私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!喪206~満を持してのネモの話はやっぱり最後に流される~
9月8日に「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」がブラウザ版で喪206に更新されました。
今回は「ネモ回」ですね。簡易感想の時に「痛い」回だと言いましたが、それよりももっと単純に「ネモの話」だったと言ってもいいような気がします。
わたモテにおいて「ネモ回」というのは特別な意味を持っています。単にネモがいっぱい出てくる話というのとは意味が違うんですね。
例えば喪97「モテないし学食で食べる」(コミックス10巻所収)。あの時も「痛い」話だったと書いてますが、それと同時に転換期になるような予感を当時の私は抱いていました。
例えば喪122「モテないし3年生になる」(コミックス12巻所収)。ネモの震えを見て、私は新たなるわたモテの始まりに胸を踊らせたものです。
例えば喪135「モテないし仮面をかぶる」(コミックス14巻所収)。遠足編からGW編に向かう中での狭間のような回でしたが、当時の私はここに「原点回帰」の様相を感じ取っていました。
他にも喪139「モテないし大学に行く理由」や「特別編8」などが挙げられますけど、この辺にしておきましょう。要するに、ネモという存在はわたモテという作品そのものに深く関わっているということなんです。
そもそも今の「映画編」もネモの一言がきっかけになっているわけですから。
彼女の「なんかやろうよ」から始まった映画制作において彼女の胸の内がこれまでほとんど語られなかったのがむしろ不自然で、そう言った意味では来るべくして来た回でもあったわけです。
アプリ更新当時、若干ファンの間で賛否分かれたのも当然とも言えます。「痛さ」を伴う話なんですから。わたモテという作品がここでまた大きく変わっていく一つの分岐点なのかもしれないのですから。
元々、わたモテは昔から物議を呼ぶ回はあります。古くは「願書回」がそうですし、最近では「サチキバ」もそうでしょう。もっというなら「土下座回」なんてのもありましたしw
むしろファンの間でもざわつくくらいの回があって当たり前なのがわたモテであって、最近は少し大人しくなりすぎな部分もあったんじゃないでしょうか。
そう言った意味では満を持しての「ザワつく回」でもあったと言えるのかもしれません。
というわけで、さっそく見てまいりましょう!
今回は「ネモ回」ですね。簡易感想の時に「痛い」回だと言いましたが、それよりももっと単純に「ネモの話」だったと言ってもいいような気がします。
わたモテにおいて「ネモ回」というのは特別な意味を持っています。単にネモがいっぱい出てくる話というのとは意味が違うんですね。
例えば喪97「モテないし学食で食べる」(コミックス10巻所収)。あの時も「痛い」話だったと書いてますが、それと同時に転換期になるような予感を当時の私は抱いていました。
例えば喪122「モテないし3年生になる」(コミックス12巻所収)。ネモの震えを見て、私は新たなるわたモテの始まりに胸を踊らせたものです。
例えば喪135「モテないし仮面をかぶる」(コミックス14巻所収)。遠足編からGW編に向かう中での狭間のような回でしたが、当時の私はここに「原点回帰」の様相を感じ取っていました。
他にも喪139「モテないし大学に行く理由」や「特別編8」などが挙げられますけど、この辺にしておきましょう。要するに、ネモという存在はわたモテという作品そのものに深く関わっているということなんです。
そもそも今の「映画編」もネモの一言がきっかけになっているわけですから。
彼女の「なんかやろうよ」から始まった映画制作において彼女の胸の内がこれまでほとんど語られなかったのがむしろ不自然で、そう言った意味では来るべくして来た回でもあったわけです。
アプリ更新当時、若干ファンの間で賛否分かれたのも当然とも言えます。「痛さ」を伴う話なんですから。わたモテという作品がここでまた大きく変わっていく一つの分岐点なのかもしれないのですから。
元々、わたモテは昔から物議を呼ぶ回はあります。古くは「願書回」がそうですし、最近では「サチキバ」もそうでしょう。もっというなら「土下座回」なんてのもありましたしw
むしろファンの間でもざわつくくらいの回があって当たり前なのがわたモテであって、最近は少し大人しくなりすぎな部分もあったんじゃないでしょうか。
そう言った意味では満を持しての「ザワつく回」でもあったと言えるのかもしれません。
というわけで、さっそく見てまいりましょう!
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