とにかく11巻でのヒッキーは、ガハマさんに対してどこか卑屈に見えてしょうがないんです。
●「比企谷八幡」は彼を許さない
きっと彼は自分が今、由比ヶ浜結衣に対してすごく残酷なことをしていることに気づき始めているんでしょう。
だから、その罪悪感からなんとか目を逸らそうとしているんです。
でも、かつての「比企谷八幡」は彼を許しません。
どこまでも優しい由比ヶ浜は、たぶん最後まで優しい。真実は残酷だというなら、きっと嘘は優しいのだろう。
だから、優しさは嘘だ。(2巻 本文258ページより引用)
かつて、彼はこういう考えに基づいて、由比ヶ浜結衣の気持ちをはねつけました。
いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。
だから、いつまでも、優しい女の子は嫌いだ。(2巻 本文260ページより引用)
中学時代、折本かおりに期待して勘違いして、希望を捨てた結果、彼は「優しい女の子は嫌いだ」と“欺瞞”を拒否したはずです。その結果、「本物」を求めたはずなのです。
ところが彼が今、由比ヶ浜結衣に対して、
あの頃の折本かおりと同じようなことをやっているんです。
彼女の「優しさ」に甘え、後ろめたい気持ちを隠しながら。
だから、自らデートに誘っても曖昧な答えに対して「安堵」してしまう。
また、身の内から俺を苛む声がする。
そんなものが比企谷八幡か。そんなものが貴様の願ったものか。(本文261ページより引用)
そりゃ、自分を許せませんよね。
だって、今の比企谷は「優しい男の子」に成り下がってしまっているのですから。
●由比ヶ浜結衣は目を逸らさずに即答した
ガハマさんはヒッキーのそんな「後ろめたさ」に気づいたのではないでしょうか。
だからこそ、葛西臨海公園での「三人デート」のときのヒッキーの問いかけに迷いがなかったのです。
「……ここで、いいのか?」
「ここがいいの」
由比ヶ浜は即答した。目を逸らすことなく、まっすぐに、ともすれば切迫したような表情で。(本文274ページより引用)
ここのガハマさんは本当にかっこいいですね。
ヒッキーがガハマさんの顔を直視できず、少し目をそらしつつ絞り出すようにしてこの問いかけを口にしたのと比べ、えらい違いです。
ヒッキーから目を逸らさずにはっきりと、「ここがいいの」と返した由比ヶ浜結衣。
そこにはもはや、一寸の迷いもないように思えます。
でもいったい、何が彼女をそこまで追い込んだのでしょうか。
大好きなゆきのんへの遠慮? もしくはヒッキーもゆきのんも実は両思いで自分が入り込む隙などないことに気付いてしまったから?
私にはどれも違う気がするんですね。
彼女は比企谷八幡の「優しい嘘」、もしくは「欺瞞」に気付いてしまったんですよ。
で、そんな彼を見ることがもう耐え切れなくなってしまったのではないかと、邪推してしまうわけです。
●由比ヶ浜結衣は試していた
俺と彼女の願いは目に見えない。けれど、たぶんその形はほんの少しずれていて、ぴったりと重なりはしないだろう。
だからといって、それが一つのものにならないとは限らない。(本文317ページより引用)
それはぼんやりとして頼りなく、歪な形は輪郭も判然としない。
けれど確かに結ばれて、ちゃんと一つになっている。(本文319ページより引用)
この「結ばれて」という言葉。
もしくは11巻最後の章の「春は、降り積もる雪の下にて結われ、芽吹き始める。」というタイトル。
これらはどうしてもガハマさんの「結衣」という名前をイメージさせてしまいます。
となると、最終的にガハマさんは縁を結ぶ、“キューピット”役的な立場になってしまうのでしょうか?
私はガハマさん派でもゆきのん派でもありません。
どちらかがヒッキーとくっついてもくっつかなくても、それ自体はどっちでも構わないと思っています。
ただ、ガハマさんの「答え」が彼女の本心なのかが、どうもよくわからないんですよね。
要するに「泣いた赤鬼」の青鬼ポジを疑ってしまうんです。
観覧車シーンでの彼女の
「……もうすぐ、終わりだね」
というセリフ。
これから考えても、どうも彼女は自分の「答え」が、最初からヒッキーに却下されることを想定していたように思えます。
「ヒッキーならそう言うと思った」という言葉が負け惜しみには聞こえないんです。
だって、比企谷が由比ヶ浜の「提案」をただの欺瞞だと否定したとき、
ゆきのんは驚き、動揺を隠せなかったのに、
ガハマさんは凛とした眼差しでまっすぐ見つめ、小さく頷いていてすらいるんですよ?
