「向こう側の遊園」感想~星々の審判~

向こう側の遊園 (講談社文庫)向こう側の遊園 (講談社文庫)
(2014/06/13)
初野 晴

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以前、『高校生探偵」物をいくつか挙げてみる』でも取り上げた「ハルチカ」シリーズが有名な初野晴(はつのせい)氏の文庫における最新作。
元は2012年に講談社から刊行された「カマラとアマラの丘」を、文庫化に際し改題したものになります。

まあ、一言でいうと、「ハルチカ」シリーズからコメディ色を取り払って、核にある社会派的なシリアス面のみを抽出したような作品です。
もっとも、そもそもデビュー作の「水の時計」からして脳死問題がテーマになっていたり、本来、初野さんは“社会派”の作風なんですね。「ハルチカ」シリーズのまぶしいくらいの青春コメディがむしろ異色で、元々はこういった作風なんだと思います。
つまりは、「人間の悪意」といったものをとことんあぶり出すタイプの作品。それでいて、“バッドテイスト”にはならずに、なぜか読後感がいいことも特色ですね。

概要としては、
廃園になった遊園地にはある噂があった。そこには1年中さまざまな花が咲き乱れる秘密の動物霊園があって、墓守である謎めいた青年と交渉すれば、いわくつきのペットの魂を救ってくれるという……。
まあ、こんな感じでしょうか。

これだけ聞くと、いかにも人と動物をつなぐ「ハートウォーミング」ファンタジーのようですが、読み始めてみれば、それは大きな勘違いだとすぐに気づくはずです。

ここで語られる人と動物の物語は五つ。
一つ目は入院患者のパートナーだったゴールデンレトリバーの話。
二つ目は「ビッグフット」を埋葬しようとする夫婦の話。
三つ目は脳性マヒの少年と知性を持った天才インコとの“絆”の話。
四つ目はハールメンの笛吹きごとくネズミを操れる老人と、土地売買に関わる陰謀の話。
そして、最後は保健所で処分されそうなラブラドールを助けようとする少年の話。

どれをとっても“心温まる”ような話などひとつもありません。
人間の理屈に弄ばれる動物の叫びが聞こえてくるようなヒリヒリした感触を残す作品になっています。


作品構成としてはミステリ仕立てといってもいいでしょう。
埋葬してほしい動物の亡がらを持ってくる訪問者の謎を、墓守である青年が「探偵役」となって真相に迫るスタイルになっています。

第一章は「カマラとアマラの丘」というタイトルがついているように、全体的なテーマにも繋がるエピソードになっています。
この話、実は叙述トリックなのですが、そう言ってしまうこと自体がネタバレになってしまいますね。まあ、その辺はご容赦ください。話の面白さはそこにはないですし。

あと、タイトルの「カマラとアマラ」も何であるかを知っているとオチが分かってしまうかもしれませんね。
単行本時にはこの第一話のタイトルがシリーズ全体のタイトルだったことからもわかるように、
「カマラとアマラ」の悲劇が作者にこの物語を書かせたきっかけになったことは想像に難くありません。
人間が異種動物とふれあうということはどういうことなのか。
単純に「動物の命を大切に」では済まない重いテーマがそこにはあります。

ところで、これは余談ですが、「叙述トリック」ってそのこと自体がもう“ネタバレ”に近いですよね?
筒井康隆の「ロートレック壮事件」とか乾くるみの「イニシエーション・ラブ」とか、事前に「叙述トリック」だという情報があるとたぶん興ざめですから。
これが「物理トリック」とか「心理トリック」とかだと、あらかじめ言われても“ネタバレ”にはならないはずなんですよね。どうにも「叙述トリック」て扱いづらくってもやもやします。

第二章は「復讐」がキーワードですね。
ビッグフッド。それは人間に望まれた空想上の生物。その偶像に実体を与えてでも「生きたい」と願う人間。そしてその人間の「生きたい」という欲望に応えるためだけに生まれてきた生物。

五つある話の中で、個人的に一番胸に突き刺さりましたね。
霊長類の中で涙を隠すことができるのは人間だけ、という一文が忘れられません。
研究者の名前が「夕鶴」というのもなんだか切ない気持ちにさせられます。

第三章は一番ミステリしていますね。
なにしろ、ここでの依頼人は刑事です。彼は老夫婦殺人事件の現場に居合わせた「天才インコ」を追っているわけです。
事件の真相も二転三転として、なかなか飽きさせない展開となっています。
「わかり合うということは不遜で不幸を呼びます」
青年のこの言葉があまりに重い真相を物語っていますね。

第四章もミステリ色が強い話です。
石笛でネズミを操る怪しげな老人、ある日突如消えた若者たち、土地売買をめぐるトラブルに隠された陰謀……。
5つの話の中でも最も「胸くそ悪い」ですね。ここでは動物だけではなく、人間さえも命をいいように弄ばれる現実を突きつけられます。最後の弁護士が発した言葉に少しだけ救われたような気持ちにさせられますが、それさえも気休めしかないような気がします。

最終章は「星々の審判」。
よく、亡くなった命のことを「星になる」と例えますが、まさに人間も動物もそして植物も、あらゆる命はいつか宇宙に還るのだということを改めて教えられますね。

ここでは「動物機械論」について語られます。
動物には感情はない。そう信じてきたからこそ、人間は文明を発展できた。生き延びることができた。彼らを神からもらった「道具」としてありがたく使わせてもらうことで人間は自然の支配者となったのだ。
本当に辛辣です。容赦ないです。そしてその容赦のなさは「動物愛護者」にも向けられます。
動物愛護者はベジタリアンになった。彼らは植物の生きようとする意志、光を求めて伸びる芽の力を知ろうとしない。なんのことはない、彼らも「動物機械論」の継承者ではないか……。

墓守である青年の正体は最後まで明かされません。
きっと、彼の存在意義を明確にしてしまうと、それこそ「わかり合うということは不遜で不幸を呼ぶ」ことになってしまうからこそ、あえて、あやふやな存在にしているのではないでしょうか。

そう、「わかり合う」なんて無理なんです。人間は今の社会を手放すことなんてできないんですから。

第一章で出てきたゴールデンレトリバーは「自然に反して」つくられた犬です。
第二章の臓器移植のために、ビッグフットにさせられたヒヒもしかり。
第三章の天才インコ・リエルも第四章のネズミたちも最終章の捨て犬ライカも皆、人が「分かり合おう」とした結果の悲劇です。

人間が人間社会を維持して行く限り、この悲劇は続いて行くのです。
そんな人間ごときが動物たちに同情するなんておこがましいとは思いませんか?

それでも、最終章で墓守はある人物に「審判」を託します。
青年が彼に賭けたことにこの物語の優しさがあるように思えるのです。
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tag : 初野晴

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