「野崎まど」アニメ化計画は失敗に終わったのか~アニメ「正解するカド」最終話までを見て~

※若干のネタバレがあります。ご了承ください

 

以前、ちょろっと紹介したアニメ「正解するカド」。
まだ5話目を視聴した時点での記事でしたが、すでに「野崎まど」臭がプンプンし始めていたので、
ある意味、「警告」のつもりで書いた面もありました。

つまり、これは普通のSFアニメとして鑑賞しないほうがいいよと言いたかったのですね。
野崎まどという作家が「アニメ」というフィールドに寄せるつもりが全くなくって、
良くも悪くも「野崎まど」全開で行く気満々であることが5話の段階でわかってしまったので、
ファンとしても予防線を張っておきたかったんです。
案の上、9話ラストでやらかしましたしね(笑)。

で、先日、ついに最終回が放映されました。


……

…えー、なんといっていいか。

まあ正直、どう捉えていいかわからず、しばし呆然としてしまいましたね。
「ちゃぶ台返し」がくるのはわかってはいたのですが、さすがにあの結末は予想できませんでした。

まがりなりにも野崎まどファンと自称している私でもそうだったのですから、
予備知識もなく毎週アニメを楽しみにしていた人にとっては、よほどのことだったろうとお察しします。



言いたいことはいろいろあるのですが、端的に言えば、

野崎まど劇場」のネタをそのままアニメに落とし込むなよ!

ですかね。

まあね。やりたかったことはなんとなくわかるんですよ。
要は「3次元」のほうが「37次元」より上でしたw的なオチで意表を突きたかったのかなと。
いわゆる人間賛歌とかそういうのでもないと思いますよ。
ただただ、「野崎まど」印のびっくり箱として純粋に驚かせたかっただけでしょう。

高次元存在の情報網羅よりも「人間の不思議な力」が勝るという発想はある種ベタでもありますが、
それでもなお、未だに有効かつ魅力的な“正解”ではあると思います。
それはわかるんです。まあこの話に限って言えば、説得力はまったくありませんでしたけど。

そもそも、異方存在と人間の子がなんでさらなる高次元な存在になるのかまったくわかりませんw
まあ、ドラゴンボールのサイヤ人みたいなものと割り切ればいいのかもしれませんが。

それはさておき、あの「サプライズ」にはもう突っ込みどころが多すぎて、いちいち言及するのもバカバカしいですね。
倫理観がどうとかそういう感想も目にしましたが、もはやそんなレベルで文句をいってもしょうがないでしょう。いわゆる(笑えるかどうかは別として)ブラックジョークというやつですよ。
まあ一言だけいうなら、花森があまりに不憫すぎるということでしょうか。それだけですね。
あとはもはやどうでもいいです。

だた一応、ファンとしていっておきますが、野崎まど作品は別に倫理観が欠落しているわけではありませんよ。「何かのご縁」シリーズのようなハートウォーミング?な話もありますし。彼自身の倫理観と「正解するカド」のそれとは必ずしも一致しないことはここではっきりさせておきたいと思います。彼はただ思いついたネタに忠実なだけなんです。

まあとにかく、恐れていたことが現実になったなというのがイチファンとしての感想ですね。

>どこまで「野崎まど」ワールドにするつもりなんだろうか…と、よくわからない方向で心配にもなってきた
>物語の根底をくつがえすようなとんでもない仕掛けで、見ている人を衝撃と混乱の坩堝に陥れることになると思います

5話までの感想時にこんなことを書きましたが、まさかこんな形で不安が的中するとは……
ファンからみれば最後まで「野崎まど」そのものな世界だったわけですが、それゆえに失敗したなというか。

これは、アニメ「サクラダリセット」を見ていても常々感じたことなのですが、
要するに「面白さ」をそのまま「アニメ」というフォーマットに落とし込もうとしてもダメなんですね。

「37次元」よりも実は「3次元」のほうが高次元なのかもよ?という展開は
「野崎まど劇場」内の一つのネタとしてなら、面白いんです。
文章として、一発ネタとして読んだのなら、私も大笑いしながらさすがまど!と絶賛(?)したかもしれません。

ただ、連続TVアニメとしてそれを見せていくなら、このやり方はダメです。
こんなの一部の「まどジャンキー」しか喜びませんよ。
ちゃんとエンターテインメントとしてそれなりに納得できる仕掛けを用意しておかないと多くの視聴者は置いてけぼりをくらうだけです。

たとえ同じオチに持ってくるにせよ、12話構成の映像作品にはそれなりのプロットが必要なんですよ。
例えば9話ラストの「爆弾」。あれじゃある意味「あるあるネタ」みたいな展開じゃないですか。要するにあの時点で「冗談」になってしまっているんです。