雪ノ下は潤んだ瞳で口元をわななかせ、由比ヶ浜は暖かな瞳で小さく頷いて、言葉を待ってくれている。(本文316ページより引用)
アニメではガハマさんの眼差しはゆきのんを“試している”ように見えましたが、
こうして文章で読むと、むしろヒッキーを試していたように思えるんですね。
アニメ12話の最終話予告は、由比ヶ浜結衣の独白でした。
それは最後にこの言葉で結ばれます。
「本当は、嘘でもいいのに」
原作を一通り読み終えた後、再びこの予告を見ていて、思わず
「あ!」
と叫んでしまいました。
そして、そのあまりの切なさに思わず目頭が熱くなることを堪えることができませんでした。
彼女は、自分の「欺瞞」の答えを、ヒッキーなら否定してくれると信じていました。
またそんなヒッキーだからこそ、彼女は好きになったのでしょう。
でも。それでも。
嘘でもいいから、と思ってしまう。
由比ヶ浜結衣は、自分の「答え」がヒッキーによって「ただの欺瞞だろ」と言われたとき、
きっと誰よりも嬉しかったはずです。でも同時に誰よりも悲しかったのです。
●最後の依頼
11巻では、1巻のときの奉仕部が最初に受けた「相談」のことが再び語られます。
そう、由比ヶ浜結衣の“手作りクッキー”の件ですね。
「うる星やつら」や「奇面組」などを例に挙げるまでもなく、最終回が近くなると原点回帰というか、物語当初の話がもう一度取り上げられるパターンは、もう定番中の定番ですが、
「俺ガイル」という作品も例外ではありませんでした。
もうずいぶんと前の季節のことだ。
――手作りか。(本文15ページより引用)
冒頭で“手作り”というキーワードに遠い昔を思い出す比企谷。
「構わないわ。味見して意見をくれれば」
その言葉はいつだか聞いたことがあった。けれど、あの時とは声音もトーンも違う。
隣に座る由比ヶ浜も何か思い出して忍び笑いを漏らした。(本文73ページより引用)
部室に入り浸っている一色いろはでも決して共有できない、三人だけの記憶。
ところどころで、彼らはあの時の依頼のことを思い出します。
そして、ラスト、「あの時のお礼」の場面。
由比ヶ浜は言います。
「あたしたちの最後の依頼はあたしたち」だと。
最後の依頼。そうなんです。
雪ノ下は、最後じゃない、比企谷と自分の依頼がまだ残っている、と言いましたが、
けっきょくは、由比ヶ浜も雪ノ下も比企谷も同じ「依頼」をしているのだと思います。
だからこそ、「最後の依頼」なんですね。
この「依頼」にまずは由比ヶ浜が、「答え」を提示しました。(それが本当に彼女の「答え」なのかは疑念が残りますが)
あとは雪ノ下と比企谷の「答え」のみです。
だから、ちゃんとした答えを。誤魔化しのない、俺の望む答えを、手にしたいのだ。(本文317ページより引用)
彼が「答え」を出したとき、この物語は幕を下ろすことになるでしょう。
●逸らした視線は、いずれ前に戻さなければならない
誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ。(9巻 本文232ページより引用)
比企谷八幡は、ここまで由比ヶ浜結衣を傷つけまい傷つけたくない、という思いで、彼女と接してきました。
でも、もう限界でしょう。
彼はガハマさんを傷つけるべきです。
お得意の「自己犠牲」の方法でもいいです。それこそ、かつて相模に対してやったようなことを彼女にすればいいんです。
それができないなら、彼女を「本気で」受け入れるしかありません。
きっとガハマさんなら、どんなに傷つけられてもヒッキーの真意はわかってくれるはずです。
だって、彼女は自分の「答え」が彼に却下されたとき、にっこり優しく微笑んでくれたのですから。
そして、いつまでもそんな悲しい笑顔を彼女にさせておくべきではないことは、
だれよりも比企谷八幡自身が知っているはずです。
由比ヶ浜が、ずるい女の子だなんて、そんなこと言わせておいていいはずがない。(本文315ページより引用)
彼は由比ヶ浜結衣の優しさに甘えてはいけないと誓いました。その優しさに嘘で返してしまってはいけないとも言いました。
なら、たとえどんなに苦しくても、その先には何も残っていなくても、「本物」を求め続けるべきです。
そんなのないって知ってるのに。突き詰めてしまえば何も手に入らないとわかっているのに。(本文316ページより引用)
うん、そりゃそうです。でも、彼がそれを「本物」と呼んでしまったときから、もう「ハッピーエンド」は許されないんですね。
だって彼自身がそれを選択したのですから。
