『いまさら翼といわれても』感想その1~目次についてのあれこれ~

いやあ、<古典部シリーズ>6年半ぶりの新作になる『いまさら翼といわれても』ですが、かなり売れているようですね。

発売後、即重版で10万部の大ヒット!米澤穂信著『いまさら翼といわれても』の勢いが止まらない!

先日も三省堂に寄ってみたのですが、いまだにランキング1位の棚に鎮座していましたし、
みんなやっぱり、待ち望んでいたんですね。

もちろん、私もずっと待っていました。

ぶっちゃけ、収録作はすべて雑誌掲載時に読んではいますし、
本来なら文庫落ちを待つところなのですが、どうしても米澤さんの作品だけは単行本で買ってしまいますね。

imasara_01.jpg 
シリーズ累計205万部というのもすごいですが、
他社作品の『満願』『王とサーカス』まで引き合いにだしている角川さんの力の入れようがすごいですw
まあ、本当に久々の新作ですし、その間に各種ミステリランキングを総なめするほどの売れっ子作家になってしまいましたからね。
こっちが本家本元だぞ、と角川がムキになるのも仕方ないでしょうw
(あ、帯の端に「映画」がどうとか書いてあるようですが、今回はスルーの方向で)

で、当ブログでも「更新予定覚書」の筆頭にあげて「必ず書きます!」と宣言しているからには、
早く感想記事をアップしたいところだったのですが、
正直、まだ自分の中できちんと形になっていないというか、うまく言葉にできない状態です。

というのも、とにかく「目次」を見てびっくりしてしまったからなんですよ。
もう開いた瞬間に「え、何これ?」と思ってしまいましたからね。



先にも書きましたが、全部の話は雑誌掲載時にすでに読んではあるんです。
だから、いくら改めて読む時間が取れなかったとしても、
それぞれ個々の感想自体は書こうと思えば書けるでしょう。

一応、いくつか雑誌掲載時の感想もどき?みたいなものは以下にまとめてあります↓

『いまさら翼といわれても・前篇』第一印象~えるを見つける物語~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-152.html

『いまさら翼といわれても・後篇』まで読んで~「長い休日」は終わった~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-154.html

『箱の中の欠落』感想~奉太郎が“推理”をする基準~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

「古典部シリーズ」最新刊発売決定~『わたしたちの伝説の一冊』感想にかえて~
http://horobijiji.blog.fc2.com/blog-entry-191.html


でも、全体を通してのシリーズ第6作目『いまさら翼といわれても』という作品集については、どうも語れる言葉が見つからなかったんですよ。
なぜなら、「連作短編集」ではその“収録順”に、大きなテーマが隠されていると考えるからなんです。

私は『「古典部シリーズ」最新刊発売決定~『わたしたちの伝説の一冊』感想にかえて~』という記事の後半で、今回の作品の収録順はどうなるんだろうという話をしています。
つまり、“時系列”にするのか、それとも“発表順”にするのか。
それによって、今回の「テーマ」も変わってくるのではという目星をつけていたんですね。

で、発売当日。
早速買ってきて、さていったいどっちだろう?と
ワクワクドキドキしながら扉をめくってみたわけですよ。

……結果。

“時系列”でも“発表順”でもありませんでした。
※以下、一応、「目次」のネタバレ注意(笑)



目次

箱の中の欠落
鏡には映らない
連峰は晴れているか
わたしたちの伝説の一冊
長い休日
いまさら翼といわれても


もうなんでしょう、この瞬間に頭の中は「?」でいっぱいですよw
まさに思考停止状態ですね。

まず“発表順”ではありません。

一応、それぞれの初出を記しておきますが、
『箱の中の欠落』(「文芸カドカワ」2016年9月号)
『鏡には映らない』(「小説野性時代」2012年8月号)
『連峰は晴れているか』(「小説野性時代」2008年7月号)
『わたしたちの伝説の一冊』(「文芸カドカワ」2016年10月号)
『長い休日』(「小説野性時代」2013年11月号)
『いまさら翼といわれても』(「小説野性時代」2016年1月号、2月号)
(以上、『いまさら翼といわれても』巻末より)

このように、全くもってバラバラの配置になっています。

では、“時系列”なのかといえばそれも違うんですよ。

確かに作中の時期が曖昧な話もあります。
私は、“時系列”なら
『連峰は晴れているか』(1年生の秋頃?)
『わたしたちの伝説の一冊』(2年生の5月頃)
『鏡には映らない』(2年生6月頃?)
『長い休日』(2年生5月?6月?)
『箱の中の欠落』(2年生6月)
『いまさら翼といわれても』(2年生7月)

と勝手に解釈していましたが、
この読みが実は間違っていて、
今回の掲載順が本当の“時系列”なのだということなら、それはそれでいいんです。だったらむしろすっきりするんですよ。
でも明らかに違うんです。

例えば冒頭の『箱の中の欠落』
季節は「六月」(本文8ページ)とはっきりと書いてあります。
それに対して、4つめの『わたしたちの伝説の一冊』
本文148ページに「五月の晴れた月曜日」という表記があるように、これは五月の話なのです。要するに、『箱の中の欠落』よりも時間的に前の話なんですよ。
(そもそもこれは「伊原摩耶花が漫研を退部した顛末」を描いた話なので、六月よりも前であるのは自明なことなんですけどね。五月末のマラソン大会を描いた『ふたりの距離の概算』の時点で、すでに摩耶花は漫研を退部しているわけですから)

となると、この順番はなんなんでしょう?
いったいどういう意図があって、この並びにしたんでしょうか?