野崎まどとしての小説ならあれでもいいのですが、「TVアニメ」としてならダメでしょう。
ほとんどの人は「脚本・野崎まど」なんてことは気にもとめずに、ただ「正解するカド」というアニメを見ているわけですから。まどテイストをきちんとアニメ視聴者に味わせるためにも、唐突感だけで驚かせるやり方はしてほしくなかったですね。

でもまああのくらいはまだ許容範囲でしょうか。
ある意味わかりやすい「爆弾」ではあったので、野崎まどをアニメにするという点ではあれもアリなのかもしれません。
それより、個人的にどうしても気になっているのが7話での真道の思わせぶりなセリフですね。

夏祭りの場で夏目らと“サンサ”が人の幸福につながっていくのかを話し合っていたときに彼が口にした「あ、いや俺は…」。
あれはけっきょくなんだったんでしょう?
真道がいう「幸福」とは何を指すのか、まったくなんのことだかわからず仕舞いですよ。
いかにも伏線ぽい描写を出して、それには実は何も意味はありませんでした、的な逃げはやってほしくはなかったですね。

ていうか、今回の大オチから考えてもあの「伏線」は重要な部分なはずなんですよ。
彼の交渉術、そして娘が言っていた「途中」というフレーズ。
そこから考えてもあのセリフはうやむやにしていいはずがありません。
37次元の「到達」(と思い込んでる)よりも、この3次元での「途中」こそが“正解”なのだというテーマはなかなか深いものがあっただけに、
そこに説得力を与えることができなかったのは返す返すも残念としか言いようがありません。
個人的にも7~8話の流れは好きだっただけに、どうしてもそこだけは気になりましたね。

ていうか、ああいう方向の結末自体は悪くはないんです。
むしろ「幼年期の終わり」や「2001年宇宙の旅」のような“進化”エンドより個人的にはよっぽど好みではあるんですよ。
でも、あのラストなら沙羅花が異方存在だったという「爆弾」はいらなかったような気がします。

そもそも沙羅花がまったく異方存在ぽくないんですよ。そこがまず嘘くさいんです。
それこそ魔法少女のパロディにしか見えないので、今さら異方と人間の間に生まれた存在云々と言われてもそこに説得力を感じないんですね。
ヤハクィザシュニナと真道の間の子供ならまだわかるんですけどね(笑)。

3次元である人間が37次元の異方に勝つ、というオチを生かすなら、
いっそのこと、沙羅花はやっぱり人間でした~wというのはどうだったんでしょうね?
そこまで振り切るなら逆に面白かったような気もします。
で、実は異方存在よりもさらに高次元な存在が3次元の人間である!みたいな「人間賛歌」を最終的なメッセージにするとか。

異方な沙羅花よりも人間である品輪博士のほうが異方っぽいというねじれた構図は確かにおもしろかったのですが、
最終的に沙羅花というヒロインが何をどうしたかったのかがよくわからないので、どうにも中途半端な印象になってしまうんです。ヒロインぽくないというか……
(個人的に夏目さんがお気に入りだったからよけいにそう感じるのかも)

てか、沙羅花の笑顔になんとなくごまかされていますけど、あれハッピーエンドじゃないですよね?
けっきょく誰も幸せになってないような気がして、どうにも締まりが悪いなという印象だけが残りました。


ところで、今回いくつか感想を見て回った中でこんな意見を目にしました。
いわく、「“ちゃぶ台返し”が作風とかそんなん知ったことかよ。それよりなんでこんな作家を採用したんだ?SF作家ならほかにもいるだろ。もっとまともなホンを書ける人間を採用しろよ」。

なるほど、確かにアニメのホンになぜこんな特殊な作風の人をというのも、こうして最終話を見終わってみればわからなくもありません。
ただね。どうやらもともと話が逆のようなんですよ。

実は放映する前に、SFマガジン2017年4月号にて「正解するカド」小特集が組まれているのですが、そこでプロデューサーの野口光一氏のインタビューが掲載されているんです。

で、それによると、始めにSFアニメの企画があっての脚本家選びじゃないんですよ。
もともとプロデューサーが野崎まどの作品に興味を持って、この人に劇場アニメのシナリオをお願いできないかと思い立って早川書房に取り次いでもらったところから話が動いているんです。

特に『know』の電脳戦に惹かれるものがあって、野崎さんに劇場アニメのシナリオをお願いしたいと思い、早川書房さんに取り次ぎをお願いしたんです。
(SFマガジン20174月号『正解するカドプロデューサー野口光一インタビュウ』128ページより引用)

つまり、始めに「野崎まど」ありきの企画なんですよ。
で、途中から野崎氏が「実はテレビがやりたいんです」と言いだして、そこからテレビの企画に移行したということなんですね。
もともと野口氏は東映アニメーションの映画部で、基本的に映画ばかりをつくっていたので最初はテレビの感覚がわからなかったともおっしゃっています。