逸らした視線は、いずれ前に戻さなければならない。(5巻 本文212ページより引用)
次巻、比企谷八幡が再びまっすぐ前を向いてくれることを何よりも切望します。
読み終えた後、(まるで今回のヒッキーのように)何か違和感があったのですが、
どうもそれがはっきりとしないせいで、なかなか感想がまとまらないでいました。
で、先日、アニメの12話から13話を見直し、アニメ13話の感想(11巻への覚書)などを確認し直して、ようやくその正体が見えてきました。
要するに今回、比企谷は何もしていないんですね。
ずっと傍観者的な立場で状況を眺めていただけなんです。
今まで比企谷八幡という男は、持ち込まれた依頼に対して斜め上な解決方法を提示しつつも、必ずそれに基づいて自ら行動していました。
これは1巻から10巻まで例外なく、です。(番外編や短編集を除く)
今回、具体的な依頼というのは、しょっぱなの三浦や川崎さんの「手作りチョコ」の件です。
この相談に対して比企谷は、一応彼らしい提案はしますが、それ以降は一色いろはに任せっきりです。6巻や7巻のように自己犠牲?的行動もとりませんし、8巻や9巻のように誰かを頼るようなこともしません。ましてや10巻のような行動力は皆無といってもいいでしょう。
アニメ12、13話の感想では「由比ヶ浜結衣」回だったと書きましたが、
つまりは主人公が動いていなかったから、
唯一行動していたガハマさんが目立ったということなのかもしれません。
この辺はやっぱり、アニメとラノベの違いでしょうか。
アニメだとガハマさんの表情や仕草なんかもストレートに入ってきますが、
ラノベは主人公の主観的一人称語りですから、どうしてもガハマさんの言動も比企谷というフィルターを通してになってしまうんですよね。
じゃあそれをヒッキーはどう見たか、といった視点で物語を見てしまうんですよ。
すると、いろいろ悩んではいるけど、けっきょくそれだけで終わっていることに気づいてしまうわけです。
ではなぜ、彼はここまで何もしなかったのでしょうか。もしくは出来なかったのでしょうか。
●今回は「依頼編」
まあ簡単にいってしまえば、今回は「依頼編」なんですね。
次の12巻がおそらく「解決編」。(そして、おそらくシリーズ最終巻)
つまり、冒頭のバレンタイン編の「依頼」ではなくって、
葛西臨海公園での「あたしたちの最後の依頼」こそが、11巻本来の「依頼」なんです。
比企谷の「斜め上な解決方法」と行動は次巻で繰り広げられるはずです。
上巻下巻の上巻なんですよ、これ。だからなんだかもやもやするんです。
あと読んでいて驚いたのですが、
アニメ12話(バレンタインイベント編)に値する部分は、実に224ページまであるんですね。
当然、アニメでは相当分カットされています。
それにひきかえ、アニメ最終話に相当する部分は本文225ページから319ページまで。
細かい描写はさておき、基本アニメの流れとほぼそのままと言っていいでしょう。
これはどういうことかというと、つまりは、本題は225ページから、ということなのではないでしょうか。
だからアニメも225ページ以降の「三人デート」編に重点を置いた結果、ああいった構成となったと思うんです。
●暖かいはずなのに「うすら寒い」
葉山は誠実に、求められる葉山隼人らしくあって、三浦も三浦で少しずつその距離を詰めようとしている。戸部と海老名さんはまぁ、いつも通りといえばいつも通りだが、いくつかの時間の経過を経て、あの二人らしい空気感をちゃんと作っていた。(本文16ページより引用)
冒頭の葉山グループがチョコについて話しているシーン。
アニメではほとんどわかりませんでしたが、この時比企谷は彼らをずっと観察しているんですよね。
まあ、一人称文体というのは、主人公が見たり聞いたりしたものしか描写できないのですから当たり前なんですが、それにしても、よく見ています。
まるで、何かを確かめるように。
でもいったい何を確認したかったのでしょう。
そこにはれっきとしたぬくもりがあるのに、どこかでうすら寒いと感じてしまう。(本文18ページより引用)
以前のような断絶はなく、穏やかで暖かな時間。
何も問題ないはずなのになぜかそれを「うすら寒い」と感じてしまう。
彼はそれを「違和感」と名付けていましたが、
その「うすら寒さ」の正体を見極めたいがために、今回状況を観察することに徹していたのかなあという気がしましたね。
●変わってしまったことを確認したい比企谷