「そんな気にすることか?」と思われるかもしれません。
特に、今回の単行本で初めてそれぞれの作品に触れられた方には、それほど違和感なく読み進められるのかもしれません。

でも私はどうしてもこだわってしまうんです、この短編集における“収録順”に。

それは、『遠まわりする雛』の“時系列”順があまりに印象的だったからかもしれません。
「時間」と「距離感の緩やかな変化」。
作品のテーマと「掲載順」が見事にリンクしていたからこそ、『遠まわりする雛』は名作だったんです。
単に未収録作品をただかき集めて適当に並べただけだったなら、たとえひとつひとつの話は同じでもあの感動はなかったはずなんですよ。

しかも、どうやら今回も「時間」が大きなテーマになっているようなんです。

角川書店の紹介ページでも

時間は進む、わかっているはずなのに。
奉太郎、える、里志、摩耶花――〈古典部〉4人の過去と未来が明らかになる、瑞々しくもビターな全6篇。


とありますし、

こちらの特設サイトでも
スペシャル企画のすぐ上に米澤さんはこんな手書きのメッセージを残しています。

『氷菓』以来、〈古典部〉では多様なミステリを書くと同時に、
彼らが経る時間を描こうとしてきました。
本作もそうあれかあしと願っています。


そして、氏のブログ「汎夢殿」においては、
物語の時期は、折木奉太郎たちが二年生になった一学期、ほぼ『ふたりの距離の概算』と重なっています。
とあり、さらには
いずれ本にするときこのような一冊になればと思い描いていたその形に、仕上げられたと思います。
と書かれています。

つまり、今回の“収録順”は「思い描いていた形」なんですよ。
必ずこの順番には大きな意味があるはずなんです。

さて、どう考えたらいいのでしょうか。

私はまず、『連峰は晴れているか』という短編に目をつけました。
これは2008年の発表で、今回の作品集の中でもっとも古い作品ですし、
なおかつ、時系列的にも一番古いものだろうと私が解釈していた話だからです。
(アニメにもなっていますので知っている方も多いでしょうが、普通に考えば1年時の秋なはずなんです)

“時系列”でも“発表順”でも本来ならトップを飾るべきこの作品が、なぜか3番目に掲載されている。
やはりここに「鍵」がありそうですよね。

まずは米澤さん自身の言葉からそのヒントを探してみましょう。

作品特設サイトにあるスペシャル企画「米澤穂信の一問一答」
これは読者から寄せられた質問に米澤さんが答えていくという企画なのですが、
ここの第1問目に興味深いやり取りがのっています。

【Q1】短編集『いまさら翼といわれても』では、かなり昔に書かれた短編まで収録されるようですが、それに関してなにか大変だったことなどあったのでしょうか。(小雪さん)
米澤さん:自分でも意外だったのですが、書いた時期が離れているために苦慮したことはありませんでした。短篇集を編むにあたり、季節感の調整を施したぐらいです。


ここでいう、「かなり昔に書かれた短編」とは当然、『連峰は晴れているか』のことを指しています。
で、米澤さんの答えに注目です。

季節感の調整。

え?どこ?、と思ってしまいました。
一字一句、照らし合わせる時間はないので、ざっと流しただけではありますが、
正直、どこのことを指しているのかいまだにわからないんですよね。
いくつか細かい言い回しの修正はありましたが、
季節を変更しているような部分は私が確認する限りでは見つかりませんでした。

頂きに雪を抱いた神垣内連峰の山並みがいつも通りに聳えている。(本文129ページより引用)

こんな表記もそのままですし、やっぱり秋から冬の時期だと思うんですよね。
(それともこの地方では4月から6月頃にも雪が残っているのでしょうか)

千反田の呟きで、もう一度、三年前のことを思い出す。(本文136ページより引用)

この部分も時間の経過的に考えるとおかしいんです。
小木先生のペリコプター事件は中学入学してすぐ、つまり、ここで三年前と言っているということは
この時点では高校一年生ということでしょう。

まあこれらは誤植または見逃された表記で、実は私が気づかないところで調整がなされているのかもしれませんが、
少なくとも、他の短編同様の「高校二年生の一学期あたり」といった季節感はないように思えます。

うーん、この道筋からの推測はちょっと難しそうですね。
ただ、米澤さんのこの言葉はかなり重要かなあとも思います。
今回の短編集をまとめる上で「季節感」をある程度統一しようとしていたことは確かなのですから。

