比企谷八幡がいう「本物」とは何か ~アニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続 」第8話より~
いやあ、よかったです。「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」第8話。
私は、アニメをそれほど見ている方ではなく、
基本的に好きな漫画や小説がアニメ化になった場合のみ、「義務感」から見るような人間なので、このブログでは意識的にアニメを語ることはなるべく避けているのですが、
さすがに今回は少し語りたくなってしまうくらい、かなり“きました”。
私は演出がどうとか作画がどうとかは語れませんが、今回のスタッフが、この8話にどれだけ力を入れていたのかはわかります。
●アニメ2期はこの8話のためにあった
これまでアニメ「俺ガイル」は、まるでダイジェストのように原作の内容をハイペースで消費してきました。
特に1期は6巻分を1クールに納めないといけなかったので、仕方ない部分もあったでしょう。
ただ、内容的に余裕があると思われる2期でも、7巻を2話分、8巻を3話分と1期とほぼかわらないペースで進んでいたので、正直あまり期待していませんでした。
(まあそれでも個人的には1期よりも丁寧に描いているな、とは思っていましたが)
ところが今回は、原作9巻の217ページから263ページまでを本当に丁寧に描いてくれました。
スタッフは原作9巻の本質はこの50ページにも満たない部分に詰まっていることをちゃんとわかっていたのです。そのことがとにかくうれしかったですね。
考えてみれば2期の主題歌である「春擬き」。
歌詞を聞いてみるとこれって、ほとんど今回の8話の内容というかまんまなんですよね。
道を変えるのなら、今なんだ
とか
「本物」と呼べるものだけでいい
とか
ある意味「ネタバレ」ソングですよ、これ。
さらには最後で、
「でもそれは良く出来たフェアリーテイルみたい」君は呟いた
と“本物”そのものに対しても疑念を残すのが、これまた素晴らしい!
作詞を担当されたやなぎなぎさんが、いかに原作を読み込んでいるのかがよくわかりますね。
こういった歌をシリーズ全体の主題歌に抜擢したことからしても、
アニメ2期はこの8話のためにあった、といっても過言ではないでしょう。
もちろん細かい事を言えば、原作ファンとしてはいくらでも不満は出てきます。
でもそんなことはたいしたことではないんです。
もともと原作者も言っている通り、「アニメ向きではない」作品なのですから。
●比企谷八幡がいう「本物」とは何か
そんなわけで、今回の8話は冒頭から最後まで、すべてが重要シーンばかりと言っていいくらいなのですが、
やはり、ここは
「俺は、本物が欲しい」
このどうにも恥ずかしいセリフに注目してしまいますよね。
果たして彼がいう「本物」とは何か。
これにはいろいろな解釈があるでしょうし、ある意味、それぞれの受け手側の捉え方次第である、というべきなのかもしれません。
ただそれでは何も語っていないことと同じですよね。
●「偽物」はいらない
幸い、第8話で平塚先生がいい“ヒント”を出してくれています。
ここでは、その“ヒント”に習って、少し考えてみることにしましょう。
「考えるときは、考えるべきポイントを間違えないことだ」
平塚先生はこう言って、例として「比企谷八幡が単独で一色いろはを手伝っている理由」について挙げて、こう答えています。
「だが、考えるべきはそこじゃない。この場合、なぜ傷つけたくないかこそを考えるべきなんだ」
この方式にまるまる当てはめてみましょう。そうすると、こうなります。
なぜ比企谷八幡は「本物」を求めるのか。
この答えはすぐにわかりますよね。
そう、「偽物」はいらない、からです。
つまり、まず初めに「本物」があったから欲しがっているわけではないんですね。
嘘。欺瞞。上辺だけのとりつくろった関係。
そんな「偽物」に対する対抗意識として、「本物」を欲しているだけのことなんです。
●「偽物」じゃなければ何でもいい
だから「本物」とは何か、という問いの答えは
「偽物」ではないもの。
こうなります。
ほとんど禅問答みたいな世界ですが、私はこれが正解だと思っています。
だから、ゆきのんに「あなたの言う本物って何?」と言われても彼は答えられないのです。
そんなもの、今まで見たことがないし、手にしたことがない。(9巻本文260ページより引用)
「本物」を知っての欲求じゃないのですから当たり前ですよね。
要するに、「偽物」じゃなければ何でもいい、とだだをこねているわけです。
でもその答えは間違いなく「本物」です。
なぜなら、彼が計算しつくして消去法でひとつひとつ潰して最後に残った、たったひとつの答えだったから。
そう、たとえ、それがどんなに恥ずかしい答えでも。
それにしても、「それでも、俺は……」と言葉がつまってからの江口拓也さんの迫真の演技は、本当に鬼気迫るものがありました。
あのシーンだけでも今回の8話は意味があったなと思わせましたね。
●「本物」と言わせた勇気
ところで、私は原作9巻を読んでいて、
「俺は、本物が欲しい」
この部分にさしかかった時、
うわ、渡さん勇気あるなあ!