比企谷は今回なにかにつけ、些細な変化を見つけようとしています。
海老名さんと戸部の関係を妙に気にしたり、一色いろはの成長に寂しく感じたり。
だいたいは「今」と「過去」とに想いを馳せて感傷的になっているだけなんですが、
それは単に移ろいでいく時を惜しむというよりも、前とは変わってしまったことを“確認”しようとしているように思えるんですね。
そうして三人残されると、先ほど感じた懐かしさがより実感できた。
けれど、懐かしいと感じるのは、たぶんいろんなものが変わってしまったからだ。いずこかで同一性を失ってしまったから。二度と同じものを手にすることがないとわかっているから。
だから、懐かしい。(本文101ページより引用)
アニメでは描かれなかった、第3章「思いがけず、一色いろはの不在がもたらすものは」での比企谷の独白。
ここで、彼は「より実感できた」と言っています。
懐かしさを実感することで、変わってしまったことを確認したいわけです。
●葉山の言う「みんな」
「これならみんな……、みんな自然に振る舞える」
(中略)
葉山の言うみんな。
それが誰を指すのか、誰をもってして、みんなと呼びならわしているのか。薄々気づきながら、俺は葉山から目を逸らし、えぐい苦みの缶コーヒーを飲み下す。(本文173ページより引用)
さて、葉山の言う「みんな」とはなんでしょう。
実は、アニメでは描写されませんでしたが、葉山はこのセリフの後、
まず三浦や一色を眺め、さらに由比ヶ浜と雪ノ下に視線を送ってからゆっくりと比企谷へと視線を戻しているんですね。
要するに葉山は、自分と三浦・一色の関係と、比企谷と雪ノ下・由比ヶ浜の関係とを、なぞってああ言ったわけです。
実は「みんな」とは、たった二人の女の子を指していたのですね。
“俺は決めたぞ。比企谷、お前はどうするんだ。お前も俺みたいに「選ばない」ことを選ぶつもりか?”
葉山は暗にこう言いたかったのではないでしょうか。
教室などで、比企谷が葉山たちの関係をずっと観察していたのにも気づいていたのかもしれません。
比企谷は自分の「違和感」をどう受け止めていいかわからずに、無意識のうちに葉山や戸部たちに「答え」を見出そうとしていました。
そんな彼に葉山は、皮肉半分に「よく考えたな」と言ったのでしょう。
でも、比企谷はそれに気づいていながら、目を逸らし、苦味とともに飲み下してしまうのです。
●「比企谷八幡」を恐れる比企谷
葉山からの「ブラックコーヒー」を飲み下した後、
彼はわざわざ「楽しいなぁ」と呟いたりまでして、なんとか「違和感」から逃れようとします。
しかし、そんな彼を見逃してはくれない人がいました。
その人の名は雪ノ下陽乃。
その名のごとく、白日の下に曝け出す人です。
「それが比企谷くんのいう本物?」
(中略)
陽乃さんの声音は冷たさと、同時に、純粋さがあった。
本当にわからないとでも言うような、まるで理解できないとそう告白するような響きは俺を突き放すようだった。(本文212ページより引用)
ここでの陽乃さんは、いつものような嗜虐的なものはありません。
それは比企谷の目から見ても「純粋」と映るくらいに、真摯な問いかけでした。
そして彼もその問いに共感してしまいます。
こんなものが本物であり得るはずがないと。
(中略)
考えないようにしていたことを、雪ノ下陽乃は突きつけるのだ。
それは信頼などではない。もっとひどい、おぞましい何かだと。(本文214ページより引用)
私はアニメ12話の感想のときに、「陽乃さんが「本物」問題を追及してくるのは違和感がある、あそこはいろはじゃないのか」と書きましたが、
ここまで読んで、なんとなくその理由がわかった気がしました。
ふとした瞬間に意識してしまう、今までとは明確に違う何か。誰かと接するたびに、ふと内側から湧いて出てきて、自分に問いかけてくる。それは正しいのかと。(本文187ページより引用)
だって、過去の俺が言うのだ。以前の比企谷八幡がずっと吠えるのだ。
それでいいのかと。それがお前の望みなのかと。そんなものが比企谷八幡なのかと。(本文223ページより引用)
要するに、この時の雪ノ下陽乃とは「過去の俺」なんですね。もしくは「内側からの問いかけ」。
彼は「雪ノ下陽乃」を恐れているわけではないんです。
かつての「比企谷八幡」を恐れているのです。
だからこそ、奉仕部の“今”を見ている一色いろはではなく、かつての“比企谷八幡”を知っている雪ノ下陽乃ではなければならなかったのですね。
では、なぜ彼はかつての自分を恐れているのでしょう?