そういったことを踏まえると、ハードなSFをテレビアニメでやりたかったというよりも、
「野崎まど」という面白い素材をどう生かすかという中で最終的に「テレビアニメシリーズ」という枠に収まった、と考えたほうがよさそうです。
結果として「野崎まど」アニメ化計画は成功したとは言いがたいですけどね。
(それにしても、なぜ野崎まどは「テレビがやりたい」なんて言ったのかなあ…)

そういえば、今回改めて小特集を読み直して思い出したのですが、実はこの号には野崎まどのショートショート(掌編)が掲載されているんです。

タイトルは「精神構造相関性物理剛性」。

これだけ見ると、なんだかすごそうな感じがしますよね。
で、なんでも「野崎氏のなかにある『正解するカド』像に忠実に書かれたという本作」というのですから、
読む方としてもちょっと身構えてしまうかもしれません。

でも、読めばわかりますが、これがとんでもないシロモノなんですよ。
とても「SFマガジン」に載っているとは思えないような作品なんです。

ざっくりとあらすじを紹介しますと、こんな感じです。
「三十年、省庁内の蕎麦屋で蕎麦を打ってきた男。もっと若向けの店を入れたいということで彼が出向していた店が閉店することに。なんとなく自分の実直な人生そのものが否定されたようなわだかまりを抱いたまま、早めに家に帰ってみると、そこには妻の不貞を疑ってしまうような光景が……」

どうですか、これ。
文藝春秋とかじゃないですよwあくまでSFマガジンに載っているショートショートですw
「どうせ、ラストにとんでもない“ちゃぶ台返し”があるんだろ」とお思いの方もいるでしょうが、
これに関していえば、最後まで昭和テイストな人情話のままなんです。
ラスト一文を読み終えた後、ちょっと心が暖かくなるようなそんな感じなんですよ、まじで。

いったいなぜ、こんな話が「正解するカド」像そのものなのか。

ちょっとネタバレになってしまうのですが、
「折り紙」がキーアイテムになっているんです。
三十年間、丁寧に仕事をしてきた人間にも及びもつかないような本物の“丁寧”で折られた「折り紙」。
そんな「折り紙」がちょっとした奇跡を起こすといった話なんです。(といってもSF的な展開は一切ありませんw)

この話から想像するに、はじめは「折り紙」から発想したネタだったのではないでしょうか。
ワムなんて、まさにその象徴的なアイテムだったわけですし、カドもひょっとすると、「折り紙」みたいな構造なのかもしれません。
そう考えると、ラストシーンにおけるあの意味深な鶴の折り紙もなんとなく腑に落ちます。(異方とこの宇宙をつなぐもの?)

「折り紙」が無限の可能性を持っている、という発想自体はSFマインド溢れる面白いアイデアだったと思います。

ただ、それ以上の発展性がなかったんですよね。
真道は折り紙が趣味というか得意だったようですが、その設定もほとんど生かされていないじゃないですか。
それこそ、交渉の際に「折り紙」で対抗するとか、そういう方向での「サプライズ」も有りえたはずなんですよ。

こういう掌編を読んだあと、改めて「正解するカド」をみると、すごくもどかしさを感じますね。
この方向で良かったのに!というw

まずはこういう市井の人たちのドラマに焦点を当てて、小さな話を少しずつ紡いでいくうちに、いつの間にか壮大なSFドラマになっていた……みたいなほうがよっぽど「意表を突いた」作品になったんじゃないでしょうか。
(そういった意味では公式スピンオフ漫画「青い春とレールガン」はなかなかいい線いっている気がします)
「シン・ゴジラ」ばりのリアルな交渉劇なんてハッタリをかますよりは、よっぽど面白いものになった気がするんですけどねえ。

まあ、野口プロデューサーによれば、『know』みたいなものを欲しかったようですから、いかにもSF!といった雰囲気は必須だったんでしょうけど。

いずれにせよ、はじめにテレビアニメで本格的なSFものが見れるぞ、と期待させてしまったことが失敗の元だったと思いますね。
むしろ逆に、あの「野崎まど」をアニメ化!という触れ込みでアピールしておけばこんなことにならなかったのかもしれません。

今後「野崎まどアニメ化計画」第2弾があるかどうかはわかりませんけど、もしあるなら、次は野崎氏自身に脚本を書かせないほうがいいと思いますよ。
いくらテレビをやりたいといっても、なんとかなだめてつつ、
その間に、ちゃんとアニメのフォーマットに「野崎まど」を落とし込める有能な構成作家を見つけられるかどうか。

「野崎まどアニメ化計画」が成功するカギはきっとそこにあるでしょう。


アンソロジーやノベライズが早川文庫から出ているようです。(早川書房も制作委員会に一枚噛んでいるのかな?)
 
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tag : 野崎まど

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