と叫んでしまったことを覚えています。
普通の感覚ならこんな危険なセリフ、主人公に言わせないと思うんですね。
だって、「俺ガイル」がどういう結末を迎えるにせよ、
比企谷八幡が「本物」を得て、めでたしめでたし、となるわけがないじゃないですか。
それこそ、「本物」だと思ったものが「良く出来たフェアリーテイル」だったりするのが「本物」なんですから。
「本物」なんて幻想だとは言いません。きっと、誰かにとって、その時にとっての「本物」というものはあります。
でもそれこそ、「今だよ、比企谷。……今なんだ」なんですよ。
その瞬間、その刹那でしか、「本物」なんてないんです。
いつか「本物」も朽ち果て「偽物」に移ろいでいく。世界はそういうふうに出来ているんです。
平塚先生の“説教”から考えても、その辺のことは渡さんは当然わかっています。
そういうことを百も承知で、あの場面で比企谷にああ言わせているわけです。
すごいですよ。本当に。
主人公にあのセリフを言わせたことによって、間違いなく、シリーズ完結へのハードルはMAXに上がりました。正直言って、無謀な試みだったのではないかとも思います。
どういう結末だろうと、これが「本物」だ、というものは書けないだろうし、
逆に「本物」なんてけっきょくなかった、なんてバッドエンド風味でもファンは納得できないでしょう。
でもあそこで「本物」が欲しいという答えにたどり着けなければ、
それこそ“嘘”になってしまうんですよ。比企谷八幡という人間が。
もしくは「俺ガイル」という作品そのものが。
だからこそ、たとえ最後に物語が破綻するとしても、それを覚悟の上で、
比企谷八幡にあの場面で「本物」が欲しいと言わせた。
これを勇気と言わずしてなんだと言うのでしょうか。
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」という作品は、まさに、「今」しかない本物の「青春ラブコメ」であると思います。
私は、アニメをそれほど見ている方ではなく、
基本的に好きな漫画や小説がアニメ化になった場合のみ、「義務感」から見るような人間なので、このブログでは意識的にアニメを語ることはなるべく避けているのですが、
さすがに今回は少し語りたくなってしまうくらい、かなり“きました”。
私は演出がどうとか作画がどうとかは語れませんが、今回のスタッフが、この8話にどれだけ力を入れていたのかはわかります。
●アニメ2期はこの8話のためにあった
これまでアニメ「俺ガイル」は、まるでダイジェストのように原作の内容をハイペースで消費してきました。
特に1期は6巻分を1クールに納めないといけなかったので、仕方ない部分もあったでしょう。
ただ、内容的に余裕があると思われる2期でも、7巻を2話分、8巻を3話分と1期とほぼかわらないペースで進んでいたので、正直あまり期待していませんでした。
(まあそれでも個人的には1期よりも丁寧に描いているな、とは思っていましたが)
ところが今回は、原作9巻の217ページから263ページまでを本当に丁寧に描いてくれました。
スタッフは原作9巻の本質はこの50ページにも満たない部分に詰まっていることをちゃんとわかっていたのです。そのことがとにかくうれしかったですね。
考えてみれば2期の主題歌である「春擬き」。
歌詞を聞いてみるとこれって、ほとんど今回の8話の内容というかまんまなんですよね。
道を変えるのなら、今なんだ
とか
「本物」と呼べるものだけでいい
とか
ある意味「ネタバレ」ソングですよ、これ。
さらには最後で、
「でもそれは良く出来たフェアリーテイルみたい」君は呟いた
と“本物”そのものに対しても疑念を残すのが、これまた素晴らしい!