●由比ヶ浜に対してどこか卑屈な比企谷
11巻でのヒッキーは、常にガハマさんの顔色をうかがっていたような印象があります。
でも、それは“恋愛的な感情”というより、もっと違う何かのように思えるんですよ。
例えば、冒頭で「暇な日ってあるか?」と誘ったときも、
ガハマさんの沈んだ表情を少し意外と思ったり、彼女の返事に戸惑ったりしてもいるんですよね。
「ちょっと考える、またあとでね!」
「……あ、ああ」
安堵か、あるいは脱力か。もしくはもっと違う何か。(本文21ページより引用)
この辺りはどうも、由比ヶ浜は自分の誘いに喜ぶに違いないという「自惚れ」的な匂いも感じてしまうわけですが、それよりも自分で誘っておいて「安堵」ってすごいですよね。
ちゃんと踏み込まなきゃ、という義務感のみで誘ったかのようなニュアンスに、少し不遜な面を感じてしまうわけです。
また、バレンタインイベントにて、ゆきのんが姉の言葉に動揺して、ボウルを落としてしまったとき。ヒッキーもゆきのんもうまくボウルを掴めない中で、ガハマさんがひょいと拾い上げるわけですが……。
「ふふん、ゆきのんもまだまだだね。あたしはボウルとか調理器具の扱いは完璧だから」
そう言ってにっこりと笑う姿に思わず安堵の息が漏れる。ずっと胸につかえていた何かが溶け出して、憎まれ口がこぼれでた。おかげでようやく立ち上がれる。(本文184ページより引用)
ここでヒッキーは、ガハマさんのにっこりと笑う姿にまず安堵します。ずっと胸につかえていた何かが溶け出して憎まれ口がこぼれでた、とまで言う始末です。
いったい、彼は何に安堵していたのでしょうか。ずっと胸につかえていた何かとはなんなんだったのでしょうか。
どうも彼には、ガハマさんに対しての何か、「後ろめたさ」みたいなものがあるように感じるんですね。
ゆきのんが手作りクッキーをガハマさんに差し出したときもそうです。
由比ヶ浜は声音も視線もいつも通り、気を遣っておっかなびっくり聞いているというふうだったのに、ただ手元が、膝に置かれた左手がきゅっとスカートを握りしめている。それを見てしまったとき、言葉が詰まってうまくでてこなかった。(本文232ページより引用)
アニメではゆきのんが自分にクッキーを用意しているかどうかを意識しているように見えましたが、ここではゆきのんにというより、むしろガハマさんの「あたしのだけ?」「ヒッキーのは?」という問いかけに対して反応しているようです。
とにかく11巻でのヒッキーは、ガハマさんに対してどこか卑屈に見えてしょうがないんです。
●「比企谷八幡」は彼を許さない
きっと彼は自分が今、由比ヶ浜結衣に対してすごく残酷なことをしていることに気づき始めているんでしょう。
だから、その罪悪感からなんとか目を逸らそうとしているんです。
でも、かつての「比企谷八幡」は彼を許しません。
どこまでも優しい由比ヶ浜は、たぶん最後まで優しい。真実は残酷だというなら、きっと嘘は優しいのだろう。
だから、優しさは嘘だ。(2巻 本文258ページより引用)
かつて、彼はこういう考えに基づいて、由比ヶ浜結衣の気持ちをはねつけました。
いつだって期待して、いつも勘違いして、いつからか希望を持つのはやめた。
だから、いつまでも、優しい女の子は嫌いだ。(2巻 本文260ページより引用)
中学時代、折本かおりに期待して勘違いして、希望を捨てた結果、彼は「優しい女の子は嫌いだ」と“欺瞞”を拒否したはずです。その結果、「本物」を求めたはずなのです。