さて、では次にダ・ヴィンチ2017年1月号に載っている『いまさら翼といわれても』刊行記念特集を紐解いてみましょう。
(こちらの記事は2016年12月現在、web上でも読めるようです→http://ddnavi.com/feature/339051/a/

ここで、注目すべき発言が載っています。

「収録されたなかでもっとも古い短編は、08年に発表したものです。その後1~2編書き上げた段階で、短編集全体の構想が浮かびました。過去と未来についての短編集というかたちで書いてみたいな、と。(中略)時間の広がりをテーマにできればと思ったんです」

つまり、『連峰は晴れているか』執筆時点では今回のテーマはまだ生まれていなかったということになります。
そして、2012年に『鏡には映らない』、2013年に『長い休日』と書いていくうちに全体のテーマが浮かびあがったわけですね。

その後、約2年のブランクを経て、
昨年末に『いまさら翼といわれても・前篇』が発表になるわけですが、
同じ頃、「このミス2016年版」の「私の隠し玉」で、2016年中に<古典部シリーズ>の新作を形にしたいと宣言しているんです。

ということは、ようやくこの頃に全体のテーマが明確になったからこそ、
『いまさら翼といわれても』を執筆したとも考えられるわけですよ。

ならば、やはり今回の短編集は『いまさら翼といわれても』が最大のテーマです。
言い換えれば、『いまさら翼といわれても』に至るまでの話といってもいいかもしれません。

『いまさら翼といわれても』後に書かれた『箱の中の欠落』については、

このシリーズを愛してくれている読者の方々に、より純度の高いミステリーを第1話では差し出したいと思ったんです。

こんな発言をしています。
つまり、これは『いまさら翼といわれても』へのプレリュードとして、書き足された一編と言えるのではないでしょうか。(「千反田えるが生徒会長立候補を検討していた」という話が唐突に出てくるのもなかなか興味深いですよね)

さらにその後に書かれた『わたしたちの伝説の一冊』はもっと直接的です。

本一冊を作るということだけ考えると、なくてもいい一編だったんです。(中略)でも、せっかく久しぶりに出す本ですから、読者にはできるだけ、ボリュームがあるものを読んでもらいたい。

まあ、なんとも身も蓋もない話ですけど、はっきり言ってしまうと、要するに「おまけ」ですよね。

これはどういうことかというと、つまりは今回の短編集は、
『いまさら翼といわれても』を書き終えた段階でほぼ終わっていて、
のちに書かれた2編は、単行本としての体裁を整えるために「追加」した話だということなんです。

ただ、誤解してほしくないんですけど、これは『わたしたちの伝説の一冊』が読者サービス的な取るに足らない作品だということをいっているのではないんですね。

過去と未来の時間に想像力を伸ばすことで、登場人物たちの輪郭をより明らかに書くということが、今回の短編集でやりたいと思ったことでした。だとしたら、ここで伊原のことを書いてあげたい、彼女の過去と未来をしっかり提示したいと思ったんです

つまり、ここで伊原の「過去と未来」がはっきりと提示されることによって、『いまさら翼といわれても』のテーマがより鮮明になるということなんです。


と、ここまでの米澤さんの言葉を読んで、私ははたと気づきました。

“時系列”とか“発表順”とか、「箱の中の時間」でしか作品を考えていなかったなと。
つまり狭い範囲での「現在」しか見ていなかったのではないかと思い至ったんですよ。

「過去と未来」

考えてみれば、今回収録の6編に流れている時間はどれもひとつではありません。

『箱の中の欠落』では、奉太郎の姉もかつては神山高校に通っていたことが謎を解く大きなカギとなり、奉太郎に「学校もまた時間の中にあることに気づけた」と言わせています。
つまり、奉太郎たちが今通っているその時間以外の「時間」もちゃんとあるのだ、ということが示されているわけです。

『鏡には映らない』は、中学三年生の卒業制作時における謎を伊原摩耶花が追いかける話です。
二年生の6月、という時間以外にも「過去」という時間がそこにはあるのです。

『連峰は晴れているか』も同様です。
これは中学を入学したころの謎を追いかける話なんですね。

『わたしたちの伝説の一冊』はまさに伊原摩耶花の「過去と未来」の話になっていて、
小学三年生のときの思い出から話は始まり、最後には彼女の未来への可能性がきちんと提示されています。

『長い休日』は言わずもがな、まさに奉太郎の過去、
彼がいかにして“省エネ主義”になったのか、そのきっかけになった事件が明らかになる話でした。

こうしてみると、どの話にも様々な時間が散在していて、
どれが先でどれが後かなんてこだわることにもはや意味がないように思えてきたんですよ。

機械的に「今」の時間を並べるのではなくって、
どの順番で読んだら、『いまさら翼といわれても』という一遍をより深く味わえるか。

その結果が、今回の“収録順”だったのかなあという結論にようやくたどり着いたわけです。

では、具体的にどうして米澤さんはこの順番で読んでほしかったのかは、
『いまさら翼といわれても』感想その21~本編~にて解き明かしていきたいと思います。(年内に書けるかなあ…)


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