作詞を担当されたやなぎなぎさんが、いかに原作を読み込んでいるのかがよくわかりますね。
こういった歌をシリーズ全体の主題歌に抜擢したことからしても、
アニメ2期はこの8話のためにあった、といっても過言ではないでしょう。
もちろん細かい事を言えば、原作ファンとしてはいくらでも不満は出てきます。
でもそんなことはたいしたことではないんです。
もともと原作者も言っている通り、「アニメ向きではない」作品なのですから。
●比企谷八幡がいう「本物」とは何か
そんなわけで、今回の8話は冒頭から最後まで、すべてが重要シーンばかりと言っていいくらいなのですが、
やはり、ここは
「俺は、本物が欲しい」
このどうにも恥ずかしいセリフに注目してしまいますよね。
果たして彼がいう「本物」とは何か。
これにはいろいろな解釈があるでしょうし、ある意味、それぞれの受け手側の捉え方次第である、というべきなのかもしれません。
ただそれでは何も語っていないことと同じですよね。
●「偽物」はいらない
幸い、第8話で平塚先生がいい“ヒント”を出してくれています。
ここでは、その“ヒント”に習って、少し考えてみることにしましょう。
「考えるときは、考えるべきポイントを間違えないことだ」
平塚先生はこう言って、例として「比企谷八幡が単独で一色いろはを手伝っている理由」について挙げて、こう答えています。
「だが、考えるべきはそこじゃない。この場合、なぜ傷つけたくないかこそを考えるべきなんだ」
この方式にまるまる当てはめてみましょう。そうすると、こうなります。
なぜ比企谷八幡は「本物」を求めるのか。
この答えはすぐにわかりますよね。
そう、「偽物」はいらない、からです。
つまり、まず初めに「本物」があったから欲しがっているわけではないんですね。
嘘。欺瞞。上辺だけのとりつくろった関係。
そんな「偽物」に対する対抗意識として、「本物」を欲しているだけのことなんです。
●「偽物」じゃなければ何でもいい
だから「本物」とは何か、という問いの答えは
「偽物」ではないもの。
こうなります。
ほとんど禅問答みたいな世界ですが、私はこれが正解だと思っています。
だから、ゆきのんに「あなたの言う本物って何?」と言われても彼は答えられないのです。
そんなもの、今まで見たことがないし、手にしたことがない。(9巻本文260ページより引用)
「本物」を知っての欲求じゃないのですから当たり前ですよね。
要するに、「偽物」じゃなければ何でもいい、とだだをこねているわけです。
でもその答えは間違いなく「本物」です。
なぜなら、彼が計算しつくして消去法でひとつひとつ潰して最後に残った、たったひとつの答えだったから。
そう、たとえ、それがどんなに恥ずかしい答えでも。
それにしても、「それでも、俺は……」と言葉がつまってからの江口拓也さんの迫真の演技は、本当に鬼気迫るものがありました。
あのシーンだけでも今回の8話は意味があったなと思わせましたね。
●「本物」と言わせた勇気
ところで、私は原作9巻を読んでいて、
「俺は、本物が欲しい」
この部分にさしかかった時、
うわ、渡さん勇気あるなあ!
と叫んでしまったことを覚えています。
普通の感覚ならこんな危険なセリフ、主人公に言わせないと思うんですね。
だって、「俺ガイル」がどういう結末を迎えるにせよ、
比企谷八幡が「本物」を得て、めでたしめでたし、となるわけがないじゃないですか。
それこそ、「本物」だと思ったものが「良く出来たフェアリーテイル」だったりするのが「本物」なんですから。
「本物」なんて幻想だとは言いません。きっと、誰かにとって、その時にとっての「本物」というものはあります。
でもそれこそ、「今だよ、比企谷。……今なんだ」なんですよ。
その瞬間、その刹那でしか、「本物」なんてないんです。
いつか「本物」も朽ち果て「偽物」に移ろいでいく。世界はそういうふうに出来ているんです。
平塚先生の“説教”から考えても、その辺のことは渡さんは当然わかっています。
そういうことを百も承知で、あの場面で比企谷にああ言わせているわけです。
すごいですよ。本当に。
主人公にあのセリフを言わせたことによって、間違いなく、シリーズ完結へのハードルはMAXに上がりました。正直言って、無謀な試みだったのではないかとも思います。
どういう結末だろうと、これが「本物」だ、というものは書けないだろうし、
逆に「本物」なんてけっきょくなかった、なんてバッドエンド風味でもファンは納得できないでしょう。
でもあそこで「本物」が欲しいという答えにたどり着けなければ、
それこそ“嘘”になってしまうんですよ。比企谷八幡という人間が。
もしくは「俺ガイル」という作品そのものが。
だからこそ、たとえ最後に物語が破綻するとしても、それを覚悟の上で、
比企谷八幡にあの場面で「本物」が欲しいと言わせた。
これを勇気と言わずしてなんだと言うのでしょうか。
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」という作品は、まさに、「今」しかない本物の「青春ラブコメ」であると思います。
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