ところが彼が今、由比ヶ浜結衣に対して、
あの頃の折本かおりと同じようなことをやっているんです。
彼女の「優しさ」に甘え、後ろめたい気持ちを隠しながら。
だから、自らデートに誘っても曖昧な答えに対して「安堵」してしまう。
また、身の内から俺を苛む声がする。
そんなものが比企谷八幡か。そんなものが貴様の願ったものか。(本文261ページより引用)
そりゃ、自分を許せませんよね。
だって、今の比企谷は「優しい男の子」に成り下がってしまっているのですから。
●由比ヶ浜結衣は目を逸らさずに即答した
ガハマさんはヒッキーのそんな「後ろめたさ」に気づいたのではないでしょうか。
だからこそ、葛西臨海公園での「三人デート」のときのヒッキーの問いかけに迷いがなかったのです。
「……ここで、いいのか?」
「ここがいいの」
由比ヶ浜は即答した。目を逸らすことなく、まっすぐに、ともすれば切迫したような表情で。(本文274ページより引用)
ここのガハマさんは本当にかっこいいですね。
ヒッキーがガハマさんの顔を直視できず、少し目をそらしつつ絞り出すようにしてこの問いかけを口にしたのと比べ、えらい違いです。
ヒッキーから目を逸らさずにはっきりと、「ここがいいの」と返した由比ヶ浜結衣。
そこにはもはや、一寸の迷いもないように思えます。
でもいったい、何が彼女をそこまで追い込んだのでしょうか。
大好きなゆきのんへの遠慮? もしくはヒッキーもゆきのんも実は両思いで自分が入り込む隙などないことに気付いてしまったから?
私にはどれも違う気がするんですね。
彼女は比企谷八幡の「優しい嘘」、もしくは「欺瞞」に気付いてしまったんですよ。
で、そんな彼を見ることがもう耐え切れなくなってしまったのではないかと、邪推してしまうわけです。
●由比ヶ浜結衣は試していた
俺と彼女の願いは目に見えない。けれど、たぶんその形はほんの少しずれていて、ぴったりと重なりはしないだろう。
だからといって、それが一つのものにならないとは限らない。(本文317ページより引用)
それはぼんやりとして頼りなく、歪な形は輪郭も判然としない。
けれど確かに結ばれて、ちゃんと一つになっている。(本文319ページより引用)
この「結ばれて」という言葉。
もしくは11巻最後の章の「春は、降り積もる雪の下にて結われ、芽吹き始める。」というタイトル。
これらはどうしてもガハマさんの「結衣」という名前をイメージさせてしまいます。
となると、最終的にガハマさんは縁を結ぶ、“キューピット”役的な立場になってしまうのでしょうか?
私はガハマさん派でもゆきのん派でもありません。
どちらかがヒッキーとくっついてもくっつかなくても、それ自体はどっちでも構わないと思っています。
ただ、ガハマさんの「答え」が彼女の本心なのかが、どうもよくわからないんですよね。
要するに「泣いた赤鬼」の青鬼ポジを疑ってしまうんです。
観覧車シーンでの彼女の
「……もうすぐ、終わりだね」
というセリフ。
これから考えても、どうも彼女は自分の「答え」が、最初からヒッキーに却下されることを想定していたように思えます。
「ヒッキーならそう言うと思った」という言葉が負け惜しみには聞こえないんです。
だって、比企谷が由比ヶ浜の「提案」をただの欺瞞だと否定したとき、
ゆきのんは驚き、動揺を隠せなかったのに、
ガハマさんは凛とした眼差しでまっすぐ見つめ、小さく頷いていてすらいるんですよ?
雪ノ下は潤んだ瞳で口元をわななかせ、由比ヶ浜は暖かな瞳で小さく頷いて、言葉を待ってくれている。(本文316ページより引用)
アニメではガハマさんの眼差しはゆきのんを“試している”ように見えましたが、
こうして文章で読むと、むしろヒッキーを試していたように思えるんですね。
アニメ12話の最終話予告は、由比ヶ浜結衣の独白でした。
それは最後にこの言葉で結ばれます。
「本当は、嘘でもいいのに」
原作を一通り読み終えた後、再びこの予告を見ていて、思わず
「あ!」
と叫んでしまいました。
そして、そのあまりの切なさに思わず目頭が熱くなることを堪えることができませんでした。
彼女は、自分の「欺瞞」の答えを、ヒッキーなら否定してくれると信じていました。
またそんなヒッキーだからこそ、彼女は好きになったのでしょう。
でも。それでも。
嘘でもいいから、と思ってしまう。
由比ヶ浜結衣は、自分の「答え」がヒッキーによって「ただの欺瞞だろ」と言われたとき、
きっと誰よりも嬉しかったはずです。でも同時に誰よりも悲しかったのです。
●最後の依頼
11巻では、1巻のときの奉仕部が最初に受けた「相談」のことが再び語られます。
そう、由比ヶ浜結衣の“手作りクッキー”の件ですね。
「うる星やつら」や「奇面組」などを例に挙げるまでもなく、最終回が近くなると原点回帰というか、物語当初の話がもう一度取り上げられるパターンは、もう定番中の定番ですが、
「俺ガイル」という作品も例外ではありませんでした。
もうずいぶんと前の季節のことだ。
――手作りか。(本文15ページより引用)
冒頭で“手作り”というキーワードに遠い昔を思い出す比企谷。
「構わないわ。味見して意見をくれれば」
その言葉はいつだか聞いたことがあった。けれど、あの時とは声音もトーンも違う。
隣に座る由比ヶ浜も何か思い出して忍び笑いを漏らした。(本文73ページより引用)
部室に入り浸っている一色いろはでも決して共有できない、三人だけの記憶。
ところどころで、彼らはあの時の依頼のことを思い出します。
そして、ラスト、「あの時のお礼」の場面。
由比ヶ浜は言います。
「あたしたちの最後の依頼はあたしたち」だと。
最後の依頼。そうなんです。
雪ノ下は、最後じゃない、比企谷と自分の依頼がまだ残っている、と言いましたが、
けっきょくは、由比ヶ浜も雪ノ下も比企谷も同じ「依頼」をしているのだと思います。
だからこそ、「最後の依頼」なんですね。
この「依頼」にまずは由比ヶ浜が、「答え」を提示しました。(それが本当に彼女の「答え」なのかは疑念が残りますが)
あとは雪ノ下と比企谷の「答え」のみです。
だから、ちゃんとした答えを。誤魔化しのない、俺の望む答えを、手にしたいのだ。(本文317ページより引用)
彼が「答え」を出したとき、この物語は幕を下ろすことになるでしょう。
●逸らした視線は、いずれ前に戻さなければならない
誰かを大切に思うということは、その人を傷つける覚悟をすることだよ。(9巻 本文232ページより引用)
比企谷八幡は、ここまで由比ヶ浜結衣を傷つけまい傷つけたくない、という思いで、彼女と接してきました。
でも、もう限界でしょう。
彼はガハマさんを傷つけるべきです。
お得意の「自己犠牲」の方法でもいいです。それこそ、かつて相模に対してやったようなことを彼女にすればいいんです。
それができないなら、彼女を「本気で」受け入れるしかありません。
きっとガハマさんなら、どんなに傷つけられてもヒッキーの真意はわかってくれるはずです。
だって、彼女は自分の「答え」が彼に却下されたとき、にっこり優しく微笑んでくれたのですから。
そして、いつまでもそんな悲しい笑顔を彼女にさせておくべきではないことは、
だれよりも比企谷八幡自身が知っているはずです。
由比ヶ浜が、ずるい女の子だなんて、そんなこと言わせておいていいはずがない。(本文315ページより引用)
彼は由比ヶ浜結衣の優しさに甘えてはいけないと誓いました。その優しさに嘘で返してしまってはいけないとも言いました。
なら、たとえどんなに苦しくても、その先には何も残っていなくても、「本物」を求め続けるべきです。
そんなのないって知ってるのに。突き詰めてしまえば何も手に入らないとわかっているのに。(本文316ページより引用)
うん、そりゃそうです。でも、彼がそれを「本物」と呼んでしまったときから、もう「ハッピーエンド」は許されないんですね。
だって彼自身がそれを選択したのですから。
逸らした視線は、いずれ前に戻さなければならない。(5巻 本文212ページより引用)
次巻、比企谷八幡が再びまっすぐ前を向いてくれることを何よりも切望します。
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